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2017年2月

2017/02/28

■節子への挽歌3464:叔母のことを思い出しました

節子
もう2月も終わります。
年賀状は出せなかったのですが、せめて2月中には年賀状をもらったみなさんには、元気ですと言う挨拶状を出したかったのですが、やはり出せませんでした。
その気になればできるはずですし、実際に何枚かは年賀状代わりの寒中見舞いも書いたのです。
でもなぜか出状する気にはなれませんでした。
どうせ出すのであれば、一部ではなく、みんなに出したいという思いのためです。

節子も知っている、私の叔母が、ある年の年賀状に、これを最後に年賀状をはじめとして手紙を出すのをやめるということが書かれていました。
遠方に住んでいることもあり、節子はあまり会ったことはなかったのですが、なぜか敬意を感じていた叔母でした。
今にして思えば、その叔母の気持が少しわかる気がします。
叔母は、たぶん自らの社会的余命を感じたのかもしれません。
人と付き合うということは、それなりに責任の発生することですから。

もっとも、私が今年、年賀状などをかけないのは、社会的余命を自覚したからではありません。
付き合っていく体力に自信がなくなったという気はしないでもありませんが、たぶんそれが理由ではありません。
自分でもよくわかりませんが、なんとなく書けないのです。
手紙だけではありません。
なんとなくできなくなったことがほかにもあります。
困ったものですが。

ところで、叔母と節子の話ですが、これを書いていて思い出したことがあります。
たぶん病気になる前だったと思いますが、節子の投稿が朝日新聞の「ひととき」に掲載されたことがあります。
手紙を書かなくなっていた叔母から手紙が来ました。
あの投稿は節子さんのではないですかという内容でした。
節子はとても喜んで返事を書いたと思います。

その後、節子は発病しました。
そして手術後、また「ひととき」に投稿しました。
節子はもしかしたらまた叔母がそれに気づいてくれることを願っていました。
しかし、残念ながら叔母からは手紙は来ませんでした。

叔母との交流は途絶えていましたので、叔母の消息も分かりませんでした。
いまもわかりませんが、久しぶりに思い出しました。
叔母といっても、かなり遠縁の叔母で、私の母が付き合っていただけで、他の親族との付き合いはない人だったのです。

節子はたぶん彼岸でその人に会っているでしょう。
いや、会えているといいのですが。

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2017/02/27

■節子への挽歌3463:「刑事フォイル」

イギリスのテレビドラマ「刑事フォイル」は私の好きな番組です。
舞台は、第二次世界大戦さなかのイギリス南部の町ヘイスティングズ。
その町で、誠実に仕事に取り組む警視正フォイルが主人公です。
原題は「フォイルの戦争」ですが、戦争が人々の日常をどう変えていくかが、あるいは戦時中であろうと変えてはいけないものは何なのかを、静かに語ってくれる作品です。
いまから15年以上前の作品ですが、戦争の不条理さが生々しく描かれています。
それもとても静かに、です。

最新作は「壊れた心」。
戦争が善良な人たちの心を壊していくありさまが見事に描かれていました。
戦争を体験した人が戦争を恐れる理由を考えさせられます。
戦争の悲劇は、たぶん、人が死ぬことだけではないのです。

既に18話まで放映を終えていますが、3月11日からまた第1話から再放映が始まります。
NHKのBS放送ですが、もしBSを見ることができる人にはお勧めです。
2回に1回は、私は涙が出てしまうとともに、自分の生き方を問い質したくなります。
人間の弱さと人間の可能性を感じて、です。

主人公のフォイルのような生き方をしたいと思いますが、足元にも近づけません。
フォイルもまた、私と同じく、妻を亡くしています。
妻を亡くしても、しっかりと生きている人もいる。
私ももう少ししっかりと生きられるのではないかと、時に思うこともありますが、たぶん私には無理でしょう。
人はやはり、生まれながらの人生が決まっているのかもしれません。
フォイルのような人は、私にはただただ尊敬することしかできません。
でも、その一部なら私にもできるかもしれません。

それは、自らに誠実であることです。
弱さもまた、私の本性ですから、弱さにもまた誠実でありたいと思っています。

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■節子への挽歌3462:看取りを語り合うサロン

節子
昨日、湯島で「看取り」をテーマにしたサロンを開きました。
その報告は時評編に書きましたが、参加者の中には最近、親を見送った人が何人かいました。
その一人は、父親を見送ったばかりで、まだその事実を受け容れられていない様子でした。
彼女は看護師で保健師なので、たぶん多くの人にとってはうらやましいほどのケアを尽くしたと思います。
少なくとも私にはそう思われました。
しかし、彼女は、話しているうちに涙で声を詰まらせました。

その涙に誘われたわけではないでしょうが、別の人たちもまた、親の死を語りだしました。
語りたくても語れる場がない人が多いのかもしれないと、思いました。

自死遺族の方たちが中心になってのグリーフケアの会に参加させてもらったことがあります。
私は節子との別れについて語ったような気がします。
愛する人の死を語ることは、話すことではありません。
話をすると何かが生まれる。
まさに「思いを放す」のではなく、「悲しみや寂しさを形にして象る」ことができるのです。
時には、話を受け止めてもらった人の思いに触れることで、救われることもあるのです。
そういう意味では、自死も病死も事故死も、違いはありません。

