■節子への挽歌3403:にこを抱く?
節子
昨日もジュン親子がやってきました。
孫の「にこ」も少しずつ立ち上がろうとするところまでに来ました。
ところで、娘は来るたびに私に、にこを抱く?と訊きます。
いつも訊くのですが、抱きたければ抱くだけのことであって、なんでいつも訊くのかがよくわかりませんでした。
しかし、実はこれは娘にとっては大きな意味があるのかもしれません。
娘は、節子に孫を抱かせてやれなかったのを、とても悔やんでいました。
娘が本気で結婚する気になったのは、節子の発病後かもしれません。
娘は、本当は私にではなく、母親の節子に、孫を抱かせてやりたいと思っているのです。
その気持ちは、なんとなく感じてはいるのですが、どう表現していいかよくわかりません。
孫を見ていると、節子がいたらなあ、と思うことはよくあります。
おばあちゃんのいない孫の不憫さも感じないわけではありません。
私が抱くと、時に泣きだしていた孫も、最近は笑うようになりました。
節子の分まで、抱かないといけません。
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コメント
佐藤さん、
実に大きな意味があると思います。
父親の私でも両親に抱いてもらえたことには大きな感慨がありました。とてもたくさんの意味がありそうで言葉ではひとつにはなりませんが。
私の母も、生まれた私を祖父祖母に抱いてもらったことはとても大切なことであったようです。
なんなのでしょう、私にも判りません。ただ強く感じます。それでよいと、そのままで判らなくてよいと、ただ感じていればよいと、思っています。
投稿: 小林正幸 | 2016/12/28 11:20