■節子への挽歌3377:久しぶりの日の出
節子
今朝、久しぶりに日の出を見ました。
起きて寝室から外を見たら、朝焼けがとてもきれいだったのです。
それで思わず屋上に上り、久しぶりに日の出を見ました。
静かな日の出、でした。
節子とは、よく日の出を見ました。
朝起きて、日の出を浴びると、気が高まると誰かが言っていた気がしますが、たしかにそんな気がします。
今日は良い一日になるだろうと思い、フェイスブックに投稿したら、いろんな人が「いいね」を押してきました。
こういう、いわば日常風景にはたくさんの人が反応しますが、いつも私が書いているメッセージ型の記事には、なかなか反応してくれません。
それでも時々、その私のメッセージを読んでくれて、友だちリクエストをしてきてくれる人もいます。
それに、思いもかけない人が記事を読んでくれていることもあります。
ただ、主張のある記事には、最近はみんな慎重になっているのです。
自らの主張を、素直に発信することに「リスク」が伴う時代なのかもしれません。
佐々木さんが柿をどさっと送ってきてくれたので、近所にもお裾分けさせてもらったのですが、久しぶりに近くに住む兄にもお裾分けしに行ってきました。
そうしたら高崎から届いた林檎を、お返しにもらってしまいました。
先日は、私も林檎を友人たちからもらったので、近所にお裾分けしたら、うどんやお塩になって戻ってきました。
丸で、わらしべ長者のようです。
お金がなくても、豊かに暮らしていけることに感謝しなければいけません。
しかし、実は林檎や柿をもらいながら、私はお返しをしていません。
さて何をお返しすればいいのか。
考えているうちに、いつも妙案が浮かばずに、忘れてしまいます。
人からもらうのはいいのですが、誰かに何かを差し上げるのが私はとても不得手です。
困った性格ですが、これはまあ性格なので仕方がありません。
そんなわけで、節子がいなくなってから、わが家は、頂くものと差し上げるものがバランスしていません。
もちろん、わが家がもらい過ぎなのです。
いつかどこかでお返ししたいですが、たぶん今生では難しいでしょう。
これからも、もらい続ける人生になりそうです。
以前も書きましたが、こういう「お布施人生」をしていると、「感謝の念」が心身にたまってきます。
感謝の念が豊かになると、人は平安になれます。
いや、なれるはずなのです。
しかし、どうも最近は、心が平安ではありません。
自分でも、機嫌が悪いことがわかるほどですから、私と最近会った人たちには、それが伝わっているかもしれません。
しかし、今朝の日の出を見たおかげで、少し機嫌が直りました。
お天道様は、すべてお見通しです。
そう思うと、少し心がやすまります。
いまのところ、今日は心静かに過ごせる日になりました。
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