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2016年12月

2016/12/31

■節子への挽歌3407:大晦日とは思えない大晦日

節子
節子のいない10回目の大みそかも、何事もなく終わろうとしています。
今日は、ジュン家族がやって来て、みんなで会食した後、お墓の掃除に行きました。
その後、ユカががんばってお煮しめや紅白なますをつくっていますが、今年はイカが全くないそうです。
今年はいささか節約してしまい、メインディッシュがないので、地味な料理になります。
わが家の場合、節子以外は、あんまりそういうことには頑張らないのです。
節子がいない年末と正月も、もう慣れてきましたが、やはりちょっと寂しさはあります。
ちょっとハレの日気分になったものですが、最近はそういう気分はあまり出てきません。
除夜の鐘もつきに行きませんし、いつもと同じような夜です。

この挽歌も、何かいつもと違うようなことを書きたかったのですが、今年はあまり気分が出てきません。
それでも今年は、実にいろんなことがありました。
最大のニュースは孫の誕生でしょう。
ようやく家族が一人増えました。
とても元気で、よく笑ってくれます。
今日もお墓に一緒に行ったので、節子も両親も会えたでしょう。

今年は、いろいろとありすぎて、疲れてしまいましたが、それにふさわしい、何事もない、怠惰な大晦日ももうすぐ終わりです。
明日は初日が見えそうです。
今年は除夜の鐘もきかずに、もう寝ましょう。

今年もお付き合いいただきありがとうございました。

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■メガネで世界は違って見えてくる

メガネ生活になりました。
最初の1日は、うまく身体が適応できず、違和感を持ちながらの生活でした。
ところが2日目になると、違和感はなくなり、3日目はもうまったく普通に見えるようになりました。
人間の身体の適応力のすごさを、みずからで体感しました。

アメリカの心理学者のG.M.ストラットンの逆転眼鏡の実験は有名です。
彼は自ら上下左右が逆に見える眼鏡を着用して生活する実験を行いました。
その体験によれば、メガネをかけた直後は逆転していた視覚世界がやがて元のような普通の見え方になったそうです。
その話を読んだ時には、ただ驚いただけでしたが、今回、わずかばかりの体験によって、納得できました。
私も、今回、眼鏡をかけて帰宅する途中、違和感で吐き気がしほどでした。
安価な眼鏡だったせいもありますが、視界が歪んで見えていたのです。
ところがもう今は、まったくと言っていいほど違和感がないのです。
私の身体が適応したわけです。

つまり、私たちは自分が住んでいる世界に対する違和感を次第に失っていく存在なのでしょう。
年の最後に、とても考えさせられる体験をさせてもらいました。
政治とは、国民にどんな眼鏡をかけさせるかということなのかもしれません。
自分のかけているメガネを、時にはずすことが大切だと改めて感じました。

しかし、あきらかにこれまでと違ったことがあります。
世界が小さく見えるようになったのです。
たとえば、昨日ハガキを受け取ったのですが、そのハガキがいつもより小さいのです。
それで手元にあるハガキと合わせてみたら同じ大きさでした。
私の場合、近視なので、小さく見えるようになっているのでしょうが、コンタクトレンズの時よりも、世界が小さくなったような気がします。
もっともこれも間もなく慣れてしまうのでしょう。

しかし、メガネを使う生活は、たぶんこの1か月で終わる予定です。
となると、その後また、コンタクトレンズに戻った時に、世界はどうなるのでしょうか。

改めて人間の心身の不思議さに興味がわいてきます。

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2016/12/30

■節子への挽歌3406:仏壇の掃除

節子
気分転換で娘と一緒に大掃除、まではいきませんでしたが、中掃除をしました。
私はあんまり力をかけずに済む、仏壇の掃除を担当しました。
整理していたら、父の三回忌の時の写真が出てきました。
それと、野路さんの写真も出てきました。
今までも毎年掃除をしているのですが、気が付きませんでした。

野路さんは、節子の友人です。
節子よりも先に胃がんが発見されましたが、全治しました。
まさかその数年後に節子が同じ、胃がんを宣告されるとは思わなかったでしょう。
野路さんの頑張る姿勢が、節子にも大きな勇気を与えていました。
いつも野路さんが、目標でした。
野路さんは、いまも元気です。

父が亡くなったのはもうかなり前ですが、その三回忌にお墓の前で親戚一同が写真を撮っていました。
いまは法事と言っても、なかなかこんなには人が集まらなくなりましたが、懐かしい顔がたくさんありました。
元気そうな節子も写っていました。
たぶんこの時の法事は、節子が中心で頑張ってくれたはずです。
写真に写っている人たちの半分以上は、もう亡くなってしまいました。

わが家の仏壇は、とても小さく、すべてがミニサイズです。
しかしその空間に、大日如来も月光菩薩も、弘法大師も地蔵菩薩も、鎮座しています。
わけのわからない3人組も節子の遺骨を守っています。
私は毎朝、灯明と線香をあげて、般若心経を唱えています。
まあ時々は、省略版般若心経ですが。

仏壇だけではいかにもなので、娘と一緒にリビングとダイニングとキチンを掃除しました。
掃除もそれはそれで面白いのですが、あんまり頑張ると疲れるので、まあほどほどにしました。
以前は掃除だけで数日かかっていましたが、いまは大幅に手抜きです。
節子が知ったら嘆くでしょうが、まあ許してくれるでしょう。

掃除をしていたらお腹が空いてきて、昼食はお餅にしました。
磯辺巻ですが、それを食べて、掃除をつづけようとしたら、なんだか休み時間のないブラック企業のような気がしてきました。
それで掃除は終わることになってしまいました。

実はトイレ掃除は私の担当なのですが、ついつい延ばし延ばしになっていて、今日までやっていなかったのですが、延ばしついでに明日にまた延ばしてしまいました。
困ったものです。

夕方ちょっと元気が出てきたので、机のまわりを片づけました。
片づきましたが、どうもまだ年末の気がしてきません。
歳を取るとこんなものなのでしょうか。
以前は新年を迎えるための年末は、とてもワクワクするような高揚感があったものですが。

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2016/12/29

■節子への挽歌3405:メガネを作りました

節子
まぶたの手術をした後、コンタクトレンズが外しにくくなったので、腫れが引くまで、メガネを使うことにしました。
節子と違ってメガネは使っていなかったのですが、友人たちからはメガネをつくればいいと言われていました。
でも面倒なので作らないと言い張っていましたが、やはり不便さに負けて作ることにしました。
すぐつくってくれるところがあると言われて、近くのお店に行ったら、本当にすぐできました。
まあ見えればいいと思って、これまた節約して5000円のものにしました。
ところが、受け取ってはめてみたら、コンタクトレンズとはまったく見え方が違うのです。
視力検査では、コンタクトレンズほどは出ていなかったのですが、何かとてもよく見えるのですが、どうも違和感があるのです。
よく見えるようになればいいというものでもないようです。
それにやはりメガネは私には向いていないようです。
でも次に病院に行くまでは、これを使うことにしました。
娘がケアしてくれましたが、私一人だったら、たぶんメガネは作らなかったでしょう。
節子に依存しすぎていたので、その習性はなかなか抜けないのです。
私はやはり、一人では生きていけないタイプかも知れません。

ところで昨日、湯島で最後のオープンサロンを開きました。
時評編で書きましたが、とてもうれしいメンバーが来てくれました。
残念ながら、節子が知っている人は一人もいませんでした。
こうやって私の生活も少しずつ変わってきているのでしょう。

今年もあと2日。
なにやら積み残したことが山のようにあるような気がしますが、まあそれもまたいいでしょう。
どうせ、いつか、山のような積み残しを置いたまま、現世からいなくなるのですから、年を越すくらいなんだという気になっています。
どうせなら残る2日も、何もせずに過ごすのがいいかもしれません。
それにしても、毎年、年末は節子は大忙しでした。
節子に限らず、私の母親も、忙しそうで、紅白歌合戦など見ているまもなく、何か料理をしていました。
しかし、最近のわが家は、娘との2人暮らしなので、料理もだんだん既成のものになってきています。
しかも娘も私も実に質素なので、年々、簡素化してきています。
そんなわけで、正月気分も出てきませんが、まもなく節子のいない10回目のお正月なのです。

親がなくとも子は育つと言いますが、
妻がなくとも生きながらえる夫もいるのです。
まさか私自身がそうだとは思ってもいませんでしたが。

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■節子への挽歌3404:手づくりの鏡餅

節子
娘が正月の花を買いに行くと言うので、私も付き合いました。
ついつい昔のことを思い出したからです。
節子がいた頃は、それこそ30分くらいかかって花を選ぶのに毎年付き合っていましたから。
両親と同居していた頃は、正月の料理も大変で、これも家族みんなで買い出しに行っていたことを思います。
しかし、そんな賑やかなお正月も、いまではもう昔のことです。

わが家の花も、年々小さくなってきました。
今年は、セットされている花でもいいのではないかと娘は言っていましたが、経費節減もあって、そうなりました。
どうせ経費節減するのであれば、鏡餅も自分で作ろうと思いつきました。
と言っても、自分で餅つきまではできませんが、幸いにつきたてお餅が届いたのです。
それをレンジでやわらかくして、つくろうと思ったのです。
今朝、また東尋坊から恒例の「わたしの気餅」が届きました。
東尋坊で活動している、茂さんと川越さんからの、うれしいお餅です。
節子と一緒に、東尋坊の茂さんたちのお店でいただいたこともあります。
考えてみれば、それが節子がいなくなってからの私の生き方を方向づけてくれました。

茂さんからのお餅に、「まる餅」も入っていたので、それも使うことにしました。
上に乗せるのは、わが家の畑になっているゆずを使うことにしました。
私は極めて不器用なので、こういうのは苦手なのですが、まあなんとか形になりました。
それにしても出来が悪い。
まあそれもまたいいでしょう。

さて来年は、しめ飾りにも挑戦しようかと思い、玄関に飾られているしめ飾りを見たら、これはかなり難しそうです。
でも来年は、少しずつお金に依存しない生き方をもう一歩進められればと思います。

節子がいたら、もっとうまくこうした生き方に移っていたはずですが、私だけではなかなかうまくいきません。
まあゆっくりと進めましょう。
もう少し現世に留まることにしましたので。

2017


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■今年最後のオープンサロン

今年最後のオープンサロンは、初対面の人も含めて、4人の人が参加してくれました。
ミュージシャン、アナリスト、エッセイスト、フォトグラファーです。
なにやら特異なメンバーばかりです。
それにふさわしく、話題も「特異」でした。
最初は、時代を創っているのは誰かという壮大な話から始まり、最後は、自分の存在とは何だという、深遠な話でした。
その途中には、連帯とは何か、言語とは何か、時間とは何か、などといった難解な話もありました。
と、こう書くと、いかにも小難しいサロンだったように感ずるでしょうが、それはものの書きようであって、実体は、実にたわいない雑談サロンでした。
でも、参加者の人柄がほどよく出ていた、気持ちのいいサロンでした。
来年も、こんなサロンを増やしたいと思いました。
参加者のみなさん、ありがとうございました。

最後に、全員で写真を撮ることになりました。
今年も私は元気だったことの証として、私も写っています。
写真の真ん中の中島さんが持っている箱は、実は「投票箱」です。
いま湯島に来た人は、あることで投票してもらっています。
まぶたの手術をした私の雰囲気が、良くなったか悪くなったかの投票箱です。
投票は1月いっぱい受け付けています。
開票は1月末です。
みなさん、投票にお越しください。
全く何の効用もない無駄な投票ですが、人生にも社会にも、無駄は大切なことですから。

新年のオープンサロン、もしくは投票日は、1月4日と7日を予定しています。
1月4日は、たぶん、午後1~4時くらいです。
正式には、年明け後、ご案内します。

ではみなさん
ほどほどに良いお年を。
ちょっと早いですが。
Photo


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2016/12/28

■全体が見えなくなってきています

たとえば今朝の朝日新聞朝刊の1ページ目には、
「首相 「不戦の決意」強調」
というトップ記事に並んで、
「辺野古 国が工事再開」
という大きな見出しがあります。
今日に限ったことではないのですが、
個々の報道からのメッセージと、さまざまな報道全体からのメッセージと、齟齬を感ずることが最近とても多いような気がします。

不戦の決意を強調した政府が、一方では戦争に向けての軍事力を強めるために沖縄の人たちの平安な生活を踏みにじっている。
安倍首相は、戦争をしたのか、したくないのか。
まともな思考力を持つ人であれば、悩んでしまうでしょう。

最近、30年程前にアメリカで話題になった「善い社会」という本を、私としてはかなり丁寧に読みました。
2回読み直したのです。
そこで1970~80年代のアメリカ社会のことがていねいに語られていますが、
そこに、全体が見えなくなってしまったことの懸念が指摘されています。
全体が見えないということは、あるところだけを取り出して、判断を決めるようになるということです。
全体を見えない人たちは、右往左往しますから、いかようにも操作できるのです。

しかし、理解しがたい矛盾の言動は、安倍さんだけではありません
私のまわりの多くの人がどうも矛盾する言動をしているのです。
たぶん私もまたそうなのでしょう。
全体像が見えなくなると、人は論理的には個別の判断しかできなくなる。
だから、自らの矛盾さえ気づかなくなる。

そして矛盾があっては落ち着かないので、自分でその矛盾を編集して、自分が支持できる安倍政権を虚構してしまうわけです。
辺野古のことも高江のことも、みんな「不戦の決意」につなげてしまう。
人の命が大切だと言いながら、死刑を執行してしまうようなものです。

沖縄の現実を見れば、不戦の決意の意味は見えてくる。
それは、選ばれた人たちのための不戦や平和であり、その実現には弱い人たちを押さえつけることがセットにされている。
しかし、全体が見えない中で、そう考える人は少ないでしょう。
そもそも、恐喝による不戦は、すでにその出発点において、戦争の実行です。
でも多くの人はそうは思わない。

新聞は、それでも「不戦の決意」と「辺野古工事再開」とが並んで表記されますので、全体像とは言いませんが、矛盾や多様さが目に入ってきます。
しかし・ネット情報に依存している人は、個別情報が個別にしか入ってきませんから、ますます個別の世界で情報を受け取ることになる。
全体像はますます見えないでしょう。

そうしたことが、私たちの意識をどう変えていくか。
考えると恐ろしい気がします。

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■節子への挽歌3403:にこを抱く?

