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2016/12/11

■節子への挽歌3385:太陽の船の案内役だった鳥

節子
今日もまた本を読んでしまいましたが、疲れたので、テレビをつけたら、ピラミッドの番組でした。
日本にも、エジプトと同じ太陽の船があるというような話でした。
ちょうどテレビをつけた時に、その古墳の壁画が放映されていました。
福岡県のうきは市にある珍敷塚古墳と鳥船塚古墳です。
いずれも国の指定遺跡になっています。
その古墳の壁画に、死者が船に乗って彼岸に旅立つ図が描かれていますが、そこにエジプトのピラミッドに描かれているのと同じ、太陽神マークがあるのだそうです。
なんとなく見ていただけですので、不正確な記憶ですが、鳥船塚古墳の絵を見ていて、ハッと気づきました。
たいしたことではないのですが、私にとっては長年の謎だったことです。
前にこの挽歌にも書いたことがあるかもしれません。

節子は、話ができなくなり、死を実感した時に、家族への感謝ととともに、メモを残しました。
そこに、「ありがとう。また花や鳥になってちょいちょい戻ってくる」と書かれていました。
花はわかりますが、なんで鳥なのかと、その時は理解できませんでした。

古墳の壁画の、彼岸に向かう船の船首に、鳥が案内役としてとまっていました。
これはエジプトの絵と似ています。
エジプトの絵と、ちょっと小さくて見えにくいのですが、鳥船塚古墳の絵を掲載します。
それを見ていて、やっと節子がなぜ「鳥」と言ったのかがわかりました。
鳥は、彼岸と此岸を往来する存在なのです。
そういえば、前にもこんなことを書いたような気もしますが、今回はしっかりと実感できました。
節子には、あの時にもう、人類の知恵が移っていたのだと思いました。

エジプトに限りませんが、人類の知は、いまでこそ、国家によって、分断され、その広がりは制限されていますが、歴史時代に移る前までは、もっと自由に往来していたはずです。
場合によっては、その往来の範囲は、宇宙的な規模で、さらには彼岸さえをも含めていたかもしれません。
この世界が、いまのような「現世」として固まってきたのは、3500年ほど前だという説に私は理屈抜きで共感しているのですが、それまでは、時空間を超えて、あるいは種を超えて、いのちは不定型に交流していたのではないかと思っているのです。
まああんまり「科学的」ではありませんが、そう思った方が、いろいろと納得できることが多いのです。

そうか、だから鳥だったのか。
そういえば、最近、わが家にも時々、少し大きな鳥がやってきます。
最近は、いつも二羽のつがいでやってきていました。
節子は彼岸で、もしかしたら、パートナーを見つけ、その報告に来ていたのかもしれません。
もしそうであれば、それはとても喜ばしいことです。
でも、彼岸でも伴侶がいないと生きにくいのでしょうか。
まあ、詮索はやめましょう。
幸せならば、それでよい。
まあ私が彼岸に行くまでのことなのですから。


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