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2016/11/12

■節子への挽歌3358:思い出の美しさ

節子
小林秀雄は、「無常といふ事」のなかでこう書いています。

思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違へてゐる。
僕等が過去を飾り勝ちなのではない。
過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。
思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。
記憶するだけではいけないのだらう。
思ひ出さなくてはいけないのだらう。
多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出す事が出来ないからではあるまいか。
上手に思ひ出す事は非常に難かしい。
だが、それが、過去から未来に向つて飴の様に延びた時間と言ふ蒼ざめた思想から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思へる。
唐突にこんな文章を書いたのは、明け方にふと、「上手に思ひ出す事は非常に難かしい」ということを読んだ記憶が浮かんできたのです。
どこで読んだのか、なかなか思いだせずにいましたが、なんとか見つけました。
私の記憶とはかなり違っていたのですが、改めて読んでみると、なんだかとてもホッとするメッセージです。

「過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである」。
実は、節子に関する私の思い出はあまりに私に好都合に変質されていないだろうかと、最近、挽歌を書きながら感じていたのです。
それが気になっていたのですが、この文章で少し救われた気がします。
節子の記憶がもし飾り立てられているとしたら、それは、節子の思いやりがそうしているということなのですから。

過去を書いたり話したりすることは、そこから抜け出すための行動ですが、同時に、新しい過去への入り口でもあります。
悲しいことは話せば(放せば)いいのです。
でも同時に、それは語ることでもある。
語るとは、象(かたど)ること、型取ることでもある。

ここ数日気になっていたことがちょっと解決して、すっきりしました。
今日は久しぶりに、たくさんの人に会うパーティに参加しようかと思っています。

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