看取り体験で学ぶことはたくさんあります。
しかし悲しいことに、学びに気づいた時には、遅すぎることも少なくないのです。
もし誰かの看取り体験を聴いていたら、もう少し早く気づけたかもしれない。
看取り方も変えられたかもしれない。
昨日、みんなの話を聞きながら、そう思いました。

看取りでの学びをもっと社会知にできないだろうか。
そんなことを考えていました。
それは難しくても、看取り体験を語り合う会はできるかもしれません。
ちょっとテーマが重すぎて、広がらないかもしれませんが、そんなサロンをやってみたいと思いました。

私はもう看取ることはなく、看取られる存在にしかなれないでしょうから、看取られ方を学ぶサロンになるかもしれませんが。


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■湯島の部屋を売りませんか

湯島に私のオフィスがあります。
ワンルームマンションの1室です。
昨年秋ころから、そこを売らないかという電話が頻繁にあります。
先週は1日起きくらいにありました。
いま使用しているので、売るはずはありません。
しかし、なぜかしつこく電話がある。
いま売ると高く売れるそうなのです。
あまりのしつこい電話に腹が立ってしまい、今日は、私を追い出そうとしているのですかと声を荒げてしまいました。
そうしたら、相手も負けずと声を荒げてきましたので、失礼しますと電話を切ってしまいました。
なんというひどい会社だろうかと思いました。
しかし電話お切った後も、何かすっきりしません。
バブル時はこうしたスタイルの地上げ屋が多かったのでしょうね。
どこでどう電話番号リストが流れているのかもしれませんが、実に不愉快です。

ネット回線の電話も相変わらず多いです。
あまりのしつこさに、ついつい承知してしまって迷惑を受けたことがありますが、承知しても別の会社からの勧誘がつづきますので何の解決にもなりませんでした。
明日からもまた電話はつづくでしょう。
人生には苦難が必要です。

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2017/02/26

■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」報告

昨年から始まった「看取り文化シリーズ」の第2回目は、小田原福祉会の潤生園の時田佳代子さんの話題提供をお願いしました。
申込者が20名を超すことになってしまい、会場を変えようかと思ったほどでしたが、何とか湯島で開催することができました。
関心の高さを知り、正直少しホッとしました。
葬儀不要論が広がる最近の風潮には大きな懸念を持っています。


時田さんは、小田原での長年の取り組みについて紹介してくれました。
潤生園では、「医療の死」とは違う「福祉の死」に長年取り組んできています。
医療や行政の「常識」にとらわれることなく、しかし、しっかりとした取り組みで、生きること、死ぬことに誠実に取り組んできているのです。
生活に立脚すれば、ある意味では当然のことながら、24時間365日、在宅での生活ケアが基本になりますし、生きるための基本は食になります。
医療技術の活用の仕方も変われば、食事のあり方も変わってくる。
しかも、それをきちんとデータを取りながら進めているのです。


時田さんの話は録音しておけばよかったのですが、あまりに引き込まれてしまい、記録も何もとりませんでした。
しかし多くの人たちに聞いてほしいと思いましたので、いつかまた講演会のようなものを開きたいと思います。
参加者のみなさんも、いろいろと思うことがあったと思います。
小田原に転居できるものなら転居したいと思った人もいるでしょう。

潤生園の取り組みや理念はホームページをご覧ください。
http://junseien.jp/corporate/
ホームページに書かれている次の文章に、潤生園の姿勢が感じられます。

潤生園が提供する「みんなの家」は、24時間365日地域での暮らしを丸ごとサポートいたします。「介護の安心」はもとより、「医療の安心」や「生活の安心」もおまかせ下さい。「みんなの家」は施設を利用される方だけでなく、地域で暮らす方々にとっても「安心」を提供したいと考えています。お困りのことがあれば「みんなの家」をお訪ね下さい。地域の方々の暮らしの拠り所として、みなさまのお役に立ちたいと考えています。

この文章だけだと、よくあるビジネスメッセージにしか聞こえないかもしれませんが、時田さんの話を直接聞けば、たぶん真意が伝わってきます。
ちなみに、潤生園の職員は「潤生園の原点」という小冊子をそれぞれが持っているようです。
昨日、時田さんから私も1冊もらいました。
潤生園を創設するに当たって、時田純さん(時田さんのお父上)は、戦中戦後の自らの体験を踏まえて、理念を掲げました。

人は人として存在するだけで尊い。真の福祉は、人のいのちの尊さを知り、個人の人格を心から敬愛するところからはじまる。
この理念を核に活動を展開しているのです。


昨日のサロンの内容報告にはなっていませんね。
すみません。
しかしたくさんの、しかもさまざまな立場の人が参加してくださったおかげで、話し合いからもたくさんの気付きをもらいました。
潤生園が目指していることは、これからの社会や福祉のあり方を考える大きなヒントが含まれています。
最近の福祉政策は方向を間違えていると感じている私にとっては、大きな元気をもらえるサロンになりました。
だれもが安心して暮らせる社会に向けて、個人でもできることはたくさんある。
改めてそのことにも気づかせてもらいました。


時田さんはじめ、参加して下さったみなさんに感謝しています。


長くなりますが、もう一つ感じたことを書きます。
時田さんの話の誘発されるように、両親を見送った時の自分の体験を話してくれた人が何人かいます。
看取りを語り合う、さらには伝え合うサロンがあるといいなと思いました。
考えたいと思います。
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■カフェサロン「パズルで楽しい人生を」報告

