■節子への挽歌3409:怠惰の蜜
節子
今日もまた「シャン」とせずに、ダラダラ過ごしてしまいました。
実はお年始に行く予定だったのですが、箱根駅伝を見ているうちにタイミングを失してしまいました。
一度、何もしない怠惰の蜜を知ってしまうと、もう立ち直れません。
困ったものです。
しかし、それではいけないと思い、昨日届いた年賀状を読みました。
人生にはいろいろあります。
実にいろいろとある。
そしてパソコンに向かってフェイスブックを開いたのですが、そこにいろんな人の年始メッセージがあるのに気づきました。
それをさかのぼって読んでいたら、1時間以上時間がたってしまいました。
しかしまだ見落としがありそうです。
いささか疲れてしまい、あきらめました。
どうもフェイスブックの表示ルールがわかりません。
昨年から始まった「祈り鶴プロジェクト」は半月、目の手術で外れてしまっているうちに、大きく動きだして、もはやついていけなくなってしまいました。
テレビなどでも報道されだしていますが、フェイスブックでたくさんのメッセージが届いていました。
いまさらあまり議論に入れないので、今度実際にメンバーに会うまでは読むだけにしようと思います。
これもまた、怠惰の蜜。
フェイスブックが中心になったのか、メールでの年賀メッセージはあまり届いていませんでした。
時代の変化は実に早い。
年賀メールを始めたのは、私はかなり早いころでしたが、いまやもう時代についていけなくなっているようです。
年が明けての一番早い相談は、意外なことに節子も知っている大川さんからです。
これもフェイスブックで送られてきました。
かなり具体的な相談なので、4日に会うことにしました。
怠惰に陥ると、こうした誰かが引っ張り出してくれる。
それを喜ぶか嘆くかは、迷うところです。
明日は年始訪問に行きましょう。
今年は来客はないでしょうから。
それに来客があっても、接待する料理がもうありませんし。
実に何もない三が日。
こうして没世間でいると世界はとても平和なような気がしてきます。
怠惰に生きることもまた、豊かな人生かもしれません。
ただ私にはたぶん、できない生き方でしょうが。
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