節子
昨日もジュン親子がやってきました。
孫の「にこ」も少しずつ立ち上がろうとするところまでに来ました。

ところで、娘は来るたびに私に、にこを抱く?と訊きます。
いつも訊くのですが、抱きたければ抱くだけのことであって、なんでいつも訊くのかがよくわかりませんでした。
しかし、実はこれは娘にとっては大きな意味があるのかもしれません。

娘は、節子に孫を抱かせてやれなかったのを、とても悔やんでいました。
娘が本気で結婚する気になったのは、節子の発病後かもしれません。
娘は、本当は私にではなく、母親の節子に、孫を抱かせてやりたいと思っているのです。
その気持ちは、なんとなく感じてはいるのですが、どう表現していいかよくわかりません。

孫を見ていると、節子がいたらなあ、と思うことはよくあります。
おばあちゃんのいない孫の不憫さも感じないわけではありません。

私が抱くと、時に泣きだしていた孫も、最近は笑うようになりました。
節子の分まで、抱かないといけません。

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2016/12/26

■節子への挽歌3402:「あんまり変わっていませんよ」

節子
手術後、はじめて友人に会いました。
はじめて会った人は、節子もよく知っている田中さんです。
彼女も、この2年、大変なことがつづいて起こっていたのですが、久しぶりに会った田中さんはとても元気そうで、たくましくなっていました。
はじめて会った時の田中さんは、まだ30代にはいったところで、ちょっととんがっていました。
バレーをしていたりして、節子と一緒に発表会に招待されたこともあります。
私には退屈でしたが。
その田中さんも、もう50代後半。
とてもいい歳の取り方をしているのは、苦労のおかげかもしれません。
それにしても、長い付き合いになりました。

田中さんは私と違って、かなり表舞台を歩いてきていますが、決して時流には流されないので、私との交流も切れずに来ているのです。
時々、湯島にやって来てくれて、いろんな話をしてくれます。
困ったときの湯島族ではないのです。
彼女は多彩な活動をしていますが、いずれも私には縁遠い世界です。
しかし、私のように社会から脱落した生き方をしているものの話も、素直に聞いてくれるのです。

考えてみると、彼女もまた私の生き方に大きな影響を与えた一人です。
田中さんのおかげで、保育園に関わることになりましたし、NPOに関わることになりました。
彼女のおかげで知り合った人も少なくありません。
田中さんと話していると、いろんなことを思い出します。
もう亡くなった人もいます。

田中さんは、別人になったとも言われている私の顔を見て、あんまり変わっていないですよ、と言いました。
むしろ今日は、彼女のほうが、私には別人に見えました。
なぜでしょうか。
彼女の5年後が、なんとなく見えた気もします。
もう大丈夫でしょう。
その頃はもしかしたら、もう私はいないでしょうが。

自分よりも若い友人がいることの幸せを感じます。
みんなどんどん大きくなっていく。
私のように、歳を取るのを忘れがちな者にとっては、それはとてもうれしいことです。
ささやかとはいえ、少しは私も役に立っているかもしれないと思えるからです。


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■遅ればせながらの入院報告

12月の15日から3泊4日の短期入院をしました。
その後、1週間、在宅でした。
目が不自由だったからです。
今日から活動再開です。

実は退院の翌日、フェイスブックに描き込みをしました。
入院を知らせたフェイスブック記事へのコメントがたくさんあったからです。
その書き込みを、遅ればせながらこのブログにも残しておくことにしました。
まあもう1週間も前の記事なので、あんまり意味はないのですが。
いか、そのまま再掲します。

帰宅してFBを開いたら、たくさんの方からエールが届いていて、感激です。
初めての手術体験は実に面白かったです。
テレビ番組で見るような手術台で手術を受けながら、医師たちが交わす会話を聴くのも面白かったです。
ついつい私も参加してしまい、医師のモチベーションはなんですかと手術中に失礼な質問までしてしまいました。

同室の患者さんからもたくさんの学びがありました。
政治家も、年に一回は、こういうところで一週間くらい過ごしてみれば、世間の実相がもう少し理解できるでしょう。
同室のおひとりは、60代の屋外警備員で、熱心に働いても月収12万円。
冬は寒くて大変で、そのため顔面神経痛で病院に来たら即入院。
危ういところで人工透析になるところだったそうです。
いまは一人住まいですが、その波乱万丈の人生談も聞きました。
趣味は競馬だったそうですが、いまのカジノ法には怒りをぶつけていました。

彼は、今回の入院費も蓄えがないので、みんなが「包んで」きてくれるお見舞いで支払いを済ませるそうですが、ちょっと入院が長引きそうで、退院後仕事が続けられるかどうか、少し心配していました。
私には見舞客は来ませんでしたが、その人へは見舞客も多く、とてもうれしかったです。
私がうれしがるのもおかしい気がしますが、ともかく嬉しかったです。
真面目に毎日ハードに働いて12万円の一人住まい。
でも「アンちゃん」と慕ってくれる若者がいる。
その彼が、ギャンブルは貧乏人からお金を巻き上げて生活を壊すだけだと怒っていました。
やってきた若者にも、パチンコはたばこの煙で身体にも悪いからやめろと言っていました。
カジノ法に賛成する国会議員に、彼の話を聞かせたかったです。
それに、議員報酬の高さも自覚してほしいです。
たまには総合病院に入院して、まじめに生きている人たちの生活実態を知ってほしいものです。
まさに病院は社会の問題が縮図のように出ています。

看護師や病院スタッフの仕事ぶりからも、別の学びがありました。
病院システムや看護システムは脱産業化しなければいけないと私はずっと考えていますが、改めてそう思いました。
彼らは、まさにジョブやキャリアではなくコーリングとも言うべき、モチベーションで働いている。
それに弱い立場の人と接することで、みんなとても優しくなるのかもしれないと思いました。
ともかくみんな良い人ばかりです。
掃除する人まで、ともかくやさしくていい人ばかりです。
性格を直すのであれば、入院ではなく、政争のありバイトがいいかもしれません。
しかし、にもかかわらず、相模原の福祉施設での事件のようなことが起こるのはなぜなのでしょうか。
どこかに大きな問題がある。

そこで思いつきですが、国会議員の条件として、2年間の病院勤務を義務付けるのはどうでしょうか。
徴兵制度が国民意識を高めた時代がありましたが、これからは病院勤務制度がいいのではないかと思います。
ちなみに、福祉施設ではだめです。
理由はそれぞれでお考えください。
質問には答えません。

ほかにも、言語に関する大きな発見?など、いろいろとありますが、きりがありません。

肝心の手術は順調だったようです。
今朝、退院の前に医師が私をチェックして、いい結果だという顔をしていましたから。
しかし、視野が広がり、世界が明るく見えるようになると期待していましたが、まださほど実感はありません。
世界があまりに暗すぎるからでしょうか。

それはともかく、しばらくはサングラスをしないと外出しにくいですが、たぶん生活は何の支障もないでしょう。
でもまあ、手術したことを口実にして、しばらく休養を取る(怠惰をむさぼる)つもりですので、この件は聞かなかったことにしてください。
さて今年の年末は、たっぷりと時間を楽しめそうです。

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■時代のスピード

この10日間ほど、まぶたの手術で入院したり、その後は、目が不自由なため世間から没交渉になったりしていました。
今日からまたいろいろと関わりのあることの活動に参加しようと思って、パソコンでいろいろとその後の動きを見てみました。
そこで10日間の空白の意味を知りました。
まったく停滞しているプロジェクトもあるのですが、大きく展開しているものもあります。
そのため、どうもついていけなくなってきています。
全体像が見えなくなってしまっているからです。
ちょっと気を許すと、もうついていけなくなってしまう。
そのスピード感に、多くの人は追いかけられているのかもしれません。
スピードだけではなく、今の時代は、ネットを活用して、プロジェクトそのものが管理不能なほどに育っていく時代でもあります。
いつの間にか、自分の居場所さえ見つけられなくなりかねないのです。

しかし、その一方で、もう一つの体験をしました。
この間、不自由な目をだましだまし、何冊かの本を読みました。
いずれも古い本です。
80年ほど前に書かれたオルテガの「大衆の反逆」
30年ほど前に書かれたベラーの「善い社会」
読んでいて、そこに書かれているメッセージが、いまの時代にも実にぴったりと当てはまるような気がしました。
目先の事象のめまぐるしい変化の一方で、社会の根幹は何も変化していない。
そんな気さえしました。

これは矛盾したことではないような気がします。
社会の本質を変えないために、目先が目まぐるしく変わっているのかもしれません。
そう考えるととても納得できます。
ベラーの「善い社会」には、すでにそうしたことへの指摘があります。
そして、その後の世界を見ていると、ベラーの期待は裏切られ、懸念が現実化しているように思えます。

時間がますます早まっているようで、肝心の大きな時間は動こうとしていない。
10日間、立ち止まって気づいたことは、こんなことです。
私は腕時計はしていませんし、時計はあまり見ません。
できるだけ私自身の時計を基準に、生きたいと思っているからです。

この10日間は、私には貴重でした。
おかげで、以前よりも、自然に生きられるようになってきた気がします。

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2016/12/25

■今年最後のオープンサロン

眼瞼下垂矯正手術の結果、どうも顔が変わったようです。
まだあまり人には会っていないのですが、みんな笑うので、評価アンケートを取ることにしました。
いままでに質問したのは3人ですが、全員、「悪くなった」と言います。
その一人は、なんだか詐欺師のような感じがすると言うほどです。
自分ではあんまり変わらないように思うのですが、別人になったという人もいます。

ところで、11月と12月はサロンをあまり開かなかったのですが、年末と年始にオープンサロンを開くことにしました。
もし気が向いたら湯島にお立ち寄りください。
拝顔のご利益は保証しかねますが、珈琲は用意しておきます。
投票もお忘れなく。
投票結果は、後日報告します。
医師にも報告します。

年末のサロンは12月28日の2~4時です。
近くに来る機会があれば、気楽にお立ち寄りください。
面識のない人も歓迎です。
もしブログを読んでいる方の中に、私と面識のない人がいたら、ぜひお会いしたいです。
場所は次のところで、出入り自由です。
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf

年明けは、1月4日と7日を予定していますが、また年明けにご案内します。

来年から、別人として再出発するかどうか、いま思案中です。

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■節子への挽歌3401:不思議な10日間でした

節子
今日から俗事再開と書きましたが、今日もまだ復帰できませんでした。
何もしないことへの誘惑に勝てなくなってきてしまいました。
それにしても、ほとんど誰にも会わず、不思議な10日間を過ごしていました。
やるべきことはあったのですが、それもすべて放置し、ただただ気の向くままに過ごしていました。
その間、実は悲しい事件も起こりましたし、誘いも受けましたが、それも流しながら、いわば「瞑想生活」のような毎日でした。
いろいろと思うこともあり、いろいろと見えてきたこともあります。
目が不自由だったのですが、何冊かの本も読みました。
考えるきっかけになった本の一つが、ロバート・ベラーの「善い社会」です。
30年ほど前に出版された本ですが、初めて読みました。
そこで驚いたのですが、私の生き方へのエールのような内容だったのです。
節子がいなくなってから、私は自分の生き方にしばしば迷うことがありますが、何かすごく元気づけられました。
そうした視点で少し自分に確信が持てると、他の本もまた、私を元気づけてくれます。

それにしても在宅でありながら、つまり特に拘束されていたわけでもないのに、これほど世間と没交渉であったことはめずらしいです。
しかも極めて怠惰に、です。
以前なら、こんなに私的に、つまり他者への配慮を全くせずに過ごしていると、罪悪感が芽生えるのですが、今回はあまりそれが浮かんできませんでした。
まぶたの手術で顔の表情が変わったから性格も変わったわけではないでしょうが、私にとってはめずらしい10日間でした。

明日からは現世復帰です。
いまのペースがまた崩れないといいのですが。

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2016/12/24

■節子への挽歌3400:Bei-Sein

節子
昨日のクリスマスは、サプライズがありました。
思いもしないプレゼントを娘からもらいました。
ちょっと人並みのクリスマスでした。
私は、プレゼントが苦手なのですが、節子とユカはプレゼント、それもサプライズなプレゼントの文化を持っています。

アウシュビッツ収容所を生き抜いた心理学者のフロイトの「夜と霧」にでてくる有名な話があります。
冬の朝、冷たい風の中を工事現場へと行進させられながら、フランクルは別れ離れに収容された妻の面影に出会い対話するのです。
臨床心理士の諸富祥彦さんは、著書に中で、「あのとき、フランクルは、妻ティリーの「もとに、実際にいた」のだと思う」と書いています。
実は、その時、すでにティリーは別の収容所で亡くなっていたのです。

フランクルの前にティリーが現れたのではありません。
フランクルが、ティリーのもとにいたのだ、というのです。
認識する者自身が現に他の存在者のもとにあるという実存的認識。
そうした人間精神の「志向性」を、フランクルは、Bei-Sein(バイ-ザイン)と表現しています。
「…のもとにある」ということです。
フランクルは、わかれた妻のもとにいる、ということでしょうか。

フランクルは、人生の意味に関して、立脚点の反転をすることで有名ですが、ここでも同じような立脚点の反転があります。
愛する人を身近に感ずるのではありません。
自らが、愛する人のもとにある。
あるいは「神のもとにある」。
神のもとにあることで、人はどんな場合にも心の平安を得られるわけです。

フランクルが生き抜いたのは、数々の奇跡的な幸運に恵まれたからですが、
その幸運を呼び寄せたのは、フランクルの心の平安に由来する楽観思想だったのではないかと思います。
フランクルは、生き抜くべく生き抜いたのです。

昨夜、深夜の3時過ぎに目が覚めました。
真夜中に目が覚めることは、よくあるのですが、その時、いつも節子の気配を感じます。
時に、そこで呼び起されることがある。
昨夜も眠れなくなってしまいました。
その時、ふと頭に浮かんだのが、フランクルのBei-Seinという言葉でした。

この数日、なんとなく節子のもとにいる自分を感じます。
まるで彼岸にいるような日々でした。
さて、そろそろ此岸に戻りましょう。
ユカからのプレゼントが、その気にさせてくれました。

明日から、俗事を再開します。

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■節子への挽歌3399:何もない10回目のクリスマスイブ

節子
相変わらず世間との没交渉の毎日が続いています。
電話やメールは毎日あるのですが、人に会うことはありません。
こうした生き方に慣れてしまうと、もう抜け出せなくなるのかもしれません。
困ったものです。

娘たちが近くのショッピングモールに出かけると言うので、私も同行することにしました。
病院以外の遠出は初めてです。
なにしろ相変わらずコンタクトレンズをしていないので、世界はいまなおぼやけています。
しかし、考えてみれば、これを常態と考えれば、何の不便もないはずです。
人はなんとぜいたくなことか。
与えられた条件の中で生きていくことを思い出さないといけません。
同時に、いかに私自身がさまざまなものに支えられて生きているかを知るチャンスです。