「ハッピーパズル工房」代表のパズル療法士、細田和幸さんをお呼びしてのカフェサロンは、日曜日の午前中だったこともあり、参加者は7人でしたが、とても楽しいサロンになりました。
みんなで体験してみて、さまざまな効用を感じました。
当初、認知症予防ゲームの実践者を対象にした交流会での企画でしたが、なかなか日程が合わず、公開型のサロンにしましたが、子ども関係の活動に取り組んでいる人たちの参加がなかったのが残念でした。

今回は2種類のパズルゲームをみんなでやってみました。
まずは、2種類の形のピースをつかっての形づくりです。
正方形の木枠に入ったL字型の4つのピースをまず木枠から取り出して、ゲームがスタート。
最初の課題は、それをまた木枠にはめてくださいという課題です。
極めて簡単なはずですが、なぜかてこずります。
それができてほっとしていると、最初は市松模様になっていたでしょう、その状態に戻してください、と次の課題が出されます。
簡単なはずなのに、それがまた難問。
女性たちは速くできましたが、私はおたおたしてなかなかできませんでした。
それを基本にして、ピースをさらにたくさん使ってのさまざまなゲームを紹介してもらいました。
最後は全員で、順番に大きな形をつくっていくゲームです。
みんなで話し合いながら進めていきますが、みんな立ち上がって身体も使いながらのコミュニケーションが発生します。
チーム対抗にすれば競い合いが生まれ、チームの中では支え合いが生まれます。
よく考えられていますが、ここに細田さんの人柄と人生が込められているのです。

次は透明なプラスチックに何本かの直線が貼られたものを4枚ずつ配られて、その組み合わせで数字をつくるゲームです。
これも3人ずつがチームになり、支え合いと競い合いが組み込まれています。
その展開にも、物語性があって、みんなすっかり盛り上がってしまいました。

いずれもとてもシンプルなパズルですが、シンプルであればこそ、さまざまな展開が可能になります。
いずれも細田さんの手づくりですが、ピースは細田さんに頼むと購入できます。
広がっていけば、2番目のゲームツールも商品化されるでしょう。

細田さんは、パズル開発が大好きで、他にもいくつかのものがありますが、今回体験した2つのゲームでも、2時間は十分に楽しめます。
細田さんのパズルの魅力の一つは、「みんなで遊んでつながりを深める」というところです。
私は今回で2回目の体験ですが、前回は細田さんの紹介で一人での体験でしたので、みんなでというところを実感できませんでした。
今回、みんなでやってみて、その効用を実感しました。
ぜひとも、子どもたち、あるいは多世代交流、あるいはコミュニケーション下手な中高年男性に広げていきたいです。
今回好評だったので、少しバージョンアップしたパート2を細田さんと一緒に企画してみようと思います。

細田さんは「脳いきいき! 楽しい介護レク パズル遊び」という本も出版しています。
「https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8D-%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%83%AC%E3%82%AF-%E3%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB%E9%81%8A%E3%81%B3-%E7%B4%B0%E7%94%B0-%E5%92%8C%E5%B9%B8/dp/4262145867
よかったら読んでください。
そして一緒に広げていこうという方がいたら、ご連絡ください。
とくに、パズル療法士になりたい人は大歓迎です。

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■節子への挽歌3461:3つ目の幸せ

節子
昨日、大西さんのカンナちゃんに会いました。
大型犬ですが、もう14歳。
しばらく姿を見なかったのですが、階段でない平地であれば、ゆっくりと散歩もできるのだそうです。
大西夫妻からすごく愛されているのでしょう。
元気そうでほっとしました。
大西さんとゆっくりと散歩している姿を見て、節子と一緒に散歩していたことを思い出しました。
ちょっとした坂さえも、節子はゆっくりとしか進めませんでした。
家から50メートルほど先までの往復に、10分もかかったことがあります。
しかし、節子はそれでも散歩に出かけたいと言いました。

昨日と同じように、今日も散歩ができるというのは、その頃の節子にとっては最高の幸せでした。
毎晩、眠る前に、節子は、「今日もいい1日だった」と感謝し、明日もまた「今日のようでありますように」と祈りました。
変わらないことが節子の平安だったのです。
しかし、私にはまだ、その頃でさえ、「治ること」が幸せだったのです。
落ち着いて考えれば、奇跡でしかなかったのでしょう。
なんという欲深さ。
欲深さは、世界を見間違えさせます。
私には、節子が見えていなかったのかもしれません。

明日が今日よりもよくなることを願う幸せと明日も今日のようであることを願う幸せ。
2つの幸せがある。
最近、ようやくそれが自らのこととしてわかるようになりました。
しかし、残念ながら、明日は今日とは違ってきます。
自分は変化しなくても、まわりはどんどん変化していく。
それをとめることはできません。

この状況をつづけたいと思うような幸せを体験してしまうと、先にある別の幸せを願うことは、難しいでしょう。
守りたい幸せがあまりにも大きいからです。
幸せの体験が、逆に別の幸せへの願いを封じてしまうでしょう。
いまの幸せを超える幸せを願うことができる人もいるでしょうが、私には想像さえできません。

