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2016/12/21

■「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」

7年前に島根で起こった殺人事件の犯人が確定したことで、遺族の方が「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」と話していました。
「なぜ後を絶たないのか」。
よく耳にする言葉です。
しかし、その「なぜ」がきちんと考えられることは、あまりありません。
みんな、その言葉にうなづきながらも、「なぜ」を考えない。
だから、この問いの答えは明らかです。
このような事件が後を絶たないのは、誰も「なぜ」を考えないからです。
むしろ、同様な事件を誘発するようなことばかりしているのが、いまの社会のような気がしてなりません。
かなり厳しい言い方になりますが、当事者もまたその例外ではないことも多い。

ところで、「このような事件」とは、不条理な殺人事件だけではありません。
なぜ繰り返されるかと思われるような「このような事件」はたくさんあります。
子どもたちの自殺や「いじめ」と称する暴力行為も、後を絶ちません。
政治家の嘘も後を絶たなければ、報道の偏った編集報道も後を絶たない。
沖縄では、相変わらずの事件が繰り返されています。
原発事故はまだ「再発」していませんが、いまのままでは「後を絶つ」ような状況にはありません。
世界では、不幸な自爆「テロ」事件も広がっている。

「なぜ」をどうして考えないのか。
それは、原因は社会の制度や文化、あるいは自分とは別の世界にいる人たちにあると考えるからではないか、と私は思います。
ロバート・ベラーは、30年程前に出版した「善い社会」のなかで、「自らの社会の制度について考える私たち自身の能力を高めないことには」、「善い社会」は実現しないと書いています。
もし30年前のアメリカの人たちが、ベラーの警告に耳を傾けていたら、いまのようなアメリカにはなっていなかったかもしれません。
9.11も、たぶん起きなかったでしょう。
ベラーの警告は、いまの日本社会にもぴったりと当てはまります。

私はこの30年近く、さまざまな社会の問題に取り組む現場の人たちと、ささやかにお付き合いさせてもらってきています。
子どもの問題、高齢者の問題、障がいのために生きにくくなっている人たちの問題、自殺の問題、認知症の問題、メンタルヘルスの問題、…。
問題は違っても、「なぜ」を繰り返していくと、みんな同じところに行きつくような気がします。
それは、私たちの生き方です。
簡単に言えば、私たち一人ひとりの生き方が、「後を絶たない」問題を生み出している。
私たち一人ひとりの生き方が、社会をつくりだしているとしたら、そこで起きる「問題」に無関係な人などいるはずもない。
自分の生き方が、誰かを追い込み、誰かを不幸にしていることはないのか。
自分の生き方を変えることなく、社会に疑問を投げかけても、何も変わるはずはないのです。
「なぜ」を問うのであれば、まずは自分の生き方から問うのがいい。

私は、こうした言葉を聞くたびにそう思い、生き方を問い直すようにしています。
できることはたくさん思いつきます。
昨日よりも、もっとゆっくり歩くだけでもいい。
エレベータで乗り合わせた人に声をかけるだけでもいい。
気になっている人に、電話するだけでもいい。
物やお金への執着を少しだけ弱めるのでもいい。

「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」と問いかけるだけでなく、
「このような事件が起きないように、自分にできることは何か」を見つけ、実行する。
「問い」は、「行動」につなげたい。
それぞれがそうしていったら、いろんなことが「後を絶っている」社会になるのではないか。
そう確信しています。

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