■節子への挽歌3398:外見が10歳ほど若返ったそうです
節子
今日は手術後の抜糸のため、病院に行きました。
高久医師も満足する結果になったようで、良かったです。
10歳は若くなったと高久さんも看護師も言っていましたが、どうも顔の雰囲気は変わっているようです。
娘たちも別人のような感じだと言っています。
節子が見たら、たぶん大笑いするでしょうが。
しかし、私が鏡で見る限り、あんまり変わり映えはしないのですが。
いろいろな障害は次第におさまっていくようです。
視界は開け、世界は明るくなったはずですが、なにしろこの数日、コンタクトをしていないので、むしろ世界はもうろうとしています。
今日も医師から、当分はメガネを使ってくださいと言われましたが、メガネは持っていないのです。
メガネを持っていないと返事をしたら、医師も驚いていました。
友人は、メガネなんか安いから買ったらと言いますが、安いから買うという発想は、私の信条には合いません。
それに私の収入状況では、安いものなどひとつもないのです。
もうしばらくこのまま、もうろうとした世界で過ごそうと思います。
それもまた面白い。
退院後、すぐ入浴したのはやはりよくなかったようですが、
結果的にはまあ順調に回復です。
なぶたの腫れは1か月ほどはつづくだろうと言われました。
抜糸は、あっけないほどあっけなく、しかも治療費は80円でした。
入院費用も予想以上に安く、間違っていないですかと訊いたほどです。
日本の医療費はやはり安いですが、そのおかげで私のような低所得者も心配なく病院に行けるわけです。
もっともその細目を見たら、ちょっと問題を感ずることもありました。
たぶん医療費体系に産業界の影響が働いているのでしょう。
しかし、汗している医師や看護師がきちんと報われるようにしなければ、医療体系は崩れていくのではないかと心配です。
まあそういうことを考えるのが、私の「悪い癖」なのですが、これでとりあえず手術は完了です。
さて、10歳ほど若返った顔のお披露目をしなければいけません。
みんなに、ビフォアとアフターの評価投票をしてもらおうかと考えましたが、
娘に話したら、相手にもされませんでしたので、やめることにしました。
それは良いとして、いまも鏡を見たのですが、どうしてみんな「別人」になったようだとか、「若返った」とかいうのでしょうか。
私にはどう考えても、そうは見えないのです。
人は、世界を自分の意識で創りだしています。
いまの私の視力は、たぶん0.1くらいで、しかも乱視がかなり強いので、世界はもう極めて粗雑にしか見えません。
その粗雑な低画素映像を、脳が編集し、高画質の世界にしてくれているわけです。
私は長いこと、多くの人よりも低画質な映像素材をもとに編集してきたおかげで、普通の人よりも編集能力が高くなったと考えるのはどうでしょうか。
そのおかげで、逆に普通の人には見えない世界まで見えていた。
そう考えることにしました。
今日も、鈴木さんから「第3の眼が開いた佐藤さんとお話しするのが楽しみです」とハガキが来ました。
残念ながら、今回の手術で、むしろ「第3の眼」は退化し、ますます凡庸になってしまうかもしれません。
それもまた、幸せなのかもしれません。
見えないほうが幸せであることも多いです。
最近の世界は、まさにそんな感じがします。
| 固定リンク
「妻への挽歌17」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3500:庭の整理という大仕事(2017.04.05)
- ■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました(2017.04.02)
- ■節子への挽歌3497:桜の季節がきました(2017.04.01)
- ■節子への挽歌3496:節子がつなげてくれた縁(2017.03.31)
コメント