« ■衆愚政治と民主政治 | トップページ | ■節子への挽歌3380:歯医者さんで考えること »

2016/12/05

■「知の囲い込み」と「愚民概念」

このシリーズは、私たちが主催した公開フォーラムで、ある「有識者」たちが日本の国民の多く(すべてではありません)を「愚民」と決めつけたことに違和感を感じ、書き出したものです。
もう一度、原点に戻って、「愚民」について考えてみたいと思います。
なぜならば、「有識者」は「愚民」こそが、その存在のよりどころだからです。
言い換えれば、「愚民」を生み出すことに、彼らは自らの存在基盤を見出しているのです。
私は、その構造に大きな違和感を持っているのです。

これに関しては、すでにさまざまな論考がありますので、繰り返すまでもないでしょうが、「愚民概念」は、巧妙につくられた、人為的なものです。
マルクスは、社会的知識を「一般的知性」と呼び、それが機械などの固定資本に具現化されて経済を大きく支えているとしていますが、アントニオ・ネグリは、そもそも個々人が持っている知性にまで、その概念を広げました。
そして、現代のような成熟社会にあっては、その一般的知性が経済を主導すると指摘しています。
そもそも一般的知性とは、みんなが創りだした共有財産(コモンズ)です。
たしかに発明家はいますが、その発明は完全に個人によって行われるわけではなく、社会を構成する「みんな」が生み出し育ててきた「知」の支えによって、顕現したものです。
しかし、知が「みんなのもの」であれば、空気のように、経済的価値を生み出すことはありません。
そこで始まったのが「知の囲い込み」です。
本来はみんなのものである土地の囲い込みから始まった資本主義経済は、人知までも囲い込みだしたのです。

その典型的な手法が、知的所有権です。
これは、一般的知性、つまりコモンズとしての知を市場化するためのものです。
そもそも、社会が、つまり「みんな」が育ててきたものを、法や制度によって誰かの私的所有物にするという仕組みです。
経済の面から言えば、そこには大きな効用があるでしょうが、そのために経済的に貧しい国の子どもたちには高くて購入できない医薬品が生まれてしまうわけです。
私たちの生活は、そうした「制度的に市場化」された商品やサービスに取り囲まれています。
わかりやすいのは、ウィンドウズなどのOSです。
税務や裁判などに関する知識も、そのひとつです。
私にはこうした「知の囲い込み」制度は納得できませんが、そうしたものを利用しなければいけない仕組みがどんどんと大きくなっています。

話がやや外れてしまいましたが、「囲い込まれた知の世界」の内外では大きな経済的な差が生まれてきています。
アメリカでは、そうした「知の世界」で働く人は、全体の2割だと言う人もいましたが、おそらくその比率はどんどん小さくなっているでしょう。
つまり、知の独占が進んでいるのです。
「囲い込まれた知の世界」から追い出された人たちは、どうなるのでしょうか。
そして、金融経済はともかく、社会の実体を創りだしているのは、どちら側なのか。
そこをぜひ想像してほしいと思います。
そして、「愚民」という言葉が含意することを、真剣に想像していただきたいと思います。
人は、いまや「想像力」を手に入れているのですから。

「愚民」と言われて納得してしまう人が多いことに、私は唖然としています。
有識者は、そもそも「愚民」概念に寄生している人たちですから、彼らがその言葉を使うのは、さほど驚きません。
しかし、「知の世界」から追い出された人までが、それに安住していることには、暗澹たる気持ちになります。
ジュリアン・ジェインズが言っている、神の声に従って生きていたという3500年前に戻った気分です。

そのうち、言語の使用にまでお金がとられるようになるかもしれないと言っていた人がいますが、あながちそれは冗談でもないのかもしれません。
知識社会は、知の開放(共有)社会であってほしいですが、どうも反対の方に向かっているのが、気になります。

話が少しずれてしまったような気もしますが、どうもこうした議論には、私はいささか感情的になってしまうのです。

|

« ■衆愚政治と民主政治 | トップページ | ■節子への挽歌3380:歯医者さんで考えること »

政治時評」カテゴリの記事

コメント

知の囲い込み、音楽でも同じことがあります。

旋律は著作権で保護されます。コード進行にはありません。だから、同じコード進行を流用した曲がジャズではたくさん作られています。
もし、アドリブソロが著作権で保護されでもしたら、ジャズのアドリブ演奏は不可能になります。なんと馬鹿げたことか。

でも、そのアドリブ演奏でさえ、研究するためのトランスクライブ譜面つまりコピー譜面は自由に出版することができません。著作権で保護されているからです。

著作権保護が音楽の公平な利益配分や音楽の発展を阻害していることは、多くのミュージシャンが言っていることです。
真似しかできないミュージシャンの音楽は、放っておけば消えて行きます。魂に届くものがないからです。
まったく同じ旋律でも、訴えるコアの何か(音色であったり、表現であったり)があれば、それは確かに価値があり、受け入れる人はいるはずです。

政治だけでなく、あらゆる分野で囲い込みがあります。この世の人間が自分だけの力で発見したものなどほとんど無いのに。(そのほとんどは、与えられたものです。インスピレーションによって。)

それ(知の囲い込み)は何がさせているのか。利己心であり、拝金主義であり、唯物主義です。

これも、魂の成熟度によるものだと、私は考えています。
自ら蒔いた利己心の種は自ら刈り取ることになるのに。。

投稿: 小林正幸 | 2016/12/05 11:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/64584918

この記事へのトラックバック一覧です: ■「知の囲い込み」と「愚民概念」:

« ■衆愚政治と民主政治 | トップページ | ■節子への挽歌3380:歯医者さんで考えること »