ついでに食事もすることにしました。
世間はクリスマスや忘年会の季節ですが、そうしたことは無縁になってから、もう10年も経ちます。
そういえば、今年は節子がいなくなってから10回目のクリスマスイブです。
言い換えれば、何もない10回目のクリスマスイブです。

たぶん今日の夕食も、わが家にはケーキはないでしょう。
娘が、数日前から玄関に木製のトナカイとソリの置物を置いていますが、なぜか今年は、いつもそこに乗っているサンタクロースがいません。
娘になぜか質問はしていませんが、まあ娘もそんな気分なのでしょうか。

とてもよく晴れたあったかな日です。
いささか内向きになっている気分が、変わるといいのですが。

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2016/12/23

■カジノ法を成立させたギャンブラーたち

先週、目の手術で入院していました。
総合病院だったので、いろんな人が入院していました。
自分で食事のできない人も、さわいで看護師をてこずらせる人もいました。
改めて社会の実相を考える、いろんな刺激をもらいました。

私の隣のベッドは、糖尿病の人でした。
屋外の警備員をしている68歳の男性ですが、一人住まいです。
海外に近いビル街での警備活動をしていて、体調がおかしくなり、病院に来たらすぐ入院。もう少し遅ければ人工透析になった恐れもあったそうです。
真面目に毎日働いて、月収は12万円。
唯一の楽しみは競馬と競輪だったそうですが、最近は収入が少なくそれもなかなかできないそうです。
それに、最近の競馬は、お金持ちたちが儲けられる仕組みができあがってしまい、情報不足の個人では、なかなか当てられなくなってしまったと嘆いていました。
それはともかく、その人は一時期かなりの生活をしていたようですが、いまは月収12万円で、入院費も仲間が支援してくれるのを待っている状況です。

私が入院中に若者が見舞いに来ていました。
その一人が、今度の競馬の予想を「あんちゃん」に聞きたくてと話していましたが、彼は、競馬を薦めないばかりか、パチンコもやめた方がいいと諭していました。

見舞客が返った後、私と競馬の話になりました。
今の競馬界への彼の怒りをだいぶ聞かされました。
競馬をまったく知らない私にも理解できる内容でした。
現場の人の話は、分かりやすくて説得力があります。

最後に彼は吐き出すように言いました。
ギャンブルは、勝っても負けても抜け出せなくなる。
そして生活を壊していく。
政府がカジノ法をつくって、ギャンブルをさらに広げようとしているのは許せない。
そういえば、彼は見舞客の若者にも、ゲームセンターの怖さも婉曲的に話していました。

退院してから、カジノ合法化を目指す「カジノ解禁法」が強行採決されてしまったことを知りました。
カジノやギャンブルが寄与する経済成長の意味など、彼らはまったく解することはないでしょう。
そこまでの知性は望まないとしても、わが入院仲間のような真面目に生きている人の声をもし聞いていたら、少しは考え直す気になったかもしれません。
カジノ法に意味があるような話をしている人をみるたびに、その糖尿病患者の顔を思い出します。
国会議員や「有識者」にも、彼ほどの「知性」を持ってほしいです。

国会議員は、今やカジノのギャンブラーのような生き方をしていますので、さほどカジノへの危機を感じないのかもしれませんが、ギャンブルの意味をもっと誠実に考えてみてほしいものです。

昨日、古い西部劇の「帰らざる河」を見ました。
アメリカは、どこで道を間違えてしまったのでしょうか。

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2016/12/22

■節子への挽歌3398:外見が10歳ほど若返ったそうです

節子
今日は手術後の抜糸のため、病院に行きました。
高久医師も満足する結果になったようで、良かったです。
10歳は若くなったと高久さんも看護師も言っていましたが、どうも顔の雰囲気は変わっているようです。
娘たちも別人のような感じだと言っています。
節子が見たら、たぶん大笑いするでしょうが。
しかし、私が鏡で見る限り、あんまり変わり映えはしないのですが。

いろいろな障害は次第におさまっていくようです。
視界は開け、世界は明るくなったはずですが、なにしろこの数日、コンタクトをしていないので、むしろ世界はもうろうとしています。
今日も医師から、当分はメガネを使ってくださいと言われましたが、メガネは持っていないのです。
メガネを持っていないと返事をしたら、医師も驚いていました。
友人は、メガネなんか安いから買ったらと言いますが、安いから買うという発想は、私の信条には合いません。
それに私の収入状況では、安いものなどひとつもないのです。
もうしばらくこのまま、もうろうとした世界で過ごそうと思います。
それもまた面白い。

退院後、すぐ入浴したのはやはりよくなかったようですが、
結果的にはまあ順調に回復です。
なぶたの腫れは1か月ほどはつづくだろうと言われました。

抜糸は、あっけないほどあっけなく、しかも治療費は80円でした。
入院費用も予想以上に安く、間違っていないですかと訊いたほどです。
日本の医療費はやはり安いですが、そのおかげで私のような低所得者も心配なく病院に行けるわけです。
もっともその細目を見たら、ちょっと問題を感ずることもありました。
たぶん医療費体系に産業界の影響が働いているのでしょう。
しかし、汗している医師や看護師がきちんと報われるようにしなければ、医療体系は崩れていくのではないかと心配です。
まあそういうことを考えるのが、私の「悪い癖」なのですが、これでとりあえず手術は完了です。

さて、10歳ほど若返った顔のお披露目をしなければいけません。
みんなに、ビフォアとアフターの評価投票をしてもらおうかと考えましたが、
娘に話したら、相手にもされませんでしたので、やめることにしました。
それは良いとして、いまも鏡を見たのですが、どうしてみんな「別人」になったようだとか、「若返った」とかいうのでしょうか。
私にはどう考えても、そうは見えないのです。

人は、世界を自分の意識で創りだしています。
いまの私の視力は、たぶん0.1くらいで、しかも乱視がかなり強いので、世界はもう極めて粗雑にしか見えません。
その粗雑な低画素映像を、脳が編集し、高画質の世界にしてくれているわけです。
私は長いこと、多くの人よりも低画質な映像素材をもとに編集してきたおかげで、普通の人よりも編集能力が高くなったと考えるのはどうでしょうか。
そのおかげで、逆に普通の人には見えない世界まで見えていた。
そう考えることにしました。

今日も、鈴木さんから「第3の眼が開いた佐藤さんとお話しするのが楽しみです」とハガキが来ました。
残念ながら、今回の手術で、むしろ「第3の眼」は退化し、ますます凡庸になってしまうかもしれません。
それもまた、幸せなのかもしれません。
見えないほうが幸せであることも多いです。
最近の世界は、まさにそんな感じがします。

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2016/12/21

■「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」

7年前に島根で起こった殺人事件の犯人が確定したことで、遺族の方が「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」と話していました。
「なぜ後を絶たないのか」。
よく耳にする言葉です。
しかし、その「なぜ」がきちんと考えられることは、あまりありません。
みんな、その言葉にうなづきながらも、「なぜ」を考えない。
だから、この問いの答えは明らかです。
このような事件が後を絶たないのは、誰も「なぜ」を考えないからです。
むしろ、同様な事件を誘発するようなことばかりしているのが、いまの社会のような気がしてなりません。
かなり厳しい言い方になりますが、当事者もまたその例外ではないことも多い。

ところで、「このような事件」とは、不条理な殺人事件だけではありません。
なぜ繰り返されるかと思われるような「このような事件」はたくさんあります。
子どもたちの自殺や「いじめ」と称する暴力行為も、後を絶ちません。
政治家の嘘も後を絶たなければ、報道の偏った編集報道も後を絶たない。
沖縄では、相変わらずの事件が繰り返されています。
原発事故はまだ「再発」していませんが、いまのままでは「後を絶つ」ような状況にはありません。
世界では、不幸な自爆「テロ」事件も広がっている。

「なぜ」をどうして考えないのか。
それは、原因は社会の制度や文化、あるいは自分とは別の世界にいる人たちにあると考えるからではないか、と私は思います。
ロバート・ベラーは、30年程前に出版した「善い社会」のなかで、「自らの社会の制度について考える私たち自身の能力を高めないことには」、「善い社会」は実現しないと書いています。
もし30年前のアメリカの人たちが、ベラーの警告に耳を傾けていたら、いまのようなアメリカにはなっていなかったかもしれません。
9.11も、たぶん起きなかったでしょう。
ベラーの警告は、いまの日本社会にもぴったりと当てはまります。

私はこの30年近く、さまざまな社会の問題に取り組む現場の人たちと、ささやかにお付き合いさせてもらってきています。
子どもの問題、高齢者の問題、障がいのために生きにくくなっている人たちの問題、自殺の問題、認知症の問題、メンタルヘルスの問題、…。
問題は違っても、「なぜ」を繰り返していくと、みんな同じところに行きつくような気がします。
それは、私たちの生き方です。
簡単に言えば、私たち一人ひとりの生き方が、「後を絶たない」問題を生み出している。
私たち一人ひとりの生き方が、社会をつくりだしているとしたら、そこで起きる「問題」に無関係な人などいるはずもない。
自分の生き方が、誰かを追い込み、誰かを不幸にしていることはないのか。
自分の生き方を変えることなく、社会に疑問を投げかけても、何も変わるはずはないのです。
「なぜ」を問うのであれば、まずは自分の生き方から問うのがいい。

私は、こうした言葉を聞くたびにそう思い、生き方を問い直すようにしています。
できることはたくさん思いつきます。
昨日よりも、もっとゆっくり歩くだけでもいい。
エレベータで乗り合わせた人に声をかけるだけでもいい。
気になっている人に、電話するだけでもいい。
物やお金への執着を少しだけ弱めるのでもいい。

「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」と問いかけるだけでなく、
「このような事件が起きないように、自分にできることは何か」を見つけ、実行する。
「問い」は、「行動」につなげたい。
それぞれがそうしていったら、いろんなことが「後を絶っている」社会になるのではないか。
そう確信しています。

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■節子への挽歌3397:読み合う関係

節子
目を使わないほうがいいのでしょうが、結局、昨夜も本を読んでしまいました。
入院中に、オルテガの「大衆の反逆」を読み終えていたのですが、昨日は入院前に読みだして止まっていた「向う岸からの世界史」を読みました。
1948年のウィーン革命に関する書ですが、西欧史学の翻訳的な研究ではない、独自の視点からの論考です。
なぜこの本をまた読む気になったかと言えば、それは「大衆の反逆」に19世紀にヨーロッパは変わったというオルテガの指摘に、この本を読もうと思った時のことを思い出したからです。
まあこの辺りは、時評編のテーマです。
しかし、節子は、こうした話し相手にはいつもなってくれました。
ただただ聴く一方でしたが、人は聴いてくれる人があれば話せますし、話していると考えることができます。
いまはそうした相手がいないのがさびしい。
本を読んでいても、考えは動き出しません。

不思議なもので、別に意識したわけではないのに、読んでいる本がつながってくることがあります。
たとえば、机の上に取り残されていた「善い社会」という、20年以上前の本を最初の部分だけ読んだのですが、これもまさにオルテガの問題提起につながっている気がしました。
字が小さく分厚いので躊躇はありますが、今日から読みだすつもりです。

短い期間でしたが、世間と遮断され病院にいたおかげで、生き方を少しだけ相対化することができました。
最近の私に欠けていたのは、もしかしたら、自らを相対化するための時間だったのかもしれません。
本を読むことは、自分を相対化する機会を与えてくれますが、自分に都合のいいように読み解いてしまうことも可能です。
その時、思ってもいない視点からの問いを出してくれる人がいないと思考は広がりません。

節子との会話は、いまとなって思えば、とても創造的でした。
いつも、私の独りよがりの世界を相対化してくれました。
節子はウィーン革命などは知らなかったでしょう。
本もあまり読まない人でした。
しかし、節子の病気が再発し、ほぼ寝たきりになった時、私が隣で、ネグリを読んでいるのを咎めたりはしませんでした。
節子は、私が本を読み、自然を読み、寺社を読むのとは違う形で、世界を読んでいたのです。
私を読んでいたのかもしれません。
私もまた、節子を読んでいた。

そんなことをお互いに意識したことのないまま、その関係は終わりました。
読み合う関係だった節子はいなくなってしまった。
大切なことは、往々にして、なくなってから気づくものです。
でも、だからといって、遅すぎたわけではありません。
その価値に気づくことができれば、世界は変わります。
そして、気づいた価値は、消えることはない。

今日は、節子の位牌の横で本を読もうと思います。
もっとも天気がとてもいいので、庭の掃除をしだしてしまうかもしれません。
節子がいたら、必ずそうするでしょう。
節子的に過ごすか、私的に過ごすか、まあ成り行きに委ねましょう。

久しぶりに、ベランダに布団を干しました。
入院したということが伝わったおかげか、電話もあまりなくなりましたし、メールも少ないです。
ニュースも最近はあまり見ていませんし、世間から離れていると、太陽の陽を素直に受けられます。

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2016/12/20

■節子への挽歌3396:幸せな別れ

節子
まだ手術の影響で、目が自由ではありません。
そこで今日は、ユーチューブで、
「生きているということは」と「生きるものの歌」を、
いろんな人の歌で聴いていました。
さだまさしさんのものが、私にはなぜか落ち着きますが、他の人のものも、それぞれに感ずるものがあります。

それぞれの歌詞の最初の部分だけ書きだしてみます。
歌で聴くのと、文字で見るのとでは、また違った感じ方がします。

〔生きているということは〕
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返していくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう

〔生きるものの歌〕
あなたが この世に生まれ
あなたが この世を去る
わたしが この世に生まれ
わたしが この世を去る
その時 涙があるか
その時 愛があるか
そこに 幸せな別れが 
あるだろうか

「生きているということは」の歌詞は、私が心がけている生き方です。
できているかどうかはともかく、心がけていることは間違いありません。
こういう生き方をしていると、とても生きやすいのです。
しかし、節子が私にしてくれたことを、私が誰かにしているかと言えば、いささか自信はありません。
相変わらずまだ、節子に目が向きすぎている気がしないでもありません。
今日、この歌を何回も繰り返し聴きながら、それに気づきました。

「生きるものの歌」も繰り返し聴いていて、あることに気づきました。
それは「幸せな別れ」ということです。
節子はおそらく「幸せな別れ」を体験したのではないかと思っています。
「幸せな別れ」には、「愛」と「涙」が必要なように、悲しさや寂しさは不可欠です。
しかし、もっと不可欠なのは、「愛」と「涙」を伴う「別れの相手」です。
「別れ」は一人ではできません。
とすれば、9年前に、私もまた「幸せの別れ」を体験しているわけです。
それがあればこそ、いまがある。
そう考えると、いろんなことの意味合いがまた変わってきます。

