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2017/01/06

■節子への挽歌3413:気にかけてもらうことの幸せ

節子
今日はようやくがんばりました。
午前6時からずっとパソコンに張り付いていました。
山のように課題がたまっていました。
困ったものです。
年賀状のお返しどころではありません。
もう少し不義理が続きそうです。
もし該当者がいたらお許しください。

と言いながら、実は、テレビで放映された映画「オッデセイ」を見てしまいました。
ちょっと気分転換にと、3時のおやつの後にちらっと見ようと思ったのですが、なんと2時間半の大作で、結局最後まで見てしまいました。
ご覧になった人もいるでしょうが、火星に取り残された宇宙飛行士が奇跡的に生還するというSF映画です。
主役はマット・デイモン。
http://www.foxmovies-jp.com/odyssey/

奇跡の生還というと何やら感動ものですが、実にコミカルな軽い映画です。
専門用語も多いので、私にはあんまり理解できませんでしたが、なんとなくは伝わってきました。
あんまりリアリティはなかったですが、途中でやめる気にはならなかった程度に面白かったです。
ただし、節子向きの映画ではありません。

火星に取り残された主人公は、普通であれば絶望して自暴自棄になるでしょうが、彼は決してあきらめません。
そのうちに、地球の人たちに自分の生存が知られていることがわかります。
そして交信ができるようになる。
そうなれば、もう生きつづけられます。

今日も、テレビのニュースで、自分の存在を知ってもらいたくて、過激な映像をネットに流して逮捕された人が報道されていました。
人はどうして、自らの存在を他者に知ってもらいたいのでしょうか。
たぶんそうした事件を起こす人には、仲間や友達がいないのでしょう。
仲間や友達は、一人でもいればもう十分です。
一人の、心を許す人がいれば、人は必ず生きつづけられます。
心を許す人でなくても、誰かが私を気にかけていると思えれば、生きつづけられるでしょう。

しかし、あまりに気にかけられすぎると、いわゆるストーカー事件になってしまいます。
フランスではそれがまた殺人にまで行ってしまいました。
ただ、ストーカーの場合は、気にかけるのではなく、気にかけてほしいと相手に強要することですから、意味合いは全く違います。
むしろストーカーになる人は、相手のことを一切気にかけなくなるのでしょう。

この半月、怠惰に過ごしていましたが、いろんな人のことを思い出していました。
思い出しただけでは、その人には何も伝わらないかもしれませんが、もしかしたら伝わっているかもしれません。
なぜかそんな気もします。
そして同時に、私もいろんな人から時々でしょうが、思いをはせてもらっているのかもしれないという気がしています。
今日も何枚かの年賀状が届きました。
同じ地球上なので、火星にいるよりも、その思いは強く感じます。
「オデッセイ」を見た後、急にまた人恋しくなってしまいました。
パソコンよりもやはり肉声がいいですね。

明日はまた今年2回目のオープンカフェです。
どんな人に会えるでしょうか。

さてもう少しパソコン作業をしないといけません。
怠惰な暮らしは、やはりしてはいけません。
苦の後の楽は最高の幸せですが、楽の後の苦は、それはそれは苦痛です。
人生、地道に生きなければいけません。

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コメント

孤独、孤立、無関心、無視、阻害、村八分。。。
生きていられなくなる。自死する。
私の弟も、おそらくそれでした。

だからこそ、たった独りで孤独を噛み締めているように思えても実は独りきりではないこと、常に寄り添い導き気にかけ愛してくれる存在があることが認識できれば、自殺も無くなるのです。

キリスト教神学で自殺は防げたでしょうか。
仏教の教典で自殺は防げたでしょうか。
神社の祝詞で自殺は防げたでしょうか。

メールでお知らせした書籍にも、その存在についての記述があります。
自死をなくし、戦争をなくし、格差をなくし、貧困をなくし、餓死をなくす。それは可能なんです。
暗闇から燦々たる光の中に出る勇気さえあれば。

投稿: 小林正幸 | 2017/01/06 21:35

小林さん
いつもありがとうございます。
元気づけられます。

人は本来、孤独ではありません。
生命はすべてつながっているからです。
人間が個体としてかなりのまとまりを持ち出したのは、つい最近のことだと私は考えています。
つい最近と言っても3500年程前ころのことですが。
まあしかしそんなことは私の主観ですからどうでもいいのですが、
いろんなことにつながっている自分に気づけば、孤独とか孤立とか無縁とかいうことは、
誰かがつくって脅迫している操作概念であると思えるようになります。
道端の野草とも、空の雲ともつながっていると思えれば、
気持は豊かになります。

人は、どんな状況においても孤独ではあり得ません。
そのことに、素直に気づける社会になってほしいと思っています。

投稿: 佐藤修 | 2017/01/07 06:40

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