■節子への挽歌3383:読書三昧で1日を無駄にしました
節子
最近ちょっと書籍に押しつぶされそうです。
贈られてきた本や図書館に頼んで探してもらっていた本や思いついて書庫から引っ張り出してきた本やらで、10冊近い本がデスクに積まれています。
それも一筋縄ではいかない本も多く、いつものようにさっと読み終えられません。
その上、最近は目の調子があまりよくないため、読書速度も落ちています。
書籍だけではありません。
DVDも4本たまっています。
いずれもいろいろと意味のあるDVDなので、観て終わりというわけにはいきません。
それもあって、なかなか観れずにいるのです。
このように書籍やDVDがたまってくるというのは、私の処理能力が低下しているということでしょう。
にもかかわらず、読みたい本はどんどん広がってきます。
それに以遠読んだ本まで再読したくなってしまうことも少なくありません。
昨日は、ブログの時評編でオルテガの本に言及したのですが、そのために、オルテガの「大衆の反逆」をひっぱり出してきたら、また読みたくなってしまいました。
若いころ読んだ本を読むと、赤線が引かれていることがあるのですが、若いころにどういうことに関心があったかがわかり、当時のことを思いだすことも少なくありません。
世間とは縁を切って、思う存分、本を読みたい気もしますが、その一方で、いまさら本を読んでどういう意味があるのだろうと思わないこともありません。
本を読むと世界が広がります。
映画を観ても、世界は広がります。
そうすると、どんどんこの世に執着も増してくる。
もっと外の世界を知りたいと思うのです。
困ったものです。
こんな生き方をつづけていたら、いつになっても旅立てません。
今日は、先日開催したフォーラムのテープ起こしをするつもりでしたが、古い本を読みだしたら、そこから抜けられなくなってしまいました。
仕事もせずに、今日は読書三昧の日になってしまいました。
夜になって、残り少ない人生の1日を、こんな使い方をしてよかったのだろうかと急に不安の念に襲われてしまいました。
来週は目の手術ですので、当分本は読めなくなりそうです。
その前にと思ってしまったのですが、考えてみると、読書だけでなく、テープ起こしもできなくなってしまうわけです。
みんなとの約束(をしたわけではないのですが)が果たせない恐れがあります。
読書はきっと彼岸に行ってもできるでしょう。
現世でやっておかねばいけないことに、もっと集中しなくてはいけないのですが、どうもそれができません。
どうしてでしょうか。
本当に、困ったものです。
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