この2曲だけを繰り返し2時間も聴いていたせいで、またいろんな気付きがありました。
まだまだ私には世界が見えていないことがよくわかります。

しかし、おかげで目を休めることができました。
もう読書をしても大丈夫でしょう。
入院前に読みだして止まっていた「向う岸からの世界史」を読了しようと思います。
入院中にオルテガの「大衆の反逆」を読んでいて、やはりこの本を読みたくなったのです。
19世紀のヨーロッパのことをもう少し知っておかないと、現在の世界の状況はわからないような気がしてきたのです。

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2016/12/19

■節子への挽歌3395:居場所がないのではなく、自分がいないのだ

節子
まあ昨夜から今日にかけて、いろいろとありましたが、ほぼ落ち着きました。
FBではたくさんの人がエールを送ってくれ、大事にしろとか無理をするなと言ってくれますが、まあそれはそれとして、むしろ心にひびくのは、お互いもうぼろぼろだからね、とかもうそろそろ終わりだよ、と言われた方が心にはすとんと来ます。
そう言ってきたのは、小宮山さんと武田さんですが。
まあふたりとも、私と同じでそろそろ終わる仲間ですから、よくわかっている。
身体は朽ちるものであり、死は本人にとっては決して悲しいものではないのです。
節子が、もうそろそろ逝ってもいいかと言っていた言葉の意味が最近ようやく心に落ちてきました。
人は、自らのために生きているのではないのです。

ところで、たぶん今日も、病院では私がいた時と同じような時間が進んでいるのでしょう。
そう思うと、とても不思議な気がします。
人は空間を生きているのではなく、時間を生きているというようなことを、ヴィクトール・フランクは書いていますが、時間と空間は同じものかもしれません。
しかし、いまもあの「病院の時間」は、同じように進んでいて、そこにいる人たちを支えているわけです。
その場所から移れたことを、活かさなければいけません。
それが退院したものの考えることなのでしょう。
人の居場所とは、どこなのか。
これは実に面白いテーマです。
今まで「居場所がない人が多い」と、軽々に考えていましたが、それは間違いだったことに、この数日の体験で気づきました。
「今ここ」が、居場所だと考えれば、居場所のいない人などいない。
問題は「場所」ではない。
やっとそれに気づきました。

なにやら小難しいことを書きましたが、今日は実は何もできずにいろいろと考えていたのです。
退院時にもらった注意書きを忘れていて、今日になって読んだら、入浴はやめろとかいろいろと書いてありました。
昨日は、帰宅後すぐに入浴し、目をつかいすぎてしまい、ちょっと問題を起こしていたので、今日は瞑想の日にしたのです。
その瞑想の結果の気づきが、「居場所がないのではなく、自分がいないのだ」と言うことです。
まだ仮説でしかないのですが。

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2016/12/18

■節子への挽歌3393:退院しましたが、正常化はまだ先です

節子
入院生活も終わりました。
たった72時間でしたが、まあいろいろとありました。
朝、高久医師から目の開け方などの指導を受け、いくつかの注意事項を聞いて退院。
ユカに持ってきてもらったサングラスをかけての帰宅でした。
久しくしていなかったサングラスが役に立ちました。

顔の表情は変わりましたが、まぶたが腫れているので、実にこっけいです。
漫画に出てくる登場人物のようです。
節子がいたら、腰を抜かすほど笑ったでしょう。
私の前歯が抜けてしまった時ですら、心配する前に、しゃがみこんで笑いころげていましたが、今回はそれ以上です。
修は目よりも鼻の穴のほうが大きいといつも笑っていましたが、この顔を見たらどう言うでしょうか。
今回は瞼をあげてもらっただけなので、目が大きくなったわけではないのですが、瞼が二重になったのです。
ビフォアとアフターの写真をアップすればわかりますが、鑑賞にたえる顔ではないのでやめます。

それはいいとして、退院したとはいえ、こんな表情では外出もできません。
孫がきてもおそらく怖がって泣き出すでしょう。
それにまだ冷やさなければいけません。
抜糸は一週間後。

これからの人生が楽しみです。
何か変化があることを期待したいです。
ちなみに、読書がしやすくなったという実感はまだありません。
なにしろまだ瞼が熱を持っていて、実に鬱陶しいのです。
年内は自宅待機ですね。
いつもとは違う年末です。
これもまた楽しみですね。

久しぶりに節子にお線香をあげました。
さて今日は何をするか。
先ずは久しぶりに入浴して、たまっていた新聞を読み、それから考えましょう。

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2016/12/17

■節子への挽歌3393:人生を聴いてもらえることの幸せ

節子
入院生活ももうじき終わりの3日目の夕方です。
今日は土曜日なので、同室のお二人にはいずれも親戚の見舞客がありました。
私は目を冷やしながら横になっているだけなので、話が自然と入ってくる。
もっとも、お一人のほうは地元の方のようで、家族同士の話はどうも方言的でよく聞き取れません。
意味もあまりわからず、雰囲気だけです。
しかも、患者の方は耳が遠く、看護師さんとのやりとりも時々すれ違います。
なんとなく聴いていても、きちんと会話が成り立っていないような気もします。
しかし、3人の会話は言い合いながらも実に楽しそうです。
奥さんが「あんたがいないので喧嘩ができない」と笑いながら話していました。

もう一人のほうは、久しぶりに会った様子の若い人がやってきました。
その2人を相手に昔話や今の話を一気呵成に話していました。
それが実に楽しそうなのです。
ここではあまり紹介できませんが、波乱万丈ともいうべき、ドラマティックな話です。
ちょうど佳境に入った時に、さらにたくさんやってきて病室に収まりきれなくなったため、みんなでロビーのほうにいったため、続きは聞けませんでした。
いささか残念。

後者の人は、いま一人暮らしです。
お話からいまの生活状況が、月収から余暇の使い方までわかりましたが、それはともかく、これまでの人生を話すようすが、となりで聞いていて、手に取るように伝わってくる。
人生を語る相手に久しぶりに会ったような感じです。
一人暮らしだと、なかなかそういう機会はないのでしょう。
人生を共にする相手がいなくなったとしても、人はやはり、人生を聴いてくれる人が必要なのです。
面会から戻った隣人は、とても幸せそうです。
血糖値までいつもより低くなっていました。

ちなみに、私のところには誰もお見舞いはありませんでした。
人生を語る相手もいないまま、入院3日目を過ごしています。
高久医師が先ほどやってきて、順調だと言ってくれました。
本を読んでもいいそうですが、
これからさらに腫れは大きくなるそうです。
冷やすべきか、読書すべきか、それが問題です。

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■挽歌番外編4:入院3日目の憂鬱

暇なので、今朝も書きましょう。
今は入院3日目の朝。
とてもいい天気で、ロビーからは富士山も見えます。

手術してから20時間ほど経過。
痛みも腫れもあまりありません。
張り合いがないのですが、そのせいか、看護師も今やもうあまりやってきません。
それで今はアイスノンがあったかくなったら自分でもらいにいかないといけませんが、逆にいえば、勝手に読書もできるわけです。

昨夜はしかし、腰が痛くて眠れませんでした。
そのためか、今朝の検温では37度の微熱で、腰だけではなく身体全体が不調です。
まさか風邪ではないでしょうね。
困ったものだ。

病院で学べることはたくさんあります。
昨日は「論理の言語(語る言語)と生活の言語(話す言語)」の違いに気づきましたし、「支え合いの文化」はまだまだ根強いことも確認できました。
この2つは、同質の患者さんとその見舞客のやりとりなどからの
看護師は1日2回交代ですが、それぞれ違います。
カウンセリングでかなり状況は変わるだろうななどと思ってしまいます。
システムのすごさも改めて体験しました。
大切なのは、そのシステムに使われることなく、使い込むことでしょうが。
食事は1日1850カロリーの食事ですが、お腹が減ります、
私は基本的に質素な食事をしていますが、それでも2日間の病院食を食べていると贅沢食だと思えてしまいます。
病室は完全に無防備なので、相模原の施設で起こったような事件は防ぎようはないでしょう。
病院でベッドに一人で座っているととても不思議な時間の進みを感じます。
パルミラでは今も戦闘がつづいているのでしょうか。

節子も何回も入院しましたが、どんなことを考えていたのでしょうか。
さて少し休みましょう。

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2016/12/16

■挽歌番外編3:手術は無事終了

手術室での体験は、面白かったです。
手術台はまさにテレビの世界で、今回は4人のチームでした。
所要時間は1時間半。
後半は麻酔が弱かったのか、かなり痛かったです。

手術中は基本的に目を閉じているので、様子は見えませんが、言葉の端々で進行状況もわかります。
高久さんが話してもいいですよというので、最初の質問が、ずっと気になっていた「バチバチ」という音です。
止血のためのレーザーでした。
あんまり関係ないですが、徳島大学なのに関東風の語調なので、それも質問。
やはり神奈川出身でした。
余計な質問もしました。
医師と看護師のモチベーションみは何ですかという、いささか失礼ながら、ずっと気になっていることです。
少しして、手術が自分の思い通りいった時の満足感ですね、と答えてくれました。
手術後の私の目を見てそう言ってくれましたので、私の手術は成功だったわけです。

さて問題はその後です。
目を覆われたまま車椅子で病室に戻り、ベッドに横になりました。目はアイスノンで冷やしているので、自由に動けません。
夕方になって腰が痛くなり、どうしようもありません。
やっと入院の気分ですが、看護師はみんな忙しそうなので、自分で解決しなければいけません。
ベッドに座って座禅を組むような形でいたら、高久医師が入ってきました。
もちろん見えませんが。
痛みはないかと訊かれましたが、まあほどほどの痛さですので、ないと答えました。
痛みは今がピークだそうです。
ちょっと張り合いがないと思ったのですが、
続けて先生は、笑いながら、これからまぶたがどんどん晴れてくるので、楽しんでください、と言います。
明るくて実にいい。
楽しめるといいのですが。

まあこれだけカジュアルだと、目を使ってもいいでしょう。
というわけで、こっそりとアイパッドを使い出しました。
ただしネットにはつなげられませんが。
でも考えたらほうさくはありそうです。

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■挽歌番外編2:入院2日目の朝

今日は手術日です。
朝、6時起床。

となりのベッドの川村さんは、警備のお仕事をされていますが、海沿いの寒いところで仕事をしていたら、急に笛が吹けなくなったのだそうです。
一昨日病院にきたら、即入院。生まれてはじめての入院だそうです。
カーテン越しの会話ですが、いろんな物語が描けます。

前回の入院時もそうでしたが、病院からも社会は見えてきます。
そういえば、前回の入院時に会った、あの若い美容師は元気でしょうか。
私は、一度でも会うと、誰とでもずっと付き合いたくなる性向があるのです。
彼が渡してくれた勤務先にメールしましたが、返信はありませんでした。
どうも私の性向はかなり特殊のようです。

さて今日は、9時に手術室に入り、手術です。
血圧検査にきた若い男性の看護師遠藤さんが、緊張していますかと訊ねてきましたが、手術なので緊張すべきかもしれません。
しかし、どうも実感がない。
と思っていたら、今度は別の看護師が来て、点滴の準備をしてくれました。
手術中は点滴をしているのだそうで、だんだん手術の状況ができてきて、ちょっとずつ緊張感が高まります。
今回は部分麻酔ですので、家族の同伴はやめ、私一人で病室に向かいます。
朝食も終わったので、そろそろ「お迎え」がくる頃です。

これからしばらくは、目が使えなくなるので、書き込みがなくなります。
では新しい 体験の始まりです。

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2016/12/15

■節子への挽歌3392:それぞれの時間

節子
入院中ですが、もう一度書くことにしました。
なにしろ時間を持て余していますので。

やはり4時間の時間は長い。
日常生活だとあっという間なのですが。
それで気づいたのですが、時間の進み方がここでは明らかにゆっくりなのです。
同じ世界に住んでいるのでそんなはずはないと思ってしまいがちですが、75年も生きていて、ちょっとだけ多次元的に生きられるようになってみると、それはそう不思議なことでもないのです。
時間は、人によって、場所によって、状況によって、速さが変わるのです。

さてそこで気づいたのが、やはり節子のことです。
節子は、手術の前後は病院でしたが、基本的には在宅でした。
しかし、私と節子との時間の進み方はちがっていたのです。
当時、それに気づかなかったのはやはり悔いが残ります。

つまりこういうことです。
時間はそれぞれ人によって進み方が違う。
大切なのは、自分の時間を相手に押し付けるのではなく、相手の時間に沿って自らの時間を生きなければいけないということです。

節子が元気な頃、節子にも話しましたが、脳梗塞の後遺症が残り身体が不自由になった秋山さんが、身体的な障害のある人たちの働く場をつくりたいと相談に来たことがあります。
ささやかにその活動を支援したのですが、ある時にハッと気づきました。
私の時間速度と秋山さんの時間速度が違うことに、です。
秋山さんは私に合わせようとがんばっていたのです。
それからはの時間に合わせるように努力しました。
彼の主催するワークショップにも参加しましたし、彼のオフィスのある館山まで秋山さんに会いに行ったこともあります。
そのたびに、私だけではなく、たぶん世間の時計と秋山さんの時計は違っているので、とても苦労していることが伝わって来ました。
秋山さんは、節子の葬儀にもわざわざ来てくれ、最後までずっと見送ってくれました。
そういえば、最近、連絡がありませ
退院したら連絡してみようと思います。

ここまで書いていたら、突然、明日、手術してくれる高久医師が来てくれました。
何か気になることはありますかと、また訊かれました。
すべてお任せしますと素直に答えました。
節子もそうしていたように。
高久さんは、世界がよく見えるようになりますよ、と笑顔を送ってくれました。
高久さんは徳島大学出身だと病院の掲示板に書いてありました。
先ほどの病院内探索活動で得た情報です。
どなたか知り合いの方はいませんか。

間もなく夕食です。
お腹が減ってきました。
インターネットはできませんが、携帯電話のCメールがいくつか届いていました。
市議会議員からの留守電もありました。
世間ではいつものように時間が進んでいるようです。
今日、湯島でもあるプロジェクトが大きく羽ばたいているはずです。
何か天上界にいるようで、これもまたいいです。
祐滋さんたちがサダコ鶴を持って真珠話に行くそうです。
世界が変わり出すかもしれません。

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■挽歌番外編1:入院初日

節子
今日から人生2度目の入院です。

朝10時に病院に到着。手続きをして、病室にはいりました。
4人部屋です。
担当は今年看護師になったSさん。
ちょっとまだ慣れていない感じはしますが、さわやかのがいいです。
新入の看護師をみるとその病院の実態が伝わってきます。
この病院はいい病院です。きっと。いや、たぶん。
時に間違った説明もありますが、まあ周辺的などうでもいいことなので、逆に気が緩みます。
入院計画表によれば、今日の目標は「手術に関連した不安を表出できる」とありますが、そのためにはむしろいいことかもしれません。
しかし、この目標はちょっと意味不明です。
それにないものを表出するのもむずかしい。
しかし、手術には何が起こるかわかりませんから、こうした無為の一日は必要なのでしょう。

