■節子への挽歌3422:2人の友人知人
節子
昨日はテレビで、久しぶりの2人の友人知人の顔と名前を見ました。
長年生きていると人の付き合いも広がり、いろいろなことがあります。
ひとつは、いささか不幸な事件ですが、私の友人は加害者として報道されていました。
彼のことをよく知っている私としては、とても不幸な事件としか言いようがありません。
実は、この2年ほど、会っていなかったので、そろそろ声をかけようと思っていた矢先です。
職場を変えたこともあって、もしかしたらストレスがたまっているのではないだろうかとなんとなく感じていたのです。
そして今回の報道。
わずかな報道でしたが、彼のことだとすぐわかりました。
世間的には「加害者」かもしれませんが、いかなる犯罪も、そこに関わった人たちはみんな被害者だと思っている私には、むしろ友人もまた被害者だという思いです。
大切なのは、いま彼がたぶん深く落ち込んでいるだろうなということです。
娘に、連絡を取ろうかなと相談したら、しばらくはやめたほうがいいと言われました。
たしかにそうでしょう。
善意は、所詮は自分自らの満足のためであることが少なくありません。
でもはやく彼には会いたい気分ではあります。
最初に会った時のさわやかな笑顔と誠実さの好印象が、いまも私には強く残っています。
もうひとつは、事件とは関係なく、ある件に関して話をしている姿を見ただけです。
節子の胃がんが判明した時、最初に相談した医師の一人が、その人です。
いまから思えば、極めて的確なアドバイスをしてくれました。
しかし、当時は、そのアドバイスが私の心を閉ざさせてしまい、以来、交流は全くなくなりました。
ですから、節子のことを報告する機会も失っています。
もっとも、さほど親しかったわけではありませんし、彼にとっては、それこそ記憶にも残っていない些細な話でしょう。
私も時々、いろんな相談を受けます。
しかし、相談に対する対応は、それこそ十分に気をつけなければいけません。
理論的には的確なはずのアドバイスが、実際にはまったく的確でないことは少なくありません。
そのことを気づかせてくれたのは、その知人でした。
だから私の頭から、その人の名前は消えたことがありません。
しかし、たまたまテレビを見たら、2人の友人知人に出合うとは。
なかなか世間から自由になるのは難しいです。
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