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2017/01/05

■節子への挽歌3412:至福の世界

節子
久しぶりに彼岸につながるような夢を見ました。
節子がいなくなってから、時々、見る夢です。
なにやらとてもあったかいものに包まれて、この上ない至福の気持ちが、目が覚めてからも残る夢です。
節子が出てくるわけではありませんが、まちがいなく節子の雰囲気が残る夢です。
至福の気持ちは、目が覚めてもしばらくは残りますし、思い出してもなんだか心身があったかくなるような気がします。
特に「物語」があるわけではないので、内容を具体的に説明できないのですが、ともかく至福とはこういうことかと思えるような大きな光に包まれると言った感じです。
時には、何かに抱かれているという感じが残ることもあります。
しかし残念ながら、それはそう長く続くわけではありません。
しかもさらに進めば、もっと大きな幸せに包まれる気がしますが、そこに行く一歩前でいつも目が覚めます。
もしかしたら、死とは、そういうものかもしれないと、その夢を見るたびに思います。
もしかしたら、節子はそれを体験したのかもしれません。
至福の気持ちの先に、至福の世界がある。
私にはまだ、至福の世界は先のことなのかもしれません。

最近よく夢を見ます。
忘れてしまっていたような、思いもしない旧友が出てくることが多くなりました。
目が覚めると何を会話したかが思い出せませんが、旧友との出会いの感覚だけは強く残ります。

不思議なのは、夢で初めて会う人もいます。
どう考えても会ったこともない人が、夢の中では主役をつとめていることもあります。
有名人などでは全くなく、私がまったく知らない人です。
映画などでは、夢であった人に、その後、現実で会うということがありますが、私の場合はまだそうした経験はありません。
現世で会えないでいる人に、もしかしたら夢で会っているのかもしれません。
夢は実に不思議な世界です。

至福の彼岸と違って、現世には悩ましい問題が多いです。
夢であれば、どんな悩ましい問題も、目を覚ませば白紙にできますが、現世ではそうはいきません。
眠って起きても、消えていないのです。

今日からいろいろと活動を始めましたが、悩ましい問題ばかりで、せっかくの至福の余韻も、消えそうです。
でもまあ、至福の余韻に支えられながら、豊かな判断をしていこうと思います。
そのためにも、今年は、改めて「寛容」な生き方を意識したいと思います。
「寛容さ」を最近少し忘れ気味でした。
昨夜の夢は、それを思い出させるためだったのかもしれません。

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妻への挽歌17」カテゴリの記事

コメント

それは節子さんに会ったんですよ。
節子さんの愛に包まれたんです。
シンプルでしょう?

私も同じような経験があります。私も会ったんです、きっと。

投稿: 小林正幸 | 2017/01/05 12:44

はい、そうです。

投稿: 佐藤修 | 2017/01/05 18:00

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