今日は何もやることがないそうなので、外出してもいいかと質問しましたが、駄目だそうです。
しかし、黙って外出してもわからないでしょう。
まあその可能性を残すために、病院衣に着替えるのをやめて、普段着のまま今日は過ごすことにしました。

明日の午前中に手術ですが、手術後48時間はクーリングのため、目が覆われるそうです。
真っ暗な世界を2日間彷徨するわけです。
これは新鮮な体験になるでしょう。
順調であれば、日曜日には退院できるそうです。

それにしても何もやることがない。
昼食後、病院内を探索。
でもあんまり面白くありません。
大きな病院ですが、どこも人があふれています。
いつもながら、この風景には異様さを感じます。
一方、病室の静けさは、これと対照的です。
実に静かで、時間が止まっている。
一種独特の静寂、気だるさを感じます。

隣のベッドの人が、トイレやお風呂やお茶の場所を教えてくれました。
入院患者には不思議な親近感をお互いに感ずるものです。
世界丸ごとがいまは病院のように病んだ人ばかりになっているのに、なぜ世界には親近感が生まれないのでしょうか。

どこかでWi-Fiが使えないかと訊いてみましたが、院内は使えるところがないそうです。
職員用の使える場所はあるそうですが、そこを使わせてもらえないかとはさすがに頼めませんでした。
それでオフラインで、書いておくことにしました。
あんまり本も読めないと思い、出掛けに机の上にあった、読みかけの文庫本を一冊だけ持ってきました。
オルテガの「大衆の反逆」。
若い頃に読んだ本ですが、先日主催した民主主義をテーマにしたフォーラムで話題になった「愚民」論に改めて読み直す気になったのですが、途中で止まっていました。
読みだしたのですが、何時の間にか眠ってしまいました。
目が覚めたら、外はもう薄暗く、寒そうなので外出はやめることにしました。
そんなわけで、病院衣に着替え、いまから晴れて入院患者です。
でもまあ、今日はまだ消灯まで4時間以上もある。
時間がないのも大変ですが、時間があるのも大変なものです。
人間のわがままさがよくわかります。

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■節子への挽歌3391:これから入院です

節子
今日から入院です。
前から決まっていたのですが、眼瞼下垂の手術なのです。
昨夜も遅かったので、前日に一応の入院準備はしていましたが、準備がうまくできているかどうか心配です。
こういう時には、改めて節子のありがたさがわかります。
これから娘に病院まで送ってもらいます。

今回は目の手術なので、入院中、何をしたらいいかわかりません。
2日間は、まぶたが腫れあがり、目を冷やし続けなければいけず、目は全く使えないでしょう。
大きな晴れは週間くらいで引くらしいですが、元に戻るまでには1~3か月かかるそうです。
その上、顔の表情が一変するそうです。
そろそろ飽きだしている、この性格も一変するといいのですが。

毎年、年末には恒例の読書があります。
塩野七生さんの「ギリシア人の物語」を出版後、すぐに読み終えるのが習慣です。
今年は実行できるでしょうか。
まあ、しかしそんなことは些末なことであって、年内にやらなければいけないことが山ほどあります。
しかしここに至っては、いかにあがいても無理なので、むしろ目の手術をしたのでできなかったということにするのが一番いいでしょう。
それでこの数日、ほとんどすべてを放置していました。
これはまあ関係者には内緒なのですが。
ご迷惑をおかけする人があるでしょうが、まあそれが人生です。

一昨日、歯医者さんに行きました。
最近は歯医者さんでも治療の前後に血圧をはかります。
高血圧の人は治療中におかしくなることがあるのだそうです。
となると、それよりもちょっと過激な眼瞼手術はもっと可能性があるかもしれません。
それもまた、楽しみです。
でもまあ死ぬことはないでしょう。
自分が死ぬ時期くらいは、わかるでしょうから。
ただし、節子が呼び寄せるようなことがあれば、話は別ですが。

さてさてどうなりますことか。
ではしばらく挽歌は書けませんが、行ってきます。

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■第2回まちづくりサロン報告

第2回まちづくりサロンは、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンの副代表理事である、池本修悟さんにお招きして、ミニワークショップも体験しながらのサロンになりました。
参加者は14人という大人数でしたが、池本さんのリードで、ワークショップも盛り上がりました。
コミュニティ・オーガナイジングは、課題に直面した人たちが、自ら立ち上がって状況を変えていくための方法です。

池本さんは、まずそうした「オーガナイジング」の根底にある考え方を、事例も含めながら、わかりやすく説明してくれました。
出発点は、「私の課題は何か」ではなく、「だれが私の同志か」です。
当然、課題設定も、「私の課題」ではなく、「私たちの課題」となりますが、ここにポイントがあります。
実際にまちづくり活動(組織変革でも同じですが)に取り組んでいる方は、個々人の課題ではなく、「私たちの課題」にしていくことで、状況が全く変わることを経験されていると思います。
そして、「同志」(仲間、あるいは当事者たち)が持っている広義の資源を共有化し、創造的・創発的にパワーに変えていくのです。
つまり、人々の関係性を高め、人々の持っているさまざまな力をパワーに変えていくことで社会に変化を起こしていこうという考え方なのです。

具体的には、パブリック・ナラティブ(みんなで物語る)を基本に置いたワークショップなどで、共有価値を核にしたコミュニティをオーガナイズしていくのですが、そうして生まれたコミュニティは、持続的で能動的な課題解決のもっているわけです。
ちょっと理屈っぽい説明になってしまいましたが、池本さんはアメリカや日本の事例も紹介しながら、わかりやすく説明してくれました。

後半は、パブリック・ナラティブを構築するための3つの要素の入り口である、「ストーリー・オブ・セルフ」のミニワークショップを4つのグループに分かれて行いました。
参加者それぞれが、自らの価値観を語り合い、相互にコーチングしあいました。
ミニワークショップとはいえ、実際に体験するといろんな気付きがあります。
価値観を意識したストーリーを語るわけですから、自らを問い直すことにもなりますし、生々しい話も出てきて相互の理解度もずっと深まります。
その入り口を、それぞれに体験させてもらいました。

最後にみんなが一言ずつ感想を言い合って、刺激的なサロンを終わりました。
なお、コミュニティ・オーガナイジングについては、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンのホームページをご覧ください。
http://communityorganizing.jp/

最後に私の感想です。
池本さんは、コミュニティ・オーガナイジングのモデルは日本にもあるという、提唱者のガンツ博士の話を紹介してくれました。
たしかに日本の一昔前までの文化には、コミュニティ・オーガナイジングに通ずるものがあったように思います。
しかし、同時に私は、アメリカこそ、こうした理念で建国され、発展してきたように思います。
19世紀のアメリカの見聞記をまとめたトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」には、そうした事例がたくさん出てきます。
当初のタウン・ミーティングはまさに、コミュニティ・オーガナイジングでした。
しかし、20世紀にはいり、アメリカの社会は大きく変質しました。
1980年前後のアメリカ人の価値観を200人を超す人たちのインタビューによって調査したロバート・ベラーの「心の習慣」によれば、すでに当時、そうした文化は消え去っていたようです。
そして、それに抗うように、いままた個人の価値観、つまり生活に戻って、社会を捉え直そうとする動きが広がっている。
そこから、私たちが学ぶことはとてもたくさんあるように思います。
国家のあり方(つまり政治のあり方)もまた、それと無縁ではないように思います。

来年は、そうした「価値観」の問題に関わるようなサロンをいくつか考えています。
池本さんのお話は、そうしたことに深くつながっているような気がしました。
池本さんの語ってくれた、ご自分の物語も、私にはとても刺激的なものでした。

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2016/12/14

■節子への挽歌3390:佐藤さんの印象はあのころと変わりません

節子
雨です。
冷たい雨です。
巡礼者の鈴木さんのハガキ通信が毎週何通か届きます。
昨日届いた最新のものに、こう書かれていました。

初めてお会いしたのは50歳前後のころだったと思いますが、 佐藤さんの印象はそのころとあまり変わりません。

鈴木さんと会ったのは、私が会社を辞めて、人生を大きく変えた直後かもしれません。
当時の鈴木さんは、世界を旅する若者でしたが、いまは宇宙を旅する巡礼者になっています。
あの頃は、私も広い世界に魅かれて、さまざまな世界を放浪していました。
人生のキャンパスを一新して、そこにまた自分の人生を書きだそうという感じで、毎日が実にワクワクしたものでした。
時代もありますが、あれは幸運以外の何物でもないでしょう。
結局は、書き損じた絵しか残っていませんが、刺激的な毎日を過ごしていたことを覚えています。
実にさまざまな出会いがありました。
その人たちは、いまなお私の中では生き続けています。
歳を取らずに。

人は、最初に出会った時の印象を持ち続けます。
多くの場合、印象はいつになっても変わらない。
私が、節子に対する印象も、最初に会った時の印象がいまなお残っています。
社会のけがれをまだ何も知らないような、まっすぐなまなざしが印象的でした。
けがれを知らないということは、社会に関する知識もないということです。
いまから思えば、思い上がりも甚だしいのですが、私には「マイフェアレディ」のヒギンズ教授のような期待が少しあったのです。
しかし、「マイフェアレディ」と同じように、変えられたのは私自身でした。
それも、「ナラティブ」に、です。
私の人生は、そこで決まったのでしょう。

鈴木さんとの関係も、たぶん変わっていません。
だから私もまた、鈴木さんの印象は、出会ったころとほとんど変わらない。
人は、目で世界を見ているのではなく、身心で世界を見ているように思います。

いまの私の身心では、やはり最初に出会った20代の節子が、元気に生きています。
たぶん、彼岸に行ってしまった節子の中でも、あの最初に出会ったころの私が生きているでしょう。
これまたいまから思えば、たぶん、節子以上に、まっすぐなまなざしをもっていたはずです。
いささか独りよがりで、夢の世界の中でのまなざしではありましたが。

私のいない世界に、私は生きていくつもりはないと、その当時から強く持っていましたから。

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2016/12/13

■節子への挽歌3389:心やすまる2曲

節子
少し挽歌が遅れていることと明後日からもしかしたらしばらく書けなくなるので、今日はもう一つ書いておくことにしました。
というよりも、今日は無性にさびしいのです。
先ほど繰り返し聴いたモーツアルトのレクイエムが、どうも心をセンチメントにしてしまったようです。
節子がいなくなってから、私の生活から、音楽がなくなりがちなのです。
コンサートは一度も行かなくなりました。
一度、友人の主催するオペレッタに行ったのですが、あの時の強烈な悲しみから、さらに音楽から遠のいてしまっています。
音楽は、づかづかと心のみならず、身心に入ってくる。
「ラクリモーサ」でなくとも、涙を引きだすのです。

それで、荘厳なミサとは対照的な、ますますさびしく悲しい、しかし、静かなこころになれる歌を2曲ほど、繰り返して聴きました。
その曲はいずれも永六輔さんと中村八代さんの作品です。
「生きているということは」と「生きるものの歌」です。
この2曲は、何度聞いても心やすまります。
悲しくてさびしくて、でもとても心やすまるのです。
できれば、節子と一緒に片寄せあって、口ずさみながら、聴きたいのですが、
いまは一人で、目をつむって聴くことしかできません。
声が出ない。
歌い手は、さだまさしさんが、私の心には一番響きますが、永さん自身のものも、心に沁み込んできます。
2曲がつづけて聴けるユーチューブがあります。
ぜひお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM&index=13&list=RDMEBhtwsGqvo

もし時間が許せば、さだまさしさんの「生きるものの歌」も聴いてください。
音楽から遠ざかってからも、この曲だけはよく聴いているのです。
https://www.youtube.com/watch?v=MEBhtwsGqvo&list=RDMEBhtwsGqvo&index=1

音楽を聴いていたら、遅くなってしまいました。
久しぶりの夜更かしです。

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■節子への挽歌3388:「ラクリモーサ」

節子
今回は節子と一緒に、モーツアルトのレクイエム「ラクリモーサ」を聴いてみようと思います。
節子は知っていると思いますが、私は教会の雰囲気やミサ曲がどうも苦手なのです。
なぜか心が縛られる気がするからです。
ですから、レクイエムも聴いたことはありません。
それなのになぜ聴く気になったか。
それはフェイスブックで、敬愛する一松さんから、こんなメッセージが届いたのです。
たまたま時間があったので、私としては、めずらしく、いや初めて、聴いてみました。
一松さんのアドバイスに従って。
一松さんの書かれていることがよくわかりました。
それで少しネットで「ラクリモーサ」について調べてみました。
モーツアルトが、自らの死の直前に作曲し、自らはこのレクイエムを聴くことなく、逝ってしまったそうです。
音楽には、いつも物語がある。

一松さんのメッセージを、少し長いですが、引用させてもらい、今日の挽歌にかえたいと思います。

葬式は、死者と送る側が濃い関係にあり(最愛の肉親や生涯の恩人・・・。社葬に末端の取引先として参加する場合などではなく)、かつ霊魂の存在が確信を持てないまでもアタマにある大多数の場合には、痛切な哀悼の祈りが死者の霊を慰め安心のうちに彼岸へと旅立ってもらう働きをするに違いないとの安心感を与えてくれます。
この安心感は未開社会も現代も人間にとって根元的意味を持つものではないかと感じます。
いわば世俗的富や権勢によっても得られない根源的安心感。
それゆえ葬式を(心において)ないがしろにする者がもしいれば本人はむろんのこと周囲をもけっしてハッピーにはしないと思います。

このコメントを書く前にモーツアルト35歳の絶筆、レクイエム(鎮魂曲)のラクリモーサ(涙の日)を聴きなおしました。
壮麗な葬儀の場も真の天才の手にかかると、痛切な哀悼の祈りは祈る者をも浄め、また自分もこれほどに哀悼される者でありたいとの夢ないし意識の覚醒をもたらしてくれるのではないでしょうか。
ベームの名演をご紹介させていただきます。
29分20秒からお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=-1DsJ5YQr5s&t=2042s

節子
一緒にラクリモーサを聴きましょう。

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■節子への挽歌3387:人はただそこにいるだけ

フェイスブックで、一条さんの「儀式論」を紹介したら、それに関連して、いくつかのコメントをもらいました。
そのひとつは、魂の人、小林さんからのものです。
彼はこう書いてきました。

ブラームスが作曲する時、必ず神に問いかけた3つの問い。
この答えが得られれば、葬式が必要か否かは明らかになります。
我々はどこから来たのか?(生まれる前はどこにいたのか?)
なぜこの世に生きているのか?
この後どこへ行くのか?(死んだ後どこへ行くのか?)