私にとって、行きついた幸せは、節子との平凡な日々でした。
正確には、それは行きつく前に壊れてしまったのですが。
しかし、節子は、ゆっくりと散歩するようになったときに、もしかしたら、その平凡な幸せに行きついていたのかもしれません。

いまの幸せでも先の幸せでもなく、かつての幸せのなかで生き続けることもまた、3つ目の幸せかもしれません。

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2017/02/25

■煙石事件続報

先日、書いた煙石博さん事件の裁判に関してですが、今日、最高裁から弁護士事務所を通して、3月10日(金)15時から最高裁判所第2小法廷で判決公判が開かれることが決定したと、煙石博さんに通知があったそうです。
友人からのメールです。

煙石博さんは2月17日、司法記者クラブでの記者会見で、次のように話されています。

私は煙石博です。66,600円を盗ってもいないのに、盗ったとさした。
私は無実です。この事件で、定年後の、人生の貴重な時間と仕事を失ってしまっただけでなく、長年、私の築いてきた信用と信頼を一気になくし、私の人権も社会的存在も失ってしまいました。さらに私の家族にも大きな負担をかけ続けてきました。私は無実です。
最高裁に上告して2年と2か月、ようやく2月17日に弁論となりました。
私は、今まで、警察、検察、裁判所に対して、これほど不信感をもった事はありませんでしたが、今は、警察、検察、裁判所に、大きな不信感と、激しい憤りを感じております。
最高裁においては、それを払拭して下さる様な、正義と真実に基づいた、公正なる判断をお願いするばかりです。

このことを教えてくれた、広島の私の友人は、次のように書いてきてくれました。

先日も、RCCラジオ番組で、先日の弁論について取材した記者が番組の中で説明しておられましたが、報道に対する危機感も感じておられるようです。 佐藤さんが、いつもおっしゃっているように、他人事と思っていると危機は目の前に迫って来ているのかもしれませんね、どうかご自愛下さいませ。

最後の「どうかご自愛下さいませ」という言葉はどういう意味でしょうか。
不気味な時代の足音が聞こえるような気がしないでもありません。
このままでいいのか。
今日も湯島でそんな話し合いをしていましたが、みんな何をしたらいいのかわからないまま、怒りと不安だけが募ってきています。
80年前の日本もドイツも、こんな感じだったのでしょうか。
煙石博さんの事件は、多くの人に関心を持ってもらいたい事件です。

フェイスブックにこの記事を書いたら、早速友人が書き込んでくれました。

不条理は誰の身の上にも大なり小なり起こることとはいえ、佐藤さんのお人柄を信じてこの方に降りかかった不条理をともに怒ります。

私はこうコメントさせてもらいました。

ありがとうございます。 ご指摘の通り、私も不条理は誰にも起こることゆえ、それを受けることには、最近そう大きな抵抗がなくなりました。 しかし、不条理を意図的に起こすことができるような社会には、やはり抗いたいと思っています。

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■節子への挽歌3460:彼我の境目がない関係

節子
今年はわが家の河津桜は咲きませんでした。
花が咲かないまま芽吹きだしています。
昨年は大きな鉢に植え替えて、それなりに手入れもしてきたつもりでしたが、咲いてくれませんでした。
花が咲かない河津桜は、少しさびしいです。

玄関の四季咲きのバラも、花が咲きだしてくれません。
小さなつぼみはあるのですが、なかなか咲かない。
娘たちが昨年買ってきた、小さなモモも梅も咲きません。

いま咲いている木の花はミモザだけです。
ミモザは相変わらず元気です。

植物も、声をかけなければ応えてくれません。
節子は毎日庭に出て草木に声をかけていたかもしれませんが、私はなかなかそれができません。
とくに冬は寒いので、庭に出ることも少ないからです。
思いついて、木や花に声をかけても、見透かされてしまいます。

古い本ですが、作田啓一さんの「三次元の人間」という本を読みました。
室田さんの保育関係の本を読んでいたら、そこに「溶解」という言葉が出てきて、作田さんの名前があったからです。
作田さんが言っている「溶解」とは、彼我の境目がない関係のようです。
残念ながら、この本だけでは十分な理解ができませんが、私が志向している生き方につながっています。

花の咲かない庭を見ていて、それができていない自分の生き方に気づきました。
まだまだ境目をつくる生き方から抜け出ていません。
29年前に、会社を辞めて、社会に溶け込みたいと思ったころのことを思い出さなければいけません。
それを助けてくれる、節子はもういませんが。

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2017/02/24

■節子への挽歌3459:言語の違い

節子
昨日は久しぶりに川口のコミーの会社に行きました。
新しい施設をつくるので、それを見せてもらいがてら、少しはコミーの役に立てることがないかということで、お伺いしました。
コミーの会社では、私は「シューさん」で通っているようです。
「修」を小宮山さんが「シュー」と呼んでいるのが広がったのです。
今日もたぶん朝礼で私が行くことが社員に伝わっていたのだと思いますが、おかげでいろんな人に声をかけてもらいました。
コミーは誰に会ってもあいさつされる会社なのです。

施設を見せていただいた後、コミーの中心にいる3人と話しました。
私が役に立てることが、もしかしたら見つかりそうです。
さてさてやっと「恩返し」ができそうです。
しかし、3人と私の言語の違いを少し感じました。
小宮山さんとは、一見、言語が違うようで、通じ合えます。
お互いにまったく嘘がないので、安心して論争もできます。
しかし、ビジネスの世界にな場くいると、生活言語ではないビジネス言語に呪縛されがちです。

