■節子への挽歌3374:語り合う人がいてこそ思い出
節子
最近、テレビでニュースを見ることは少なくなりましたが、テレビ自体は見る時間が増えてきています。
昨日も、NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」を見ました。
火野正平が自転車で全国を走り回る番組です。
テレビをつけた時、見たことのある風景が目に入ってきました。
琵琶湖の海津大崎でした。
そしてそこから湖東へと向かい、何回も通ったことのある南下するコースでした。
ところどころで見覚えのある風景に出会いました。
節子と最後に海津大崎に行ったのは、たしか桜の季節でした。
その年は、ともかく桜前線と一緒に、各地の桜を見に行ったものです。
桜三昧の年でしたが、私にはほとんど記憶は残っていません。
ただただ節子についていっただけですから。
記憶に残すほどの余裕が、私にはなかったのかもしれません。
テレビを見ていると、時々、節子と一緒に言った風景に出会います。
こうして見ると、それなりにいろんなところに行ったような気もします。
節子がいたらきっと画面を見ながら話が弾むのでしょうが、一人で見ていては話し相手もいません。
思い出は、語り合う人がいてこそ、思い出なのかもしれません。
一人で、思い出に浸るということもあるのかもしれませんが、どうも私には無縁な気がします。
節子は、いつも、また思い出ができたと言っていましたが、あれは何のためだったのでしょうか。
私への贈り物だったのでしょうか。
それとも節子が彼岸に持っていくためのものだったのでしょうか。
思い出とは、不思議なものです。
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