彼の意図は別にして、それに関連して私もコメントを返しました。
横道の文章を除いて再録します。

人はどこから来て、どこへ行くか。
これはよく語られる問いですが、私にはあまり意味を感じない問いです。
人はどこからも来ずに、そして、どこにも行かずに、
ただここにいるだけだと、私は思っています。

儀式や儀礼は、文化の現れです。
一条さんも、儀式は文化と置き換えてもいいと言っています。
文化とは何かは難しいですが、そのひとつの象徴的捉え方が儀式です。
朝、起きて歯を磨くのも、仏壇に祈るのも、人に会って挨拶をするのも、儀式です。
儀式も儀礼も、そういう捉え方を、おふたりはしているように思います。

葬儀はいまどんどん簡略化しています。
直葬やゼロ葬を提唱している人もいます。
しかし、私たちが折角築きあげてきた、死への文化を経済的な理由や忙しさを理由に、否定するのは悲しいです。
節子の葬儀を行って、それを強く実感しました。
葬儀を他者任せにしてきたことへの反省です。
それは、自らの生き方を他者任せにしていることとつながっています。
他者と共に生きることと、他者任せとは正反対のものです。
共に生きるためには、儀式、文化や社会のマナーが大切です。
儀式というと何やら形式的な行事を思い出すかもしれませんが、一条さんが本書を書いた動機は、人間とは何かという問いからです。
彼の問いかけは、こうです。
私たちはいつから人間になったのか。
そして、いつまで人間でいられるのか。

一条真也さんは、「儀式論」の中で、古代の礼には次の3つの性格があったと紹介しています。
「神霊と交信するツール」「人間関係を良好にする潤滑油」「自他を変容させる通過儀礼」。
私の言葉で言い直せば、「いまここで生きていくための仕組み」です。
平たく言えば、世界を広げる仕組みです。

人はただそこにいるだけ。
これが最近の私の、とりあえずの考えです。

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2016/12/12

■節子への挽歌3386:忘年会のない年末

節子
今日は湯島で撮影をしました。
と言っても、私の撮影ではなく、武田文彦さんの撮影です。
節子もよく知っているように、武田さんとは長いこと、民主主義の実現に取り組む活動をしていましたが、今年になってまた活動を再開しました。
昨今の状況は、あまりに目に余るからです。
そのホームページに、先月開催した公開フォーラムでの武田さんのスピーチをアップしているのですが、その補足スピーチを録画したのです。
さまざまな機材が持ち込まれ、湯島が一挙にスタジオに変わった感じです。
撮影は無事終了し、年内にはアップできるでしょう。

録画風景を見ながら、そういえば、昔もこんな感じを体験したなと思いだしました。
昔は、私もテレビ取材も受けたことがありますし、湯島のサロンもテレビで取り上げられてこともありました。
まあ、いずれもマイナーにちょこっとですが。

昔の生活と今の生活は、もう全く違います。
湯島のこの場所は全く変わっていませんが、私の生活ぶりは大きく変わってきています。
会社時代も、会社を辞めて仕事をしていたころも、いまから思えば、「華やか」でした。
思い出すだけで、汗が出てしまうようなこともありました。
当時は気づきませんでしたが、わがままで、贅沢でした。
ほどほどのところで、その世界から抜けられたのは、幸運でした。
いまのような生き方が、私にはやはり一番合っています。

俳優の成宮さんが、麻薬疑惑などもあったのでしょうか、突然引退を表明し、話題になっています。
成宮さんは、「相棒」というテレビドラマで知ったのですが、好印象を持っていました。
しかし、俳優業の世界に振り回されたようで、友人に裏切られたことが、引退の理由の一つだと報道されています。
一見華やかに見えて、とてもストレスの多い世界なのでしょう。
お金とストレスは比例するのかもしれません。
俳優に限らず、お金をもらう世界の多くは、ストレスが伴いがちです。
私も最近ストレスを感ずることはありますが、お金とは無縁です。
お金で自らを制約される生き方は、いまは一切していません。
そのおかげかもしれませんが、大麻を吸いたくなるほどのストレスではありません。
人生を豊かにしてくれる程度のストレスです。
まあ歳のせいか、そこからも抜け出したい気分はしますが、お金とは無縁のストレスです。

昔の、あの「華やかな暮らし」と今の「影の薄い暮らし」とどちらがいいでしょうか。
言うまでもなく、いまのような暮らしが、私には合っています。
時には、ぜいたくな食事もいいですが、そういうものには全く魅力を感じません。
昔は、今頃は忘年会ばかりでしたが、最近は忘年会さえありません。
そもそも、「忘年」の必要さえないのです。
実に地味な、そして静かな年末です。

と言いながら、今日は忘年会のようです。
ささやかに相談に乗っていた研究チームが、たぶん私を招待してくれての忘年会なのです。
もっとも、以前そう思って、断れずに出かけた忘年会で会費を取られてしまったことがありますので、招待かどうかはいささか不安です。
いま話題の場所を取ってくれているようです。
そろそろ出かけましょう。
いつも付き合っている人たちと違い、ちょっと高給取りのみなさんです。
話が合うといいのですが。

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2016/12/11

■節子への挽歌3385:太陽の船の案内役だった鳥

節子
今日もまた本を読んでしまいましたが、疲れたので、テレビをつけたら、ピラミッドの番組でした。
日本にも、エジプトと同じ太陽の船があるというような話でした。
ちょうどテレビをつけた時に、その古墳の壁画が放映されていました。
福岡県のうきは市にある珍敷塚古墳と鳥船塚古墳です。
いずれも国の指定遺跡になっています。
その古墳の壁画に、死者が船に乗って彼岸に旅立つ図が描かれていますが、そこにエジプトのピラミッドに描かれているのと同じ、太陽神マークがあるのだそうです。
なんとなく見ていただけですので、不正確な記憶ですが、鳥船塚古墳の絵を見ていて、ハッと気づきました。
たいしたことではないのですが、私にとっては長年の謎だったことです。
前にこの挽歌にも書いたことがあるかもしれません。

節子は、話ができなくなり、死を実感した時に、家族への感謝ととともに、メモを残しました。
そこに、「ありがとう。また花や鳥になってちょいちょい戻ってくる」と書かれていました。
花はわかりますが、なんで鳥なのかと、その時は理解できませんでした。

古墳の壁画の、彼岸に向かう船の船首に、鳥が案内役としてとまっていました。
これはエジプトの絵と似ています。
エジプトの絵と、ちょっと小さくて見えにくいのですが、鳥船塚古墳の絵を掲載します。
それを見ていて、やっと節子がなぜ「鳥」と言ったのかがわかりました。
鳥は、彼岸と此岸を往来する存在なのです。
そういえば、前にもこんなことを書いたような気もしますが、今回はしっかりと実感できました。
節子には、あの時にもう、人類の知恵が移っていたのだと思いました。

エジプトに限りませんが、人類の知は、いまでこそ、国家によって、分断され、その広がりは制限されていますが、歴史時代に移る前までは、もっと自由に往来していたはずです。
場合によっては、その往来の範囲は、宇宙的な規模で、さらには彼岸さえをも含めていたかもしれません。
この世界が、いまのような「現世」として固まってきたのは、3500年ほど前だという説に私は理屈抜きで共感しているのですが、それまでは、時空間を超えて、あるいは種を超えて、いのちは不定型に交流していたのではないかと思っているのです。
まああんまり「科学的」ではありませんが、そう思った方が、いろいろと納得できることが多いのです。

そうか、だから鳥だったのか。
そういえば、最近、わが家にも時々、少し大きな鳥がやってきます。
最近は、いつも二羽のつがいでやってきていました。
節子は彼岸で、もしかしたら、パートナーを見つけ、その報告に来ていたのかもしれません。
もしそうであれば、それはとても喜ばしいことです。
でも、彼岸でも伴侶がいないと生きにくいのでしょうか。
まあ、詮索はやめましょう。
幸せならば、それでよい。
まあ私が彼岸に行くまでのことなのですから。


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■民主主義の両義性

シリーズ「民主主義を考える」も、かなり書いてきたのでそろそろ終わりたいと思いますが、最後に、「民主主義とは果たして善いものかどうか」を考えておきたいと思います。
日本では、「民主主義とは善いもの」という捉え方が多いと思いますが、それもまた「戦後教育」の結果のような気がします。
たしかに、衆議による政治という仕組みに向かうことは歴史の大きな流れでもあります。
しかし、結果から見れば、衆議が善い結果をもたらすとは限りません。
それ以上に、そこに向かう過程で、さまざまな問題を引き起こします。

私は、民主主義の理念を「個人の尊厳を尊重すること」と捉えています。
そして、歴史は、その方向に向かって進んできていると考えていますし、これからもさらにその方向で進むだろうと考えています。
私は、その大きな方向性に沿って、生きているつもりです。
今回のテーマに即して言えば、「愚民」などと言った偏見やヘイトスピーチがなくなることを確信するとともに、そうした流れを押し戻そうとする、悪しき言動や思想には抗っていくつもりです。
このシリーズを書く気になったのも、そうした私の生き方の一つの現れです。

ところで、議会制民主主義は、民主主義の理念に近づく仕組みであることは間違いありませんが、同時に民主主義の前提を壊しかねない仕組みでもあります。
ルソーは、民主主義は選挙の時だけ作動するとも言っていますし、ノーム・チョムスキーは、自らの意思を他者に委ねると言う議会制民主主義の根底には市民を受動化するメカニズムがあると警告しています。
大澤真幸さんは、「人が能動性を他者に委ねることが、資本主義と代表制民主主義の両方に共通した基本的なフォーマットである」(「正義を考える」)と言っています。
たしかに、その両者を社会の構造原理にしているところでは、見事なほどにそれが実現しつつあると、私は感じています。
そして、「民主主義の理念を感じさせる仕組み」を提供することで、多くの人たちは、満足してしまう。
選挙での投票権を得ただけ、もう主権者になった気分になり、気をゆるめてしまう。
そして、さらに民主主義を目指す制度への取り組みを忘れてしまう。
そんな状況が、生まれてきてしまうわけです。

「能動性を他者に委ねる」ということは、「思考停止し、他律的に生きる」ということです。
つまり、民主主義の前提である、「考える個人」がいなくなってしまう。
「民主主義制度」にはそういう落とし穴がある。
であればこそ、民主主義制度は常に進化をめざさなければいけないのです。

民主主義の前提となる「個人」を育てるのは、社会の役割です。
しかし、そうした「社会の教育力」もまた失われています。
昨日、20世紀中ごろに行われたアメリカ国民への社会調査をまとめた、ロバート・ベラーの「心の習慣」を読んだのですが、そこにアメリカ国民の生き方や考え方がどう変質してきているかが、ていねいに描き出されています。
改めてそれを読むと、まさに今日本でも同じような動きが進んでいることがよくわかります。
しかも、それが政治によって進められている。

私は「ゆとり教育」の理念に賛成でしたが、その進め方を知って、自らの不明さを反省しました。
そのきっかけは、ジャーナリストの斎藤貴男さんの『「ゆとり教育」と「階層化社会」』という論考を読んで、「“ゆとり教育”の本質は“エリート教育”のための原資を浮かせることだった」ことを知らされたことです。
たしかにその視点で教育改革を見なおしていくと、現在の学校教育での問題点が納得できます。
安倍政権による、教育基本法の改定は、私には日本国憲法改定と同じくらい衝撃的でしたが、ゆとり教育は、その同じレールに乗っていたことに気づかされました。
円周率を「3」と仮定したときにおかしいとは思っていましたが、理念に惑わされていました。
理念は、現実の姿によってこそ、評価すべきでした。

また長くなってしまいましたが、民主主義制度が善いものとなるか悪いものとなるかは、「民主主義の理念」と「民主主義制度の前提」にかかっています。
理念と前提がしっかりしていないと、民主主義制度は自己否定へと動き出す。
学校で、多数決が民主主義などといった表層的な民主主義を教えられた結果がいま、大きな影を落としだしている。
そのことを改めて、今回は思い知らされました。

リンカーンクラブの活動に、これからもう少し身を入れていくつもりです。
ぜひみなさんも参加してくれませんか。
「愚民」にもできることはたくさんあるはずですから。
入会をお待ちしています。
http://lincolnclub.net/

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2016/12/10

■節子への挽歌3384:Habits of the Heart

節子
今日もまた、本を読みふけってしまいました。
30年前に書かれた、ベラーという人の「心の習慣」という本です。
最初は退屈しながら読んでいましたが、最後のあたりになって、引き込まれるような面白さでした。
テーマは「公共善」。
私自身の生き方に、最近少し迷いがあったのですが、この本を読んで、迷いがまたなくなりました。
人はみんな、公共善に従って生きているのがふつうなのです。
たとえ人と違っていても、いまの生き方をつづけようと、改めて思いました。

ベラーは、さらに続編として、「善い社会」という本を書いています。
これもまた分厚い本で、値段も5000円もするので、買わずに図書館から借りるつもりですが、図書館から借りた本は、ていねいに読まないといけないので、疲れます。

ちなみに、この本の原題は“Habits of the Heart”、「こころの居場所」です。
著者の意図とは違うでしょうが、私にはとても気になるタイトルです。
最近、私は、「こころ」は身心の内部には存在せずに、身心からはみ出して存在しているのではないかと思っているのです。
というよりも、私の心の中に、私の心身と私の環境があるという方がいいかもしれません。
さらにいえば、いまの社会そのものもかかわってくるわけです。
となると、社会のありようによっては、私のこころの居場所がなくなってくる。
そこで、こころが私の身心に逃げ込んでしまいがちなのです。

もう少していねいに説明しないとわかってもらえないと思いますが、
私が、人嫌いのくせに、ひとに会いたくなるというのは、たぶんそのせいです。

ベラーの「心の習慣」という本に、そんなことが書かれていたわけではありません。
まあ、その本を読みながら考えたことの一つです。
この本は、また、現代人が「バラバラの存在」になってしまって、心の平安を失ってきていることに警告を発しています。
とても共感できます。

今日も読書三昧でしたが、考えることの多い1日でした。
目の手術前にやらなければいけないことは、これで完全に実行不能になりました。
まあしかし、許してもらえるでしょう。
そう勝手に思いながら、明日もまた、もしかしたら、読書の1日になってしまうかもしれません。
テレビや新聞で報道されている世間の動きから、逃げたい気持ちが、たぶん読書に向かわせているのでしょう。
昨今の世間からは、縁を切れるものなら切りたい気分です。