ちなみに、最近少しだけ小宮山さんの役に立ったことがあります。
小宮山さんは、いま、駅構内での事故を減らすためのミラー活用を考えています。
すでに西川口駅では、実験を始めていますが、それをベースに「最良のモデル創り」をしたいと言っています。
それに関して少しだけ役立ちつつあるのです。
まあそれに関しては、いつか報告できるでしょう。
しかし、最近のビジネスの世界の人には、小宮山さんや私のような発想はなかなか理解してもらえません。
いろんな人が絡んでいるので、ちょっとここでは書きにくいのですが、うまくいくかどうか、若干の不安はあります。

コミーの帰りに、まったく別の相談を受けるために湯島に戻りました。
引きこもり家族支援の仕組みづくりの相談です。
以前から相談を受けていますが、ここでも「言語」の違いがあって、なかなか前に進みません。
どうも私の言語は、時代から外れているのかもしれません。
私の言語が、自然に入っていったのは、節子くらいかもしれません。
もっともそこに至るまでには10年以上はかかっていたと思います。
最初は、言語の違いに気づけずに、いろいろと問題が起きました。

夫婦とは、言語を共にする関係ですが、それを支えるのは関係の溶解かもしれません。
女性の場合は、自分の産んだ子どもたちとの関係でそれができるのかもしれませんが、男性には難しいかもしれません。
思えば、夢のような40年でした。


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2017/02/23

■節子への挽歌3458:不審者

節子
久しぶりにおまわりさんがやってきました。
むかしは定期的におまわりさんが家庭訪問していましたが、最近はそういうこともないので、何事だろうかと思って出てみました。
この近くは、駅前の交番が担当なのです。
おまわりさんが回ってくるのはめずらしいですね、といったら、わが家の近くで不審者情報が届いているので、周辺の人にも注意してもらおうと回っているということでした。
「不審者ですか?」と訊いたら、背広にズックの見かけない人が近くの階段(結構死角になる階段があります)で目撃されているのだそうです。
わが家は袋小路の一画なので、通行客はいないのですが、その小さな階段だけは、その袋小路の途中にあるのです。

おまわりさんが帰った後、ふと思いました。
もしかしたら私も不審者と思われてもおかしくないな、と。
もちろんわが家の周辺ではみんな知り合っていますから、その恐れは皆無です。
しかし、私のかっこうは、まああまり身だしなみもよくなく、娘からはいつも注意されていますが、近くの場合はいつもサンダルです。
スーツとは言いませんが、ジャケットにサンダルということもあります。
電車に乗る時だけはサンダルはやめてほしいといわれていますが、私はサンダルが好きなのです。
それに最近面倒くさくてひげをそらないことも少なくありませんし、時々、セーターの前後ろを間違って着ていて、娘に注意されたりしています。
典型的な認知症老人になりかかっているわけです。
困ったものです。
まあ、困るのは私ではなく、娘たちですが。

時々、歩いていて、あることが気になると立ち止まって他の人の家を見てしまうこともあります。
節子ほどではないですが、変わった花が咲いていると見てしまうわけです。
節子の場合は、家の人に声をかけて庭に入らせてもらったりしていましたが、私はそんな勇気はありません。
でもまあ、時々、立ち止まって見てしまう。
不審者扱いされる資格はありそうです。

さてさて明日からは、不審者と思われないように、少し身だしなみに気をつけましょう。

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■節子への挽歌3457:風の声

節子
今日は「春三番」の強風です。
すごい風です。
わが家は、風の道にあたっているところなので、風の日は恐ろしいほどです。
片づけをしていない庭が、ますます大変なことになりそうです。

風の音は、その時々の自分の気持でさまざまに聞こえてきます。
そこに、悲しみや喜び、あるいは怒りやおそれを感じます。
節子がいなくなってからの数年は、特にそう感じました。
心が敏感になっていると、風とも溶解しあえるのかもしれません。
風が自らを代弁してくれていると感ずることさえありました。

最近は、あまりそういう感じを持てなくなりました。
しかし、それでも今日ほどの強い風になると、心が少しだけ共感します。
どこかできっと、かつての私のように、声にならない叫びや思いを解き放ちたいと思っている人がいるような気がします。

悲しさやおそれは、解き放すのがいい。
しかし、解き放した悲しみやおそれ、怒りが、改めてまた自らに戻ってくる。
それを知っているから、みんな、それを解き放てないのかもしれません。
しかし、今日のような強風であれば、きっとどこかに持って行ってくれるでしょう。

強い風に心身をさらけ出すのも、また元気をもらえます。
これで空さえ青かったら、もう何も望むことはないのですが。

今日は、この風の中を出かけなければいけません。
春を迎えるためには、やはり自らを風にさらさなければいけません。
雨が降らなければいいのですが。

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2017/02/22

■節子への挽歌3456:ネパールカレーを食べながら思い出したこと

節子
今日はユカと一緒に、近くのハリオンというインドカレーのお店に行きました。
美味しくて量も多くて、しかも安いうえに、お店の人がみんないい人なのです。
たぶん節子も来たことがあるはずですが、残念ながらあまり記憶が定かではありません。
歳のせいばかりではないのですが、私の記憶力はかなり悪いのです。
たぶん友人知人は、そうは思っていないでしょうが。

