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2016/12/18

■節子への挽歌3393:退院しましたが、正常化はまだ先です

節子
入院生活も終わりました。
たった72時間でしたが、まあいろいろとありました。
朝、高久医師から目の開け方などの指導を受け、いくつかの注意事項を聞いて退院。
ユカに持ってきてもらったサングラスをかけての帰宅でした。
久しくしていなかったサングラスが役に立ちました。

顔の表情は変わりましたが、まぶたが腫れているので、実にこっけいです。
漫画に出てくる登場人物のようです。
節子がいたら、腰を抜かすほど笑ったでしょう。
私の前歯が抜けてしまった時ですら、心配する前に、しゃがみこんで笑いころげていましたが、今回はそれ以上です。
修は目よりも鼻の穴のほうが大きいといつも笑っていましたが、この顔を見たらどう言うでしょうか。
今回は瞼をあげてもらっただけなので、目が大きくなったわけではないのですが、瞼が二重になったのです。
ビフォアとアフターの写真をアップすればわかりますが、鑑賞にたえる顔ではないのでやめます。

それはいいとして、退院したとはいえ、こんな表情では外出もできません。
孫がきてもおそらく怖がって泣き出すでしょう。
それにまだ冷やさなければいけません。
抜糸は一週間後。

これからの人生が楽しみです。
何か変化があることを期待したいです。
ちなみに、読書がしやすくなったという実感はまだありません。
なにしろまだ瞼が熱を持っていて、実に鬱陶しいのです。
年内は自宅待機ですね。
いつもとは違う年末です。
これもまた楽しみですね。

久しぶりに節子にお線香をあげました。
さて今日は何をするか。
先ずは久しぶりに入浴して、たまっていた新聞を読み、それから考えましょう。

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