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2016/12/08

■節子への挽歌3383:読書三昧で1日を無駄にしました

節子
最近ちょっと書籍に押しつぶされそうです。
贈られてきた本や図書館に頼んで探してもらっていた本や思いついて書庫から引っ張り出してきた本やらで、10冊近い本がデスクに積まれています。
それも一筋縄ではいかない本も多く、いつものようにさっと読み終えられません。
その上、最近は目の調子があまりよくないため、読書速度も落ちています。

書籍だけではありません。
DVDも4本たまっています。
いずれもいろいろと意味のあるDVDなので、観て終わりというわけにはいきません。
それもあって、なかなか観れずにいるのです。

このように書籍やDVDがたまってくるというのは、私の処理能力が低下しているということでしょう。
にもかかわらず、読みたい本はどんどん広がってきます。
それに以遠読んだ本まで再読したくなってしまうことも少なくありません。
昨日は、ブログの時評編でオルテガの本に言及したのですが、そのために、オルテガの「大衆の反逆」をひっぱり出してきたら、また読みたくなってしまいました。
若いころ読んだ本を読むと、赤線が引かれていることがあるのですが、若いころにどういうことに関心があったかがわかり、当時のことを思いだすことも少なくありません。
世間とは縁を切って、思う存分、本を読みたい気もしますが、その一方で、いまさら本を読んでどういう意味があるのだろうと思わないこともありません。

本を読むと世界が広がります。
映画を観ても、世界は広がります。
そうすると、どんどんこの世に執着も増してくる。
もっと外の世界を知りたいと思うのです。
困ったものです。
こんな生き方をつづけていたら、いつになっても旅立てません。

今日は、先日開催したフォーラムのテープ起こしをするつもりでしたが、古い本を読みだしたら、そこから抜けられなくなってしまいました。
仕事もせずに、今日は読書三昧の日になってしまいました。
夜になって、残り少ない人生の1日を、こんな使い方をしてよかったのだろうかと急に不安の念に襲われてしまいました。
来週は目の手術ですので、当分本は読めなくなりそうです。
その前にと思ってしまったのですが、考えてみると、読書だけでなく、テープ起こしもできなくなってしまうわけです。
みんなとの約束(をしたわけではないのですが)が果たせない恐れがあります。

読書はきっと彼岸に行ってもできるでしょう。
現世でやっておかねばいけないことに、もっと集中しなくてはいけないのですが、どうもそれができません。
どうしてでしょうか。
本当に、困ったものです。

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2016/12/07

■節子への挽歌3382:語る相手がいることの幸せ

節子
久しぶりに岐阜の佐々木さんが来ました。
とてもお元気そうでしたが、今年は佐々木さんにとってはとてもつらい1年だったと思います。
人生には、喜びとともに、悲しみもつきものです。
私自身は、最近はその2つの区別があまり気にならなくなっています。
いずれも、人生そのものだと思えるようになってきました。

もうひとつ最近感じていることがあります。
喜びにしろ悲しみにしろ、「話し」たくなるものと心身に閉ざしたくなるものがある。
そして、身心に閉ざしたい喜びや悲しみは、その一方で、だれかに「語り」たくなるのです。

「話す」と「語る」は、意味が大きく違います。
「話す」は「放す」です。
悲しみや喜びを、自らから放す(離す)ことで、自らを解き放そうとする。
それに対して、「語る」は「象(かたど)る」と言われるように、何かを生み出すのです。
そのために、「語る」相手は、その悲しみや喜びを、一緒になって引き受けてくれる人でないといけません。
いいかえれば、重荷を一緒に背負ってもらうことになる。
ですから、そう勝手に語ることはできません。
そして、語った以上は、相手の語りも引き受けなくてはいけません。
そういう関係は、そう簡単にはつくれません。

「話す」ことは、自然とできることです。
しかし、喜びや悲しみの奥にあるものまでは、放せません。
言葉で話しても、身心に残っているものがある。
その「残っているもの」を、どう語っていくか。
つまり、誰かと分かち合っていくか。
それが人生なのかもしれません。
しかし、語る相手を見つけることは、そう簡単なことではない。

戦争体験を語らない人たちの心情が、最近少しわかってきました。
人は、話すことはできても、語ることは難しい。
最近、つくづくそう思います。
語る相手がいたことの幸せを、改めて思い返しています。

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■愚民と大衆

今日は「愚民」と「大衆」についてです。

「アメリカ人の生活における個人主義とコミットメント」という副題を持つ、ロバート・ベラーの「心の習慣」を読み直しているのですが、そこには建国時のアメリカ国民の生き方がなぜ変わってきたのかが、とてもわかりやすく書かれています。
この本は、200人以上のアメリカ国民のインタビューをベースに書かれていますので、とても生々しく、伝わってくるのです。
日本でも最近同じようなスタイルでの社会調査が広がっているようで、昨年私も東大の大学院生のインタビューを受け、その分厚い報告書をもらいました。
たぶんまだその調査活動は続いていると思いますが、日本人の生き方のゆくえを考える上での示唆に富む知見が集まりだしていると思います。
それが果たして「愚民」かどうかはとても興味のあるところです。

先日、テレビの映像の記録プレミアム版を見ていて知ったのですが、マリリン・モンローは自伝でこう書いているそうです。

私は自分が世界中の大衆のものであることを知っていた。 それは、私が才能や美貌に恵まれているからではなく、 大衆以外のどんなものにも、どんな人にも、属したことなどなかったからだ。

彼女は縫製工場の売り子から映像時代のスターとしてスカウトされ、時代を象徴するまでになった、まさに映像の時代が生み出した寵児でした。
朝鮮戦争で戦う戦場の兵士たちを鼓舞する役割まで引受けされ、最後は謎の死をとげました。
私は、「バスストップ」が一番好きな映画でした。
中学生の頃観た映画なので、不正確な記憶ですが、私の「大衆観」にはたぶんある意味での影響を与えた映画です。

まあそれはどうでもいい話ですが、私が「大衆」という言葉を突き付けられたのは、スペインの思想家オルテガの「大衆の反逆」です。
オルテガは、「大衆」をあまり良い意味では使っていません。
大衆とは、指導者に従順で、自分を向上させようという努力を自ら進んではしようとしない人々のことである、と言っているのです。
このシリーズに即して言えば、「愚民」的な捉え方をしているといえるでしょう。
しかし同時に、オルテガは、現代社会を大衆支配の社会と断じ、しかもそこに、危険性だけではなく、大きな可能性を示唆しているのです。
そこに私は、ネグリの「マルチチュード」と同じものを感じます。

民主主義は、多数の支配という意味があります。
もしそうであるとすれば、その多数者を「愚民」として捉えることは、そこに秘められた大きな可能性を切り捨てることにならないでしょうか。
ネグリやオルテガ、あるいはベラーのように、俯瞰的で歴史的な姿勢こそが、いま求められていると思います。

マリリン・モンローがスターになったのは、私は彼女の知性のおかげだったと思っています。
大衆の大きな力を、彼女はたぶん知っていたのです。
そして大衆の賢さと知の豊かさもです。

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2016/12/06

■節子への挽歌3381:祈りのワークショップ

節子
年末が近づいてから、またいろんなことが起こりだしています。
いいこともあれば悪いこともありますが。

昨日は、湯島である集まりを持ちました。
テーマは「祈り」。
今回は、たぶん5回目くらいのミーティングですが。はじめたのは2か月ほど前。
その後、急展開で構想は広がっています。
集まりの最中に、オバマ大統領と安倍首相が、真珠湾で会うというニュースが入ってきました。
それと関連があるプロジェクトです。

15日にはたぶん報道されるでしょうが、それに合わせての準備をしなければいけません。
今回は、そのミーティングでした。
話していて、「祈りのワークショップ」ということを思いつきました。

いま2冊の本を、私にはめずらしく時間をかけて読んでいます。
1冊は佐久間さんが書いた「儀式論」。
佐久間さんの大作なので、ゆっくり読もうと思い、まさにゆっくりと呼んでいますが、そこでも「祈り」が関わってきます。
もう1冊は。諸富祥彦さんの書いた「フランクル」。
これはすぐに読み終えることができるのですが、あえてゆっくりと読んでいます。
フランクルの生き方にも、また「祈り」を強く感じます。
なぜか、最近出会う本は、「祈り」につながるものが多いのです。

昨夜の集まりの中心にいるのは、「INORI」を作曲したシンガーソングライターの佐々木祐滋さんです。
広島の原爆少女の像のモデルとなった佐々木禎子さんの甥です。
私はこんなにさわやかな青年に会ったことがありません。
昨年の今日、我孫子で祐滋さんに来てもらって、平和のコンサートを開きました。
その時に、祐滋さんの父親、つまり禎子さんのお兄さんに会いました。
短い立ち話でしたが、お人柄を感じました。
そして、「祈り」を感じました。

昨年は、私の思いとは別の方向に向いてしまったような感じでしたが、なぜか2か月ほど前にまた、祐滋さんの祈りに引き寄せられるように、このプロジェクトが始まったのです。
彼の「祈り」の力でしょう。

なにかがはじまりそうな気配を感じます。
私が関われるのは、最初だけでしょうが。

実は、その集まりの途中に、電話が入りました。
それは、「祈り」が報われなかったことを知らせる電話でした。
人生には、良いこともあれば悪いこともある。
来年は、その2つのことで、に私の生き方が少し変わることになるかもしれません。
いずれも、私の信条に反することも含まれているのですが。

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2016/12/05

■節子への挽歌3380:歯医者さんで考えること

節子
先週、久しぶりに歯医者さんに行ったのですが、マウスピースをすることをまた勧められました。
またというのは、以前も勧められたのですが、その時には面倒そうなので、止めていたのです。
今回は、下顎の骨の一部が沈んでしまっているレントゲン写真を見せてくれました。
ここまでていねいに示唆してくれると、面倒だなどとは言っていられません。
素直に従うのが礼儀でしょう。
それで、マウスピースを使うことに決めました。

それはともかく、どうも私は寝ている時に、噛みしめることがあるようです。
歯ぎしりは節子からも指摘されてことはありませんし、私自身、気づいたことはありませんが、時にはを噛みしめることは、起きている時にもあります。
娘たちから、昔から指摘されているのです。
節子が元気だったころには、私自身はストレスをあまり感じたことはなかったのですが、実はそうしたかたちでストレスは発散されていたのかもしれません。
その受取先は、たぶん節子だったのでしょう。
そのせいか、節子がいなくなってから、ストレスを感ずることが起こりだしました。
しかし、その向け場はない。
それで夜の「噛みしめ」がひどくなったのでしょうか。

もっとも歯医者さんによれば、歯ぎしりや噛みしめの原因はまだ解明されていないようです。
生まれつきの癖かもしれません。
いずれにしろ、マウスピースは使用することにしようと思います。
それで何が変わるのかはわかりませんが、歯は守られるようです。

歯医者さんに行って、検査や治療を任せている時は、私にとっては一種の瞑想の時です。
いろいろと考えることがあります。
節子のことはよく思い出します。
節子は手術後、再発に備えて、歯医者に通っていました。
それが終わった後、ちゃんと歯医者に行けてよかったと言っていました。
闘病の準備は整った、というような意味合いを感じました。
そして、節子はよく闘病に耐えました。

手術後、歯医者に通っていた節子は、治療を受けながら、何を考えていたのでしょうか。

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■「知の囲い込み」と「愚民概念」

このシリーズは、私たちが主催した公開フォーラムで、ある「有識者」たちが日本の国民の多く(すべてではありません)を「愚民」と決めつけたことに違和感を感じ、書き出したものです。
もう一度、原点に戻って、「愚民」について考えてみたいと思います。
なぜならば、「有識者」は「愚民」こそが、その存在のよりどころだからです。
言い換えれば、「愚民」を生み出すことに、彼らは自らの存在基盤を見出しているのです。
私は、その構造に大きな違和感を持っているのです。

これに関しては、すでにさまざまな論考がありますので、繰り返すまでもないでしょうが、「愚民概念」は、巧妙につくられた、人為的なものです。
マルクスは、社会的知識を「一般的知性」と呼び、それが機械などの固定資本に具現化されて経済を大きく支えているとしていますが、アントニオ・ネグリは、そもそも個々人が持っている知性にまで、その概念を広げました。
そして、現代のような成熟社会にあっては、その一般的知性が経済を主導すると指摘しています。
そもそも一般的知性とは、みんなが創りだした共有財産(コモンズ)です。
たしかに発明家はいますが、その発明は完全に個人によって行われるわけではなく、社会を構成する「みんな」が生み出し育ててきた「知」の支えによって、顕現したものです。
しかし、知が「みんなのもの」であれば、空気のように、経済的価値を生み出すことはありません。
そこで始まったのが「知の囲い込み」です。
本来はみんなのものである土地の囲い込みから始まった資本主義経済は、人知までも囲い込みだしたのです。

その典型的な手法が、知的所有権です。
これは、一般的知性、つまりコモンズとしての知を市場化するためのものです。
そもそも、社会が、つまり「みんな」が育ててきたものを、法や制度によって誰かの私的所有物にするという仕組みです。
経済の面から言えば、そこには大きな効用があるでしょうが、そのために経済的に貧しい国の子どもたちには高くて購入できない医薬品が生まれてしまうわけです。
私たちの生活は、そうした「制度的に市場化」された商品やサービスに取り囲まれています。
わかりやすいのは、ウィンドウズなどのOSです。
税務や裁判などに関する知識も、そのひとつです。
私にはこうした「知の囲い込み」制度は納得できませんが、そうしたものを利用しなければいけない仕組みがどんどんと大きくなっています。

話がやや外れてしまいましたが、「囲い込まれた知の世界」の内外では大きな経済的な差が生まれてきています。
アメリカでは、そうした「知の世界」で働く人は、全体の2割だと言う人もいましたが、おそらくその比率はどんどん小さくなっているでしょう。
つまり、知の独占が進んでいるのです。
「囲い込まれた知の世界」から追い出された人たちは、どうなるのでしょうか。
そして、金融経済はともかく、社会の実体を創りだしているのは、どちら側なのか。
そこをぜひ想像してほしいと思います。
そして、「愚民」という言葉が含意することを、真剣に想像していただきたいと思います。
人は、いまや「想像力」を手に入れているのですから。

「愚民」と言われて納得してしまう人が多いことに、私は唖然としています。
有識者は、そもそも「愚民」概念に寄生している人たちですから、彼らがその言葉を使うのは、さほど驚きません。
しかし、「知の世界」から追い出された人までが、それに安住していることには、暗澹たる気持ちになります。
ジュリアン・ジェインズが言っている、神の声に従って生きていたという3500年前に戻った気分です。

そのうち、言語の使用にまでお金がとられるようになるかもしれないと言っていた人がいますが、あながちそれは冗談でもないのかもしれません。
知識社会は、知の開放(共有)社会であってほしいですが、どうも反対の方に向かっているのが、気になります。

