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2016/12/13

■節子への挽歌3388:「ラクリモーサ」

節子
今回は節子と一緒に、モーツアルトのレクイエム「ラクリモーサ」を聴いてみようと思います。
節子は知っていると思いますが、私は教会の雰囲気やミサ曲がどうも苦手なのです。
なぜか心が縛られる気がするからです。
ですから、レクイエムも聴いたことはありません。
それなのになぜ聴く気になったか。
それはフェイスブックで、敬愛する一松さんから、こんなメッセージが届いたのです。
たまたま時間があったので、私としては、めずらしく、いや初めて、聴いてみました。
一松さんのアドバイスに従って。
一松さんの書かれていることがよくわかりました。
それで少しネットで「ラクリモーサ」について調べてみました。
モーツアルトが、自らの死の直前に作曲し、自らはこのレクイエムを聴くことなく、逝ってしまったそうです。
音楽には、いつも物語がある。

一松さんのメッセージを、少し長いですが、引用させてもらい、今日の挽歌にかえたいと思います。

葬式は、死者と送る側が濃い関係にあり(最愛の肉親や生涯の恩人・・・。社葬に末端の取引先として参加する場合などではなく)、かつ霊魂の存在が確信を持てないまでもアタマにある大多数の場合には、痛切な哀悼の祈りが死者の霊を慰め安心のうちに彼岸へと旅立ってもらう働きをするに違いないとの安心感を与えてくれます。
この安心感は未開社会も現代も人間にとって根元的意味を持つものではないかと感じます。
いわば世俗的富や権勢によっても得られない根源的安心感。
それゆえ葬式を(心において)ないがしろにする者がもしいれば本人はむろんのこと周囲をもけっしてハッピーにはしないと思います。

このコメントを書く前にモーツアルト35歳の絶筆、レクイエム(鎮魂曲)のラクリモーサ(涙の日)を聴きなおしました。
壮麗な葬儀の場も真の天才の手にかかると、痛切な哀悼の祈りは祈る者をも浄め、また自分もこれほどに哀悼される者でありたいとの夢ないし意識の覚醒をもたらしてくれるのではないでしょうか。
ベームの名演をご紹介させていただきます。
29分20秒からお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=-1DsJ5YQr5s&t=2042s

節子
一緒にラクリモーサを聴きましょう。

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