■節子への挽歌3389:心やすまる2曲
節子
少し挽歌が遅れていることと明後日からもしかしたらしばらく書けなくなるので、今日はもう一つ書いておくことにしました。
というよりも、今日は無性にさびしいのです。
先ほど繰り返し聴いたモーツアルトのレクイエムが、どうも心をセンチメントにしてしまったようです。
節子がいなくなってから、私の生活から、音楽がなくなりがちなのです。
コンサートは一度も行かなくなりました。
一度、友人の主催するオペレッタに行ったのですが、あの時の強烈な悲しみから、さらに音楽から遠のいてしまっています。
音楽は、づかづかと心のみならず、身心に入ってくる。
「ラクリモーサ」でなくとも、涙を引きだすのです。
それで、荘厳なミサとは対照的な、ますますさびしく悲しい、しかし、静かなこころになれる歌を2曲ほど、繰り返して聴きました。
その曲はいずれも永六輔さんと中村八代さんの作品です。
「生きているということは」と「生きるものの歌」です。
この2曲は、何度聞いても心やすまります。
悲しくてさびしくて、でもとても心やすまるのです。
できれば、節子と一緒に片寄せあって、口ずさみながら、聴きたいのですが、
いまは一人で、目をつむって聴くことしかできません。
声が出ない。
歌い手は、さだまさしさんが、私の心には一番響きますが、永さん自身のものも、心に沁み込んできます。
2曲がつづけて聴けるユーチューブがあります。
ぜひお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM&index=13&list=RDMEBhtwsGqvo
もし時間が許せば、さだまさしさんの「生きるものの歌」も聴いてください。
音楽から遠ざかってからも、この曲だけはよく聴いているのです。
https://www.youtube.com/watch?v=MEBhtwsGqvo&list=RDMEBhtwsGqvo&index=1
音楽を聴いていたら、遅くなってしまいました。
久しぶりの夜更かしです。
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コメント
佐藤さん、
音楽は、心のバリアを通り抜けてしまうことがあります。理論武装と言いますが、武装した鎧や盾が何の意味もなくなってしまう。あるいは、意味のないものだったことが露わになってしまう。
私は、レクイエムや受難曲は、まだ聴けません。聴けるようになるかもわかりません。武満徹さんも亡くなる間際の病床でバッハのマタイ受難曲を初めて全曲通して聴かれ、感銘を受けたそうです。
歌詞のある歌も、私には辛いものである場合があります。(死が愛の結びつきを断つことはできません。真の愛の絆は永遠に切れることはありません。神が永遠であるごとく、愛も永遠なのです。)
私は、心が荒れて疲れ果てた時は、ヘンリク・シェリングのバッハ無伴奏ヴァイオリンを聴きました。CDをかけて眠ってしまうのですが、眼が覚めると心が静まっていました。
こちらはソナタ3曲パルティータ3曲、全6曲のうちユーチューブで聴けるパルティータの1番です。
https://www.youtube.com/watch?v=jSfMZLQDehs&sns=em
投稿: 小林正幸 | 2016/12/14 06:58
また、ある書籍から引用します。
この老賢人の言葉にある大霊というのはネイティヴアメリカンが使うGreat White Spiritの訳語で日本語の神に近いですが、ある意味ではまったく違う概念かもしれません。
私が知りたい摂理として顕現する神は、この、根源のデザイン者であり、創造者であるGreat White Spiritです。
「死によって愛する人を永遠に奪われたと信じて嘆き悲しみ、目に涙を浮かべておられる人たちへ、慰めのメッセージを贈りましょう。
わたしから是非とも申し上げたいのは、死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできないということです。愛はすべての障害を打ち砕きます。愛は必ずやその愛する相手を見つけ出すということです。
愛する人がこの残虐と誤解と無知の世界から、内部の神性がより豊かに発現される世界へと連れて行かれたことを泣いて悲しむのはお止めなさい。神があなたの庭から一本の花を抜き取って神の庭へ植え代えられたことを悲しんではなりません。その庭で、あらゆる制約と束縛とから解放されて、内在する香りをより多く放つことになるのです。
死も生命の法則の一環であることを理解してください。生と死はともに大霊のものであり、ともに大霊の摂理を教えるために使用されているのです。涙をお拭きなさい。悲しむのは間違いです。なぜなら、愛する人は今もなおあなたの身近にいらっしゃるのです。死は愛を滅ぼすことはできないのです。大霊が永遠であるごとく愛も永遠なのです」
投稿: 小林正幸 | 2016/12/14 08:50