今日は中辛に挑みましたが、まあもう少し辛くても大丈夫そうです。
このお店は確かネパールの人たちがやっていると聞いていましたが、それも記憶違いかもしれません。
食事しながら、ネパールで咲いたチューリップはどうしたかなと思い出しました。
節子のためにわが家に献花に来てくれた田中さんがネパールに持ち帰って植えてくれたのが咲いたのです。
チューリップの球根はきちんとケアしていかないと小さくなってしまうので、たぶんもう消えてしまっていることでしょう。
でもまあ、節子の思いはネパールにまで届いているわけです。
節子が元気だったら、訪れてみたいところのひとつでした。

新潟の金田さんが送ってきてくれたチューリップは、まだわが家で頑張っています。
しかし、そろそろ限界かもしれません。
来年はまたわが家でもチューリップを植えようと思います。
そろそろ庭の手入れもしなければいけません。

春が近づいてきています。

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■カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」のお誘い

子どもに焦点を当てたサロンをしばらく開いていませんでしたが、少しスタイルを変えながら、再開していこうと思います。
子どもをテーマにすると子育てを終わった人たちは自分とはあまり関係ないと思うのか、集まりが悪いのですが、子どもの世界からこそ見えてくる社会の実相があるばかりでなく、そこに私たちの未来が深く関わっていることを知ってもらえるように、子どもとは直接接点のない人にも参加しやすいような形で、サロンを設計していこうと思います。
さまざまな立場の人が参加することが、湯島のサロンの目指すところですので。

今回は、とてもユニークなこども園(京都の山科の岩屋こども園アカンパニ)の園長の室田一樹さんに話題提供をお願いいたしました。
室田さんは、長年、「エピソード記述」を軸にした保育活動に取り組んでいます。
「エピソード記述」という手法はご存知の方もいるかと思いますが、一種のナラティブアプローチで、個人(子ども)の主体性と関わる人との関係性の中で、子どもも保育者も豊かに育っていくことを目指しています。
この手法は保育の世界だけではなく、大人の世界においても効果的ではないかと思います。
室田さんはまた、「発達としての保育や教育」から「生成としての保育や教育」の場が、子どもたちには大切だと考えていますが、これもまた会社(人材育成)にとっても社会(市民性の涵養)にとっても、重要な課題だろうと思います。

そこで、今回は室田さんにそうした取り組みの概要をお話しいただくとともに、そうした活動から見えてくる社会の課題や私たちの生き方への問題提起もしていただこうと思います。
室田さんは、子どもたちが子ども時代を取り戻すことができれば、この国はかなり変わるだろうとおっしゃっていますが、室田さんが考える「子ども時代」、そして、室田さんが願っている「この国の未来」とは何なのか。
そうした問題提起を受けて、参加者みんなで話し合いができればと思います。
切り口は子どもですが、私たち自身の生き方にたくさんの示唆をもらえるサロンになるはずです。

保育や子どもと無縁な人たちも、ぜひ気楽にご参加ください。
もちろん保育に関わりのある人も歓迎です。
もし周辺に関心をお持ちの方がいたら、ぜひお誘いください。

〇日時:2017年3月13日(月曜日)午後6時~8時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」
〇話題提供者:室田一樹さん(岩屋こども園アカンパニ園長)
〇参加費:500円
○参加申込み:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌3455:機械時計よりもゆっくり進む体内時計

節子
この前の挽歌を書き終えて思い出したことがあるので、もう一つ書きます。

節子も知っているMさんの話です。
私の小学校時代の同級生ですが、大学教授を定年で辞めて、いまは悠々自適な生活をしています。
趣味は琵琶と乗馬。
昨年の今ごろ、湯島に琵琶を弾きに来てくれました。
節子が亡くなった後も、わが家に献花に来てくれました。

琵琶を弾いてくれた時に、一つ残された課題がありました。
彼女の人生最後の仕事の話です。
それがその後どうなったか、先日メールしました。
そこからメールのやりとりが始まったのですが、彼女の時間感覚に教えられることがありました。
最初の私のメールへの返事は、これから乗馬に行くので、戻ったら連絡するという内容でした。
しかしなかなか返信が来ません。
1週間くらいたってから、返信が来ました。
まるで1週間など全くなかったように、です。
それにまた返事をしました。
また1週間後かなと思っていたのですが、やはりすぐには返事がありません。
そして、数日してメール。
何回かのやり取りを通して、あきらかになったのは、彼女が自分の時間を生きているということです。
私もそういうところが少しはありますが、基本的には時計時間をそれなりに尊重しています。
しかし、彼女の場合は、たぶん機械時計よりもゆっくり進む体内時計を持っているのでしょう。
さらにもしかしたら、昨日の翌日が今日ではないのかもしれません。

彼女と来週会う約束をしたのですが、会えるかどうか心配ですね。
まあ、こうやって人は自分の世界に戻りながら、自然に還っていくのかもしれません。
私の体内時計も、世間からは大きく外れているのかもしれません。
それは自分では気づかないのでしょう。
いろいろな人に迷惑をかけていることがないことを祈ります。

