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2017/01/10

■節子への挽歌3416:年始のあいさつがなかなかできません

節子
ようやく陽ざしが戻ってきました。
陽が当たりだすと一挙に風景が変わります。
今日は午後から時間ができそうなので、連休中にやる予定だった作業を精いっぱいしようと思います。
また勤勉な生活が戻りそうです。

今年は年賀状も年賀メールもほとんど出していません。
年賀状は一応購入してはいるのですが、まだ全くの手つかずです。
そうしたらある人から、自分が出した年賀状は届いているかという電話がありました。
もしかしたら心配をかけているのかもしれません。
そろそろなんらかの反応をしなければいけません。
生きるということは、人との関係に心遣いをするということでしょうが、なぜか今年は「その気」になれません。
困ったものです。

しかし、それはどうも私だけではないようです。
気になっている人たちからの、年に1回のメールや年賀状が何人か届きます。
いずれも私の反応を期待しているようなので、こうしたものにはすぐ反応するようにしています。
しかし、毎年、そうなのですが、再びの連絡はいずれからもありません。

父親を亡くしてぽっかりと心の中に穴が開いた。
湯島に言っていいですかというメールには、いつでもどうぞと返信しました。
でも何の反応もない。
昨年は行けなかったが、今年こそ伺いますと言う人にも、サロンの案内を出しましたが、返信がない。
どうしていますかと気にしてくれている言葉が、毎年、年賀状に書き添えてある若者には、毎年、年賀状で近況を伝え、メールアドレスを書いていても、また1年間何の連絡もなく、同じ言葉が添えられた年賀状が届く。

問いかけた以上は、その問いへの答えに対して反応してほしいのですが、なかなかそうはなりません。
これは私の生き方とは全く違うのですが、しかし、反応しないのには理由があるのでしょう。
でも問いかけが宙ぶらりんになっていると、どうも気になって仕方がないのが、私の性格なのです。
その理由を詮索すると、また際限がないのですが。

まあそんなこともあって、今年は年賀状や年賀メールを放置したままなのです。
「その気」になったら、書きだしますので、お許しください。
今日はともかく「作業」です。
寒くなるとまたできなくなりますので。
自然とと共に生きると言うのも、なかなかいいものです。


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妻への挽歌17」カテゴリの記事

コメント

佐藤さん、
死別の悲しみに苦しんでいる方には、私が出会った知識が役立つかもしれません。
こんなメッセージがあります。

「皆さんからシルバーバーチと呼ばれている霊から、死によって愛する人を永遠に奪われたと信じて嘆き悲しみ、目に涙を浮かべておられる人たちへ、慰めのメッセージを贈りましょう。

自ら死を体験したのち三千年の霊界生活を体験してきたこのわたしから是非とも申し上げたいのは、死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできないということです。愛はすべての障害を打ち砕きます。愛は必ずやその愛する相手を見つけ出すということです。

愛する人がこの残虐と誤解と無知の世界から、内部の神性がより豊かに発現される世界へと連れて行かれたことを泣いて悲しむのはお止めなさい。神があなたの庭から一本の花を抜き取って神の庭へ植え代えられたことを悲しんではなりません。その庭で、あらゆる制約と束縛とから解放されて、内在する香りをより多く放つことになるのです。

死も生命の法則の一環であることを理解してください。生と死はともに大霊のものであり、ともに大霊の摂理を教えるために使用されているのです。涙をお拭きなさい。悲しむのは間違いです。なぜなら、愛する人は今もなおあなたの身近にいらっしゃるのです。死は愛を滅ぼすことはできないのです。大霊が永遠であるごとく愛も永遠なのです」

投稿: 小林正幸 | 2017/01/10 11:38

あ、そうか、社交辞令なのか。。
定型の挨拶文がわりか。
死別の悲しみに本当に苦しんでいるなら、もがいてもがいて、水の底で窒息しそうになって空気を求めるように、すがりつく何かを必死に求めて、飢えた野良犬のように、探し回る。何もかも手当たり次第にむさぼり食らうように、食らいつく。。
私はそうでした。

でも、私の両親もそうではなかった。自分の実の子が自死しても。
悲しい悲しい、何もできない、そう口では言う。
違う、違う、違う。死別の悲しみは、そんな生易しいものじゃない。悲しんでなんていない。

死別を社交辞令に使う人を、私は悲しいと思う。本当に悲しいと思う。
私の出会った知識が救いになる人は、気も狂わんばかりに悲しんで悲しんで、後を追って死んでしまいたいほどに苦しんでいる人です。
悲しい。

投稿: 小林正幸 | 2017/01/10 20:20

小林さん
ありがとうございます。
今度、彼に会ったラ状況によっては話してみます。

シルバーバーチについては、以前も一度、挽歌でも取り上げましたが、
もしかしたらこれも小林さんのメールが契機だったかもしれません。

投稿: 佐藤修 | 2017/01/10 20:31

投稿のタイミング悪く順序が逆になりました。

死別が社交辞令になることはないと、私は思います。
小林さん
悲しみ方には、いろいろあります。
それに当人でなければわからない。
当人でさえ、わからない。
10年たって分かることもある。

そう思うのです。
私は、それに社交辞令にも、何かしらの「実体」があると思っています。

投稿: 佐藤修 | 2017/01/10 20:37

いえ、その契機はたぶん私ではありません。苦しんで学んでいた(それは今もですが)数年間は佐藤さんの挽歌から完全に離れていましたから、私はその挽歌も読んでいません。
私が伏せも言葉の置き換えもせずにすべてそのまま引用したのはこれが初めてのはずです。

モーリス・バーバネルのシルバーバーチだけではありません。スティントン・モーゼスのインペレーター、アラン・カルデックの聖ルイ、他にもジェラルディン・カミンズのマイヤースの通信、ウィリアム・ステッドのジュリア・エイムズからの音信など、呼び名やラベリングなどまったく無意味ですが、アラン・カルデックのフランスではSpiritisme、モーリス・バーバネルなどの英語ではSpiritualismと言われるものです。

この他にも優れた記録が理性による冷徹な検証に耐える形で残されており、シャルル・リシェやウィリアム・クルックスなどの超一流の科学者によって嘘を暴こうと徹底的かつ執拗な検証を受けた記録も残されています。

くだらないオカルトでないのはもちろんのこと、思想でも宗教でも神秘でもない。薄っぺらな流行り言葉の怪しい「スピリチュアル」などとはまったく無縁な、知識であり検証され証明された、事実です。

投稿: 小林正幸 | 2017/01/10 23:22

佐藤さん、すみません。私の間違いでした。
他の方の目に触れるコメントにそのまま引用するのはこれが初めてだとおもいますが、昨年夏に佐藤さんおひとりあてのメールでシルバーバーチについてお知らせしていました。
そんなことも間違うほど、記憶も混乱錯乱してしまっているようです。
申し訳ありません。

投稿: 小林正幸 | 2017/01/11 06:52

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