■節子への挽歌3361:忙しい時代
節子
平安な日の後には、けっこう波乱の日が来るものです。
負け惜しみ的に言えば、人生は退屈しないようにできている。
まさにそう思います。
しかし、時にめげることもある。
そうならないために、もしかしたら、人は伴侶を得るのかもしれません。
明け方はどんよりしていましたが、太陽が出てきて、いい天気になりました。
今朝は、朗報も多く、良い日になりそうです。
今日も3つのミーティングが予定されています。
それぞれ全く違うテーマです。
19日に開催するフォーラムのお誘いをいろんな人に出しましたが、私と同世代の方々は、驚くほどにみんな、別の行事と重なっています。
会社時代よりも、むしろ忙しくなっているようです。
考えてみれば、私自身もそうでした。
若い世代の人たちも、休日なのに、いろんな用事が重なっている人が多いです。
改めて、現代は「忙しい時代」なのだと気が付きました。
みんなゆっくりできないのです。
そして、私もゆっくりしていない。
エンデの「モモ」をふと思い出しました。
生き方が間違っているのは、そもそも私自身なのではないかという気がしてきたのです。
節子がもしいたら、いまのような生き方にはなっていないでしょう。
もっと社会から離れて、ゆっくりと生きていたような気がします。
いや、それもまた私の願望なのかもしれません。
むかしはいまよりも自由だったかもしれません。
「そうだ! 京都に行こう」という、生き方を大事にしていたような気がします。
いまは、予定表を見て、今日は湯島に行って、3つのミーティングを行うのか、などと、窮屈な生き方になっています。
これでは、あなたはなんで会社を辞めたのですか、と節子に笑われそうです。
私自身は、「暇で暇で仕方がない」生き方にあこがれているくせに、そして事実、暇なくせに、なぜか時間に追われているような気もします。
私も、忙しさの中で、心を失ってきているのでしょうか。
心しなければいけません。
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