■節子への挽歌3401:不思議な10日間でした
節子
今日から俗事再開と書きましたが、今日もまだ復帰できませんでした。
何もしないことへの誘惑に勝てなくなってきてしまいました。
それにしても、ほとんど誰にも会わず、不思議な10日間を過ごしていました。
やるべきことはあったのですが、それもすべて放置し、ただただ気の向くままに過ごしていました。
その間、実は悲しい事件も起こりましたし、誘いも受けましたが、それも流しながら、いわば「瞑想生活」のような毎日でした。
いろいろと思うこともあり、いろいろと見えてきたこともあります。
目が不自由だったのですが、何冊かの本も読みました。
考えるきっかけになった本の一つが、ロバート・ベラーの「善い社会」です。
30年ほど前に出版された本ですが、初めて読みました。
そこで驚いたのですが、私の生き方へのエールのような内容だったのです。
節子がいなくなってから、私は自分の生き方にしばしば迷うことがありますが、何かすごく元気づけられました。
そうした視点で少し自分に確信が持てると、他の本もまた、私を元気づけてくれます。
それにしても在宅でありながら、つまり特に拘束されていたわけでもないのに、これほど世間と没交渉であったことはめずらしいです。
しかも極めて怠惰に、です。
以前なら、こんなに私的に、つまり他者への配慮を全くせずに過ごしていると、罪悪感が芽生えるのですが、今回はあまりそれが浮かんできませんでした。
まぶたの手術で顔の表情が変わったから性格も変わったわけではないでしょうが、私にとってはめずらしい10日間でした。
明日からは現世復帰です。
いまのペースがまた崩れないといいのですが。
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