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2016/12/20

■節子への挽歌3396:幸せな別れ

節子
まだ手術の影響で、目が自由ではありません。
そこで今日は、ユーチューブで、
「生きているということは」と「生きるものの歌」を、
いろんな人の歌で聴いていました。
さだまさしさんのものが、私にはなぜか落ち着きますが、他の人のものも、それぞれに感ずるものがあります。

それぞれの歌詞の最初の部分だけ書きだしてみます。
歌で聴くのと、文字で見るのとでは、また違った感じ方がします。

〔生きているということは〕
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返していくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう

〔生きるものの歌〕
あなたが この世に生まれ
あなたが この世を去る
わたしが この世に生まれ
わたしが この世を去る
その時 涙があるか
その時 愛があるか
そこに 幸せな別れが 
あるだろうか

「生きているということは」の歌詞は、私が心がけている生き方です。
できているかどうかはともかく、心がけていることは間違いありません。
こういう生き方をしていると、とても生きやすいのです。
しかし、節子が私にしてくれたことを、私が誰かにしているかと言えば、いささか自信はありません。
相変わらずまだ、節子に目が向きすぎている気がしないでもありません。
今日、この歌を何回も繰り返し聴きながら、それに気づきました。

「生きるものの歌」も繰り返し聴いていて、あることに気づきました。
それは「幸せな別れ」ということです。
節子はおそらく「幸せな別れ」を体験したのではないかと思っています。
「幸せな別れ」には、「愛」と「涙」が必要なように、悲しさや寂しさは不可欠です。
しかし、もっと不可欠なのは、「愛」と「涙」を伴う「別れの相手」です。
「別れ」は一人ではできません。
とすれば、9年前に、私もまた「幸せの別れ」を体験しているわけです。
それがあればこそ、いまがある。
そう考えると、いろんなことの意味合いがまた変わってきます。

この2曲だけを繰り返し2時間も聴いていたせいで、またいろんな気付きがありました。
まだまだ私には世界が見えていないことがよくわかります。

しかし、おかげで目を休めることができました。
もう読書をしても大丈夫でしょう。
入院前に読みだして止まっていた「向う岸からの世界史」を読了しようと思います。
入院中にオルテガの「大衆の反逆」を読んでいて、やはりこの本を読みたくなったのです。
19世紀のヨーロッパのことをもう少し知っておかないと、現在の世界の状況はわからないような気がしてきたのです。

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