■メガネを変えることも大切です
今年元日の朝日新聞は、「我々はどこから来て、どこへ向かうのか」というシリーズ記事の最初のテーマとして、「試される民主主義」を取り上げていました。
社説でも、民主主義の暴走への歯止めとしての立憲主義を取り上げていました。
それだけではなく、民主主義を意識した記事が多かったような気がします。
どうやらいま、「民主主義」が再び捉え直されようとしているようです。
大方の予想に反して、トランプが当選してしまったアメリカ大統領選挙のせいかもしれません。
トランプが当選したことが、何か民主主義の間違いであるかのような議論も多いような気がします。
そういえば、英国のEU離脱の国民投票も、同じような報道や採りあげられ方でした。
英国人がいかにも「間違った判断」を下したように言う人が圧倒的に多かった。
私もそう思ったこともありました。
だが、問題は、そう思うようになった、私たちの情報環境にあるのではないかと、いまは考えています。
問題の捉え方を変えると、結果の意味も変わってきます。
英国民やアメリカ国民の判断の良し悪しはともかく、なぜ私たちの思ってもいなかった結果が最近増えているのでしょうか。
私たちが得ている情報が歪んでいるのではないか。
そのために、世界を見損なってしまい、予想もしなかった結果を体験しているのかもしれません。
情報の歪みは報道の問題だけとは限りません。
たしかに昨今のマスコミの報道は偏っているように思いますが、その気になれば、マスコミ以外の情報も私たちはかなり得られる環境にあります。
世の中にあふれている情報をどう選択するかは、まさに私たち一人ひとりの問題です。
それに同じ情報でも、その読み方によってまったく違った意味になることもある。
だとしたら、情報提供者の問題にするのではなく、自らの情報読解力の問題として考えることが大切です。
他者のせいにしていては、何も変わっていきません。
年末にメガネをつくったのですが、メガネをかけたら視界がかなり変わってしまいました。
初詣に行った時、神社で石段を踏み外しそうになったほどです。
その体験で、やはり時にはメガネを変えることが大切だと改めて思ったのです。
与えられる情報で世界を見ていることは、与えられたメガネで世界を見ているのと同じことであり、その内に、そのメガネで世界を見るようになってしまいます。
目に合ったメガネでなくとも、気づかないうちに、目がメガネに合わせられてしまうわけです。
同じ世界も、メガネによって違って見えてしまう。
そして、そのこと、つまりメガネ次第で世界の解釈が違うということを認識することがとても大切なのです。
自分に見える世界だけを他者に押しつけてはいけませんが、それ以上に、自分でない人が見ている世界を押しつけられていることに気づかないのは危険です。
情報は、与えられるものではなく、得るものなのです。
それを忘れてはいけない。
民主主義をどう捉えるかは、いろんな考えがあります。
しかし、みんなが同じメガネをかけて、同じ思考をするようになれば、せっかくの民主主義も活きてきません。
ほとんどのマスメディアが、トランプ当選を予想できなかったことは、いまや情報の世界が非情報の世界になってしまっていることを示唆しています。
まさに、非情報社会が到来したのかもしれません。
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