話が少しずれてしまったような気もしますが、どうもこうした議論には、私はいささか感情的になってしまうのです。

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2016/12/04

■衆愚政治と民主政治

先日書いた「Imagine!(想像力を取り戻そう!)」は、このシリーズの横道篇ですが、むしろそこで私の最近の心情はかなり出し切っていますので、その記事を書いたら、もうなんとなく気が抜けてしまいました。
私が言いたかったのは、まさに「みんな、もう少し想像力を発揮しようよ!」なのです。
世界は、与えられるものではなく、自らで見つけだし、創っていくものなのですから。
でも、ここで終わったら、私の機嫌はまた悪くなりそうです。
それで2日間、間が開きましたが、「民主主義」論を再開します。

少し切り口を変えて、海外の最近の動きを考えてみます。
たとえば、韓国の大統領辞任デモに100万人を超す国民が集まったと報道されています。
国民の支持率が5%を切ってしまったという朴政権は、今や機能不全に陥っています。
これは、まさに国民の声が国政を動かしている事例です。
しかし、これは民主主義の成果か民主主義の欠陥か。
国益にとって、あるいは国民の生活にとって、いいことかどうか。

オーストリアでも国民の声が政権交代を起こしそうです。
アメリカでは、予想に反して、トランプが大統領候補が決まりました。
イギリスは国民投票でEU離脱を決めました。
各地で、国民の声が政治に大きな影響を与えだしている。
これは「民主主義」の広がりでしょうか。
そうした活動に取り組む国民は、愚民なのか、意識ある人なのか。

民主政治は衆愚政治になる危険性を指摘する人は少なくありません。
しかし、もし民主政治が、民の声に基づく政治であるならば、そもそも民の声には「愚かさ」も「賢さ」もないということでなければいけません。
「愚かさ」や「賢さ」を認めてしまえば、それは「選ばれた人による政治」を認めることになるからです。
そして、その「選ぶ基準」はだれが決めるのか。
基準を決めた人の声に基づく政治になってしまうのではないか。
個人の尊厳を尊重するのであれば、人を賢いとか愚かだとか決めることがあってはなりません。

韓国は国民の声の盛り上がりで、国益を損なう事態が起こるかもしれません。
少なくとも、すでにさまざまな混乱は生じているでしょう。
しかし、生まれているのは混乱だけではありません。
新しい秩序への芽もまた生まれている。
混乱とはそういうものです。
その証拠はアメリカのトランプ現象です。
みんなトランプ大統領になったら大変だと言っていたはずなのに、トランプ勝利でドル高になり、希望が広がっている。
現状の秩序を基本にして考える人には見えてこないこともある。
イギリスがEUから離脱したのは、決して過ちとは言えません。
国民の判断は、善か悪かなどとは無縁です。
それを判断するのは、未来の国民でしょうが、彼らには正確な意味での判断力はありません。
比較するものがないからです。
「あの時、大統領を辞任に追い込まなければ」などということは、いかようにも物語をつくれるでしょうから、まったく無意味な論考です。
しかし、これに関しては、大澤真幸さんが示唆に富む論考をしていますので、改めて考えたいと思います。

いずれにしろ、国民の声が政治を動かすことがあるということが大切なことです。
日本でももちろんそういうことはあったかもしれません。
しかし、昨今はどうでしょうか。
原発反対や安保法制反対のデモは、盛んに行われました。
しかし結局何も変わらなかった。
どうしてでしょうか。
韓国の国民にできて、なぜ日本の国民にできないのか。
そこに大きな問題があるような気がします。

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2016/12/03

■節子への挽歌3379:旅立ちの前に会っておくことも大事かもしれません

節子
友人知人の訃報がまた届く季節になりました。
便りがないのは良い知らせ、とは限りません。

足利のシャーロキアンの、中島さんの訃報が届きました。
私は数回しか会っていませんが、心に残る人の一人でした。
もう20年近くお会いしていませんが、なぜか時々思い出す人です。
奥様から、良い人生だったと思うという便りが届きましたが、私もそう思います。

訃報ではなく、うれしい連絡もありました。
意外な人からのメールです。

ご無沙汰しています。 FacebookのImagine!想像力を取り戻そう!を拝読しました。 全私保連で毎月お目にかかっていたときの佐藤さんと変わらない佐藤さんが そこにいました。
京都で保育園をやっている室田さんです。 そのお人柄と取り組みに関心を持って、一度、その方の保育園を訪れたことがあります。 自然の中にある、とても魅力的な保育園でした。 室田さんの子ども観もさることながら、生き方が魅力的でした。 やはりずっと気になっているお一人です。 室田さんは、こう書いています。
イマジンを聴きながら、 佐藤さんも私もdreamerという点で、今も変わっていないのだと思います。

人は変わっていくものですが、変われない人もいる。
私の周りには、そういう人が少なくありません。
変わっていく人は、いつか姿を現さなくなります。
しばらくして、テレビや新聞でお姿を見る人も少なくありません。
しかし、変われない人は、テレビには登場しません。
でもしっかりと夢は持ち続けていて、あきらめることはありません。

室田さんは、いまどうもまた新しい夢を見ているようです。
それに関して、一度お会いしたいという連絡です。
一日も早くお会いしたいですが、京都と東京なので、すぐにとはいきません。
12月はお互いに日程調整が難しくて、結局、お会いするのは年明けになりそうです。

今日はもうひとりの友人からうれしいメールが来ました。
先日、ほぼ20年ぶりくらいにお会いした方からです。
久しぶりにお話しできて楽しかったというメールです。
ただそれだけのことなのでが、なぜか無性にうれしい気がします。
そんなに話したわけではありません。
ちょっとしたやりとりでしたが、しかし密度の濃い話でした。
世界をパーティシペート、つまり融即するという話です。
今日のメールには、これからは「シンポジウム・オーケストラ」が必要だと書かれていました。
体調がまだ完全ではないようですが、年があけたらまた一度、お話しできればと思っています。

彼岸に旅立つ前に、会いたい人が最近増えてきました。
彼岸でも会えるのですから、必要もないのですが、まあ念のために、です。
彼岸は別世界かもしれませんし。

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2016/12/02

■節子への挽歌3378:花かご会のカレンダー

節子
今年も花かご会のカレンダーが届きました。
今年は花かご会にとってもいい年だったでしょう。
国土交通省から、その活動に対して、「みどりの愛護」のつどいで大臣表彰を受けたのです。

今年はメンバーの写真も掲載されていました。
私の知らない顔もいくつかありました。
花かご会も、少しずつ変わっているのでしょう。
それでも今でも節子のことを覚えていてくれて、毎年、カレンダーを届けてくれるのです。
節子の蒔いた種が、順調に育っています。
我孫子のまちの中に、節子を思い出させるものがあるのはうれしいことです。
時に、少し悲しくなるものもありますが、駅前の花壇には明るい記憶しかありません。

Hana


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■節子への挽歌3377:久しぶりの日の出

節子
今朝、久しぶりに日の出を見ました。
起きて寝室から外を見たら、朝焼けがとてもきれいだったのです。
それで思わず屋上に上り、久しぶりに日の出を見ました。
静かな日の出、でした。
節子とは、よく日の出を見ました。

20161202

朝起きて、日の出を浴びると、気が高まると誰かが言っていた気がしますが、たしかにそんな気がします。
今日は良い一日になるだろうと思い、フェイスブックに投稿したら、いろんな人が「いいね」を押してきました。
こういう、いわば日常風景にはたくさんの人が反応しますが、いつも私が書いているメッセージ型の記事には、なかなか反応してくれません。

それでも時々、その私のメッセージを読んでくれて、友だちリクエストをしてきてくれる人もいます。
それに、思いもかけない人が記事を読んでくれていることもあります。
ただ、主張のある記事には、最近はみんな慎重になっているのです。
自らの主張を、素直に発信することに「リスク」が伴う時代なのかもしれません。

佐々木さんが柿をどさっと送ってきてくれたので、近所にもお裾分けさせてもらったのですが、久しぶりに近くに住む兄にもお裾分けしに行ってきました。
そうしたら高崎から届いた林檎を、お返しにもらってしまいました。
先日は、私も林檎を友人たちからもらったので、近所にお裾分けしたら、うどんやお塩になって戻ってきました。
丸で、わらしべ長者のようです。
お金がなくても、豊かに暮らしていけることに感謝しなければいけません。

しかし、実は林檎や柿をもらいながら、私はお返しをしていません。
さて何をお返しすればいいのか。
考えているうちに、いつも妙案が浮かばずに、忘れてしまいます。
人からもらうのはいいのですが、誰かに何かを差し上げるのが私はとても不得手です。
困った性格ですが、これはまあ性格なので仕方がありません。
そんなわけで、節子がいなくなってから、わが家は、頂くものと差し上げるものがバランスしていません。
もちろん、わが家がもらい過ぎなのです。
いつかどこかでお返ししたいですが、たぶん今生では難しいでしょう。
これからも、もらい続ける人生になりそうです。
以前も書きましたが、こういう「お布施人生」をしていると、「感謝の念」が心身にたまってきます。
感謝の念が豊かになると、人は平安になれます。
いや、なれるはずなのです。

しかし、どうも最近は、心が平安ではありません。
自分でも、機嫌が悪いことがわかるほどですから、私と最近会った人たちには、それが伝わっているかもしれません。
しかし、今朝の日の出を見たおかげで、少し機嫌が直りました。
お天道様は、すべてお見通しです。
そう思うと、少し心がやすまります。

いまのところ、今日は心静かに過ごせる日になりました。


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2016/12/01

■Imagine!(想像力を取り戻そう!)

(今日は挽歌編と時評編に、タイトルを替えて同じものを書かせてもらいました)

なぜか涙が止まりません。
涙が出てくる時には、何かがたまっている時かもしれません。
心がとてもやさしくなっているか、あるいは逆にさびしくなっているときです。
いまのわたしは、いずれでしょうか。
残念ながら、後者だろうと思います。
最近、他者にも自分にも、やさしくなれない自分に、嫌気を感じているほどですから。

何かがあったわけではありません。
ただテレビの番組を見ただけなのに涙が止まらない。
番組は、昨夜の深夜(暦的には今日ですが)、録画していた「世紀を刻んだ歌2 イマジン」。
2002年に放映された番組です。
内容は、9.11事件直後のニューヨークと東京都内の中学校を主な舞台に、ジョン・レノンの“イマジン”が若者たちに何を気づかせるのかを示唆してくれるものです。
その合間に、さまざまな人が歌う“イマジン”がバックに流れます。
それを聞いていると、なぜか涙が出てきてとまらない。

“イマジン”を聴いた日本の中学生の一人がこう語ります。

もし大事な人がいなくなってしまったら、 その人の笑顔を見ることができなくなったら、 と思うと、私にはたえられません。

あるいは、こういう中学生もいました。

わたしはもっとやさしくなりたい。

そんな中学生の言葉に、涙が出てしまう。
“イマジン”のメロディを聞いただけで涙が出てしまう。
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん みんながなかよく生きている世界を。
この言葉だけでも涙が出てしまう。

私の想像力は、まだ病んではいないと安堵しながらも、その思いがまた涙につながっていくのです。
私が悲しいのは、妻の笑顔を見ることができなくなっただけではありません。
最近は、本当に平安な笑顔を見ることが少なくなってきたような気がします。
世界が深く病みだしている。
多くの人が笑顔を忘れだしている。
つくられた笑顔には、心が痛みます。
そうしたなかで生きている私もまた、おそらく病んでいるのでしょう。
そう思うと、ますます涙が出てきてしまいます。

テレビで明るく話していた杉並区の西宮中学校の中学生たちは、いまはもう成人式を超えて、30歳近い若者になっている。
彼らはいまはどうしているでしょうか。
そのだれかに会ってみたい気がします。
ジョン・レノンの夢を、いまどう考えているか。

ジョン・レノンの37回忌が、間もなくやってきます。
改めて、多くの人たちに、“イマジン”を聴いてほしいと心から思います。
もしよろしければ、ここから聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E
歌詞だけでも、ぜひ読んでください。
http://eylyricsdiary.blogspot.com/2012/03/imagine.html

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■節子への挽歌3376:涙が止まらない

(今日は挽歌編と時評編に、タイトルを替えて同じものを書かせてもらいました)

節子
なぜか涙が止まりません。
涙が出てくる時には、何かがたまっている時かもしれません。
心がとてもやさしくなっているか、あるいは逆にさびしくなっているときです。
いまのわたしは、いずれでしょうか。
残念ながら、後者だろうと思います。
最近、他者にも自分にも、やさしくなれない自分に、嫌気を感じているほどですから。

何かがあったわけではありません。
ただテレビの番組を見ただけなのに涙が止まらない。
番組は、昨夜の深夜(暦的には今日ですが)、録画していた「世紀を刻んだ歌2 イマジン」。
2002年に放映された番組です。
内容は、9.11事件直後のニューヨークと東京都内の中学校を主な舞台に、ジョン・レノンの“イマジン”が若者たちに何を気づかせるのかを示唆してくれるものです。
その合間に、さまざまな人が歌う“イマジン”がバックに流れます。
それを聞いていると、なぜか涙が出てきてとまらない。

“イマジン”を聴いた日本の中学生の一人がこう語ります。

もし大事な人がいなくなってしまったら、 その人の笑顔を見ることができなくなったら、 と思うと、私にはたえられません。

あるいは、こういう中学生もいました。

わたしはもっとやさしくなりたい。

そんな中学生の言葉に、涙が出てしまう。
“イマジン”のメロディを聞いただけで涙が出てしまう。
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん みんながなかよく生きている世界を。
この言葉だけでも涙が出てしまう。

私の想像力は、まだ病んではいないと安堵しながらも、その思いがまた涙につながっていくのです。
悲しいのは、節子の笑顔を見ることができなくなっただけではありません。
最近は、本当に平安な笑顔を見ることが少なくなってきたような気がします。
世界が深く病みだしている。
多くの人が笑顔を忘れだしている。
つくられた笑顔には、心が痛みます。
そうしたなかで生きている私もまた、おそらく病んでいるのでしょう。
そう思うと、ますます涙が出てきてしまいます。

テレビで明るく話していた杉並区の西宮中学校の中学生たちは、いまはもう成人式を超えて、30歳近い若者になっている。
彼らはいまはどうしているでしょうか。
そのだれかに会ってみたい気がします。
ジョン・レノンの夢を、いまどう考えているか。

ジョン・レノンの37回忌が、間もなくやってきます。
改めて、多くの人たちに、“イマジン”を聴いてほしいと心から思います。
もしよろしければ、ここから聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E
歌詞だけでも、ぜひ読んでください。
http://eylyricsdiary.blogspot.com/2012/03/imagine.html

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