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2017/01/10

■節子への挽歌3417:フェイスブックでまたうれしい連絡がありました

節子
とてもうれしいメールが届きました。
福田粛さんからです。
フェイスブックでつながったのです。

もう30年以上前になりますが、ハワイのキラウエア火山に行くツアーでご一緒した福田さんです。
そのツアーは、実に魅力的なメンバーでした。
いまは大活躍の茂木健一郎さんも、その一人でした。
私たちは夫婦で参加させてもらいました。
帰国後、湯島でみんなで会いました。
その時も、福田さんはわざわざ関西から出てきてくれました。
その後、交流がありましたが、いつの間にか交流が途絶えてしまっていました。
節子が病気になってから、私は一時期、世間と断絶しているような時期がありましたから。

福田さんは、いま大学教授です。
以前送っていただいた論文は、私のとても関心のあるテーマで、いろいろと示唆をいただいたことを覚えています。
いまは何に取り組まれているのでしょうか。

福田さんは、昨年末、またキラウエア火山に行ってきたそうです。
メールにこう書かれていました。

年末にキラウエアに行ってきました。
佐藤ご夫妻や他いろいろ思い出していました。

あの旅はとても豊かな旅でした。
それに、私にとっては、節子との最初の海外旅行でした。
思い出すことがとてもたくさんあります。
その旅の途中で、大学時代の友人に会ったりもしました。
私が新しい生き方に移る契機のひとつにもなった旅でした。
出会った人たちも、みんな魅力的でした。

その時のメンバーはいまはどうしているでしょうか。
よく湯島のサロンに来ていた松崎さんは節子よりも先に亡くなってしまいました。
一番年長だった杉本さんは、いまも時々、湯島に来てくださいます。
節子との交流があった、もう一人の女性の前田さんは粘菌学者ですが、その後、アメリカに移って連絡が途絶えてしまいました。
節子の闘病の時期、そうした人の繋がりをおろそかにしてしまったために、交流が途絶えてしまった人も少なくありません。
いまのようにフェイスブックでつながっていれば、関係は持続できるのでしょうが、10年前はまだ繋がりは意図的に維持しないと失われやすかったのです。

一度また、みんなに声をかけさせてもらおうかとも考えましたが、そういうことも節子がいないとどうもやる気が起きません。
最近、一人では何もできない自分に気づきだしています。
困ったものです。

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