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2016/11/11

■節子への挽歌3357:貧しい生き方

節子
その生き方に、とても共感しているSさんから手紙が届きました。

実家に帰ると、東京でふだんいかにインターネットで時間を浪費しているかよくわかります。母の世話をする以外はとくに用事もなく、手が空いた時間はもっぱら昼寝か読書という、考えようによってはたいへんぜいたくな過ごし方をしています。
「いかにインターネットで時間を浪費しているか」。
これは、節子がいつも私に間接的に投げかけていたことです。
私の場合は、インターネットではなく、パソコンですが。
節子と話す時間も決して少なくなかったと思いますが、それよりも私はパソコンの前に座っていることが多かったのです。
節子は、それをとても不満に思っていたはずですが、同時に、あきらめてもいたようです。
最近、そのことを深く後悔しています。
なんであんなに「仕事」が好きだったのだろうか、と思います。
そのくせ、そうした「仕事」で何か残ったものがあるかと言えば、何もありません。
いったい、パソコンに向かって何をしていたのでしょうか。
実に不思議な気がします。
Sさんの手紙を読みながら、私が長年、いかに「貧しい生き方」をしていたか、指摘されているような気がしました。

Sさんは、私よりも若いのですが、いまは実家を離れ、東京で一人で暮らしています。
時々、実家に帰り、普段は施設にいる高齢の母親に、普段は空き家になっている実家に戻ってきてもらい、ふたりでの時間を過ごしているのです。
施設には行ったのは、認知症が疑われたためだそうですが、
実家に帰ってきた時の母親は、以前と全く同じだとSさんは言います。

ところで、私は、最近もパソコンに向かっている時間が多いです。
節子がいた頃よりも多いかもしれません。
ますます「貧しい生き方」になっているのかもしれません。
節子がいた頃は、それでも時々、私をいろんなところに引っ張り出してくれていたからです。
今年は、紅葉も見に行きませんでしたが、節子がいたらどこかに行っていたはずです。
そこでまた、「紅葉を見て、いったいどういう意味があるの?」などと言って、節子を怒らせていたかもしれませんが。

節子がいなくなってから、自宅での私の最大の付き合い相手は、ますますパソコンになってしまいました。
パソコンとは対話できるからです。
パソコンに思いを入力すると、パソコンを通して、なにかが返ってくるのです。
だから私はパソコンと付き合い時間が増えてしまうのかもしれません。
これは、節子がいたころからそうでした。
パソコンとは対話できる気がするのです。
パソコンから離れるためには、家から出かけて、誰かに会うしかありません。
だから私は今も、いろんな人に会い続ける生き方をしているのかもしれません。
人の生き方は、なかなか変わるものではないようです。

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