■節子への挽歌3410:最後までだらだらに終わってしまいました
節子
今日は兄の家にある両親の仏壇に挨拶に行きました。
以前は、お正月には必ず行っていたのですが、それぞれの子どもたちも大きくなるとリズムも変わってきて、このところあいさつ程度に終わっています。
今年は、娘も付き合ってくれたのですが、ちょうどお昼時になったので、みんなで食事に行こうということになってしまいました。
兄夫婦はもう80代ですが、ふたりとも元気です。
今日は誰も来客がなく、たぶん退屈していたのでしょう。
久しぶりに会食しました。
兄と私は、会うと必ず論争になるのですが、最近はお互いに歳のせいか、論争を避けるようになってきています。
お互いなにがあってもおかしくない歳ですから、悔いのないようにしなければいけません。
言い争った翌日、どちらかが急死したら、おそらく後悔するでしょう。
まあそんな歳になってしまったということです。
節子がいなくなってから、兄夫婦とこうして食事を一緒にするのは、法事のほかは初めてかもしれません。
そんなわけで、今日もまたあんまり「しゃん」とできずに、ダラダラ過ごしてしまいました。
食事にまで娘を付き合わせてしまったので、娘の午後の予定はだめになってしまいました。
兄夫婦はいつも会うたびに、私が何とか生き延びたのは、娘のユカのおかげだと言います。
たしかにそうかもしれません。
娘たちには感謝していますが、しかしこうも言えるのです。
もし娘たちがいなかったら、私も彼岸に行けたであろうにと。
これで三が日も終わります。
明日からはほんとうに「しゃん」としないと、新しい年がはじまりません。
節子がいない三が日は、いつも正直、とてもさびしい三が日です。
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