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■節子への挽歌3454:「助けてください」

節子
最近少し寝坊になってきています。
5時過ぎに目が覚めるのですが、寒いので起きる気にならず、その内にまた眠ってしまい、気がつくと7時近くになっています。
そして、そこからまずやるのが、歯磨きです。
これは節子がいた時にはまったくなかったことですが、最近、テレビで朝起きてすぐ歯磨きをすると風邪をひかないと町のお医者さんが言っていたので、即実行しだしたのです。
私にはめずらしく、もうかなり続いています。
そんなわけで、この冬は風邪はひかないわけです。

そんなわけで、また平和な1日がはじまりました。
私自身は最近は平和なのですが、世界はそうとは限りません。
新聞を見るのが嫌になるほど、世界はおかしくなっています。
人間が進歩しているなどとはとても思えないような気がします。
身近にさえも、そうした状況は迫ってきています。

昨日の朝、メールを開いたら、「佐藤さん、助けてください」というタイトルのメールが届いていました。
女性からのメールです。
ドキッとしますね。
内容を読んだら、さらにドキッとする内容です。
早速に思いついたアドバイスをしましたが、アドバイスで終わる話ではなさそうです。
さてどこまでコミットするか。
注意しないとまたいつかのような悪夢に引きずり込まれて、私の平和も乱されかねません。
しかし、宮沢賢治がいったように、世界中のみんなが幸せにならない限り、私の幸せはあり得ないのです。
ですから、今朝、気持ちのいい青空を見上げながら、今日も平和な1日になりそうだなどと思うこと自体が、実は間違いなのでしょう。

その一方で、ティク・ナット・ハンがいうように、
自分が幸せでないかぎり、周りの人を幸せにはできないのであれば、世界の幸せなど生まれるはずもありません。
自らの幸せと世界の幸せ。
どちらが先なのでしょうか。

今日はとりあえず、私の幸せを大事にしましょう。
私にとっての幸せは、何もしないことです。
しかし、生きている以上は、何かをしなければいけません。
何かをすれば、何かが起こる。
そして、心の平安は乱されます。
最高の幸せは、だから「死んでいること」かもしれませんが、何もしないで、今日1日を過ごすことは難しい。
幸いに今日はたぶん人に会わずに過ごせそうです。
できるだけ自然に接して、生命力を高める1日にしようと思います。
「佐藤さん、助けてください」という声に応えるのは、明日からです。

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2017/02/21

■節子への挽歌3453:魅力的な人たちその2

昨日はもう一人、魅力的な人に会いました。
その人も昨年秋ころに出会った人ですが、昨日が3回目くらいでした。
私よりも年上で、私と同じく、伴侶を亡くされています。

いまは会社も辞めて、たぶん悠々自適なのでしょうが、後輩や仲間のために、活動をしています。
私と違って、経済的にも余裕があるそうで、私はいつも食事をご馳走になってしまいます。
昨日も肉の万世でランチを、そしてコージーコーナーでケーキと紅茶をご馳走になりました。
まあ食事をご馳走になったから魅力的だということではありません。
その人の生き方が、実にさわやかなのです。
最初は、もしかしたら伴侶を亡くして人生を投げているのかとさえ思ったのですが、そうではなくて、それがその人の生き方のようです。
すべてを受け容れ、想いきりいい加減に生きているようで、芯がある。
周りの迷惑など気にしないほどに自分の人生を生きているのに、過去のことには愚痴をこぼさない。
私と同じく、もうさほど先がないのに、先を見て生きている。
話していて、実に気持ちがいいのです。

高齢者と話していて、これほど気持ちのいい時間を過ごせることはそう多くはありません。
一緒にいるとどこかホッとするのです。
その上、ご馳走までしてくれる。
イヤイヤつい自分でも意識していない「本音」?がでてしまったのでしょうか。
やはりちょっと食事で買収されているかも知れませんね。
困ったものだ。

昨日は帰り際に、その人も「佐藤さんとあっているとホッとするね」といわれました。
どこか相通ずるところがあるのかもしれません。
つまりお互いにバランスはとれているのです。
そういえば、昨日会った先住民の世界に魅かれている人も、帰り際に会えてよかったと言ってくれました。

こういう出会いが多いと、人生ももっとワクワクするし、もっと心安らかになるでしょう。
しかし、人は誰もがそうした面を持っているはずです。
昔のように、私ももっと感受性と理解力を高めなければいけません。
節子がいた頃は、だれにでもワクワクすることを見つけられていた気がします。
私もかなり老いてきたのでしょうか。
これこそが困ったことかもしれません。


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■節子への挽歌3452:魅力的な人たちその1

節子
ちょっと気を許すと挽歌を書いていないことに気づくようになってしまいました。
私の時間の進み方がかなり変わってきているのかもしれません。

昨日はとても面白い人に会いました。
いわゆる「先住民」の世界とつながりが深い人です。
これもまた魅力的な生き方をしている杉原さんが昨年末に引き合わせてくれた人です。
杉原さんも、節子は会ったことがないはずです。

節子が元気で、湯島にも来ていた頃も、いろんな人が湯島には来てくれましたが、私がまだ、いわゆる「ビジネス」をしていたこともあって、多くは節子にも理解できる人が多かったと思います。
しかし、節子がいなくなってから、そして私がビジネスをしなくなってから、湯島に来る人たちはますます不思議な生き方をしている人が増えてきました。
いま湯島に来ている人たちに、節子が接してくれたら、私の生き方がさほど特殊ではないことを納得してくれるだろうと思います。
節子は私の生き方にはとても共感してくれたはいましたが、どこかでまだ「変わった生き方」と思っていたような気がします。
しかし、たぶん私の生き方は、極めて平凡で普通な生き方のです。
ただし、時間軸を長くとって、いまのような人間たちが生まれてからの平均という意味での「平凡」ですが。

