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2016/12/10

■節子への挽歌3384:Habits of the Heart

節子
今日もまた、本を読みふけってしまいました。
30年前に書かれた、ベラーという人の「心の習慣」という本です。
最初は退屈しながら読んでいましたが、最後のあたりになって、引き込まれるような面白さでした。
テーマは「公共善」。
私自身の生き方に、最近少し迷いがあったのですが、この本を読んで、迷いがまたなくなりました。
人はみんな、公共善に従って生きているのがふつうなのです。
たとえ人と違っていても、いまの生き方をつづけようと、改めて思いました。

ベラーは、さらに続編として、「善い社会」という本を書いています。
これもまた分厚い本で、値段も5000円もするので、買わずに図書館から借りるつもりですが、図書館から借りた本は、ていねいに読まないといけないので、疲れます。

ちなみに、この本の原題は“Habits of the Heart”、「こころの居場所」です。
著者の意図とは違うでしょうが、私にはとても気になるタイトルです。
最近、私は、「こころ」は身心の内部には存在せずに、身心からはみ出して存在しているのではないかと思っているのです。
というよりも、私の心の中に、私の心身と私の環境があるという方がいいかもしれません。
さらにいえば、いまの社会そのものもかかわってくるわけです。
となると、社会のありようによっては、私のこころの居場所がなくなってくる。
そこで、こころが私の身心に逃げ込んでしまいがちなのです。

もう少していねいに説明しないとわかってもらえないと思いますが、
私が、人嫌いのくせに、ひとに会いたくなるというのは、たぶんそのせいです。

ベラーの「心の習慣」という本に、そんなことが書かれていたわけではありません。
まあ、その本を読みながら考えたことの一つです。
この本は、また、現代人が「バラバラの存在」になってしまって、心の平安を失ってきていることに警告を発しています。
とても共感できます。

今日も読書三昧でしたが、考えることの多い1日でした。
目の手術前にやらなければいけないことは、これで完全に実行不能になりました。
まあしかし、許してもらえるでしょう。
そう勝手に思いながら、明日もまた、もしかしたら、読書の1日になってしまうかもしれません。
テレビや新聞で報道されている世間の動きから、逃げたい気持ちが、たぶん読書に向かわせているのでしょう。
昨今の世間からは、縁を切れるものなら切りたい気分です。

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妻への挽歌17」カテゴリの記事

コメント

佐藤さん、
お元気を取り戻されたようで良かったです。

私の敬愛するある老賢人は、同じことを極めてシンプルにこう述べています。

「もっとも私には“十戒”ならぬ“一戒”しか持ち合わせません。

“お互いがお互いのために尽くし合うべし” ー これだけです。」

その老賢人は繰り返し繰り返しこんな意味のことを述べています。
人は、同胞を助け自分を役立てるために生きている。それが摂理である。


難しい論理も何万文字もの論述も必要ありません。私にはこれだけで十分です。

投稿: 小林正幸 | 2016/12/10 22:44

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