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2016/12/24

■節子への挽歌3400:Bei-Sein

節子
昨日のクリスマスは、サプライズがありました。
思いもしないプレゼントを娘からもらいました。
ちょっと人並みのクリスマスでした。
私は、プレゼントが苦手なのですが、節子とユカはプレゼント、それもサプライズなプレゼントの文化を持っています。

アウシュビッツ収容所を生き抜いた心理学者のフロイトの「夜と霧」にでてくる有名な話があります。
冬の朝、冷たい風の中を工事現場へと行進させられながら、フランクルは別れ離れに収容された妻の面影に出会い対話するのです。
臨床心理士の諸富祥彦さんは、著書に中で、「あのとき、フランクルは、妻ティリーの「もとに、実際にいた」のだと思う」と書いています。
実は、その時、すでにティリーは別の収容所で亡くなっていたのです。

フランクルの前にティリーが現れたのではありません。
フランクルが、ティリーのもとにいたのだ、というのです。
認識する者自身が現に他の存在者のもとにあるという実存的認識。
そうした人間精神の「志向性」を、フランクルは、Bei-Sein(バイ-ザイン)と表現しています。
「…のもとにある」ということです。
フランクルは、わかれた妻のもとにいる、ということでしょうか。

フランクルは、人生の意味に関して、立脚点の反転をすることで有名ですが、ここでも同じような立脚点の反転があります。
愛する人を身近に感ずるのではありません。
自らが、愛する人のもとにある。
あるいは「神のもとにある」。
神のもとにあることで、人はどんな場合にも心の平安を得られるわけです。

フランクルが生き抜いたのは、数々の奇跡的な幸運に恵まれたからですが、
その幸運を呼び寄せたのは、フランクルの心の平安に由来する楽観思想だったのではないかと思います。
フランクルは、生き抜くべく生き抜いたのです。

昨夜、深夜の3時過ぎに目が覚めました。
真夜中に目が覚めることは、よくあるのですが、その時、いつも節子の気配を感じます。
時に、そこで呼び起されることがある。
昨夜も眠れなくなってしまいました。
その時、ふと頭に浮かんだのが、フランクルのBei-Seinという言葉でした。

この数日、なんとなく節子のもとにいる自分を感じます。
まるで彼岸にいるような日々でした。
さて、そろそろ此岸に戻りましょう。
ユカからのプレゼントが、その気にさせてくれました。

明日から、俗事を再開します。

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コメント

フランクルは、実際に愛する人に会ったんです。彼女の実在の本質と、つまり彼女の霊と。私はそう思います。
愛の絆は死をも超えて結び合う。愛こそがすべての根源。『すなわち愛は結局人間の実存が高く翔かけり得る最後のものであり、最高のものであるという真理』

「時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像の中でつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける目差しを見る――そして、たとえ、そこにいなくても――彼女の目差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。その時私の身をふるわし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智のきわみとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、生まれて始めてつくづくと味わったということであった。すなわち愛は結局人間の実存が高く翔かけり得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。私は今や、人間の詩と思想とそして――信仰とが表現すべき究極のきわみであるものの意味を把握したのであった。愛による、そして愛の中の被造物の救い――これである。たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は――瞬間でもあれ――愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考えうる限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態――このような状態においても人間は愛する目差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。」
        『夜と霧』霜山徳璽しもやまとくじ訳 みすず書房 123ー124頁

投稿: 小林正幸 | 2016/12/26 09:38

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