■節子への挽歌3390:佐藤さんの印象はあのころと変わりません
節子
雨です。
冷たい雨です。
巡礼者の鈴木さんのハガキ通信が毎週何通か届きます。
昨日届いた最新のものに、こう書かれていました。
初めてお会いしたのは50歳前後のころだったと思いますが、 佐藤さんの印象はそのころとあまり変わりません。
鈴木さんと会ったのは、私が会社を辞めて、人生を大きく変えた直後かもしれません。
当時の鈴木さんは、世界を旅する若者でしたが、いまは宇宙を旅する巡礼者になっています。
あの頃は、私も広い世界に魅かれて、さまざまな世界を放浪していました。
人生のキャンパスを一新して、そこにまた自分の人生を書きだそうという感じで、毎日が実にワクワクしたものでした。
時代もありますが、あれは幸運以外の何物でもないでしょう。
結局は、書き損じた絵しか残っていませんが、刺激的な毎日を過ごしていたことを覚えています。
実にさまざまな出会いがありました。
その人たちは、いまなお私の中では生き続けています。
歳を取らずに。
人は、最初に出会った時の印象を持ち続けます。
多くの場合、印象はいつになっても変わらない。
私が、節子に対する印象も、最初に会った時の印象がいまなお残っています。
社会のけがれをまだ何も知らないような、まっすぐなまなざしが印象的でした。
けがれを知らないということは、社会に関する知識もないということです。
いまから思えば、思い上がりも甚だしいのですが、私には「マイフェアレディ」のヒギンズ教授のような期待が少しあったのです。
しかし、「マイフェアレディ」と同じように、変えられたのは私自身でした。
それも、「ナラティブ」に、です。
私の人生は、そこで決まったのでしょう。
鈴木さんとの関係も、たぶん変わっていません。
だから私もまた、鈴木さんの印象は、出会ったころとほとんど変わらない。
人は、目で世界を見ているのではなく、身心で世界を見ているように思います。
いまの私の身心では、やはり最初に出会った20代の節子が、元気に生きています。
たぶん、彼岸に行ってしまった節子の中でも、あの最初に出会ったころの私が生きているでしょう。
これまたいまから思えば、たぶん、節子以上に、まっすぐなまなざしをもっていたはずです。
いささか独りよがりで、夢の世界の中でのまなざしではありましたが。
私のいない世界に、私は生きていくつもりはないと、その当時から強く持っていましたから。
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