■節子への挽歌3393:人生を聴いてもらえることの幸せ
節子
入院生活ももうじき終わりの3日目の夕方です。
今日は土曜日なので、同室のお二人にはいずれも親戚の見舞客がありました。
私は目を冷やしながら横になっているだけなので、話が自然と入ってくる。
もっとも、お一人のほうは地元の方のようで、家族同士の話はどうも方言的でよく聞き取れません。
意味もあまりわからず、雰囲気だけです。
しかも、患者の方は耳が遠く、看護師さんとのやりとりも時々すれ違います。
なんとなく聴いていても、きちんと会話が成り立っていないような気もします。
しかし、3人の会話は言い合いながらも実に楽しそうです。
奥さんが「あんたがいないので喧嘩ができない」と笑いながら話していました。
もう一人のほうは、久しぶりに会った様子の若い人がやってきました。
その2人を相手に昔話や今の話を一気呵成に話していました。
それが実に楽しそうなのです。
ここではあまり紹介できませんが、波乱万丈ともいうべき、ドラマティックな話です。
ちょうど佳境に入った時に、さらにたくさんやってきて病室に収まりきれなくなったため、みんなでロビーのほうにいったため、続きは聞けませんでした。
いささか残念。
後者の人は、いま一人暮らしです。
お話からいまの生活状況が、月収から余暇の使い方までわかりましたが、それはともかく、これまでの人生を話すようすが、となりで聞いていて、手に取るように伝わってくる。
人生を語る相手に久しぶりに会ったような感じです。
一人暮らしだと、なかなかそういう機会はないのでしょう。
人生を共にする相手がいなくなったとしても、人はやはり、人生を聴いてくれる人が必要なのです。
面会から戻った隣人は、とても幸せそうです。
血糖値までいつもより低くなっていました。
ちなみに、私のところには誰もお見舞いはありませんでした。
人生を語る相手もいないまま、入院3日目を過ごしています。
高久医師が先ほどやってきて、順調だと言ってくれました。
本を読んでもいいそうですが、
これからさらに腫れは大きくなるそうです。
冷やすべきか、読書すべきか、それが問題です。
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