それはそれとして、その先住民の世界の人ですが、彼が話してくれたとりあえずの目標にとても共感しました。
一言で言えば、東京にアイヌの人たちの居場所をつくる応援をしたいというのです。
聞いただけでなにかワクワクします。
私はそうした世界にはとても入れないのですが(最近自分が徹底的に近代人であることを自覚するようになってきています。それも極めて退屈な近代人なのです)、そうしたことができる人には羨望の念も込めて魅かれてしまうのです。
それでついついその話に引き込まれてしまいました。
何かできることがあるのではないか、いつものようにそう思ってしまったのです。

その人はこれから3か月ほど、台湾や韓国に行ってしまうので、しばらくはお預けですが、念何は少し何かが始まるかもしれません。
そうなれば、もう少し暇でない生き方ができるかもしれません。

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■巻町原発誘致住民投票をテーマにしたサロンの報告

2月19日のリンカーンクラブサロン「原発を葬った市民のスクラム 巻町住民投票をめぐって」は10人のサロンになりました。
今回は、あらかじめ折原さんの報告書を読んでもらっての参加でしたので、ちょっとバリアが高かったかもしれません。
その反面、関心の高い人が多かったので、それぞれいろんな示唆を受けたのではないかと思います。

折原さんは、巻町原発誘致住民投票の顚末を3ページの表にまとめたレジメで説明してくれました。
とてもわかりやすい表です。
改めてこの顚末を俯瞰するといろんなことが感じられます。

そもそも巻町で住民投票が行われるきっかけは、1994年の町長選挙で、原発推進派の人が当選したことでした。
選挙には、推進派、慎重派、反対派の3人が立候補したのですが、慎重派と反対派の投票数を合計すると、推進派への投票数よりも多かったのです。
そこで、町民はむしろ原発には反対なのではないかという思いを持った、巻町に長年住んでいる有志たちが、「住民投票で巻原発をとめる連絡会」を立ち上げ、自主管理の住民投票に取り組んだのです。
そうした取り組みの過程は、折原さんの論文に詳しいですが、住民が主役になれば、いろんなことができることがわかります。

しかしなぜ巻町ではこうしたことが成功したのか。
そこが昨日の話し合いの論点の一つでした。
私は、その最大の理由は、巻町にはまだしっかりしたコミュニティ、人の繋がりと自然とのつながりがあったことだと思っています。
そのことは、折原さんの報告からも読み取れる気がします。

他にもさまざまな要因が考えられます。
折原さんの報告には、住民たちが「事実」を知るにつれて変わっていったことが書かれています。
それも大きな理由だったと思います。
事実を知ることで、人の意識と行動は変わってきます。
それが、私が湯島のサロンを続けている理由の一つです。

原発という大きな問題だったから、住民投票にまで行ったのかという問いかけもありました。
巻町では、その後も、新潟市への合併を巡って住民投票が行われたそうです。
近隣に葬儀場やごみ処理場ができることで住民が動き出すことは、むしろ多いですから、原発という大きな問題だったことよりも、原発誘致と自分たちの生活の繋がりを見えるようにしていったことが、住民運動を実現した理由のような気がします。
集団的自衛権のような問題は、なかなか私たちの生活とのつながりが見えてきませんから、当事者意識を持ちにくいという意見も出されました。

巻町の住民投票は、原発問題として取り上げられることが多いのですが、私はむしろそうではなくて、住民が当事者意識を持って動けば、大きな流れでさえ変えられるということを示した事例として捉えています。
「与えられたまちづくり」から「創りだすまちづくり」へと変えていけるのです。
これに関しては、3月19日に「まちづくり」の公開フォーラムを予定していますので、関心のある方はぜひご参加ください。
継続してフォーラムを開催していく予定です。
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170319

巻町の住民投票活動は、たぶん巻町の住民たちに大きな変化を起こしたと思います。
私の関心はそこにあります。
当時、巻高校の高校生は、生徒会で原発誘致に関しての投票までやったそうです。
それを体験した高校生は、いまどうしているか。
そこに大きな関心があります。

まちづくりも、国政も、どんどん住民や国民の手を離れだしているような気がしますが、それは自治体や政府が悪いからだけではないはずです。
その気になれば、そして動き出せば、流れは変えられる。
その貴重な体験をした巻町の教訓から、私たちはたくさんのことを学べるはずです。
いつか、巻町の元高校生を呼んで、公開フォーラムができないかと思っています。
あるいは折原さんに頼んで、一度、巻町訪問ツアーを企画できないかと思っています。
そしてそうしたことの中から、実践的な活動が始められないかと思っています。

いつものように、偏った報告になりましたが、西坂さんが記録してくれていますので、もしかしたら報告の記録はお伝えできるかもしれません。

折原さんの誠実な報告に感謝します。
なお、折原さんは「脱原発社会への展望」と題した4部作を同人誌に載せています。
もし読まれたい方がいたら、ご連絡ください。
折原さんと相談したうえで、PDF版をお届けします。
できれば、折原さんはそれを出版したいと考えていますので、どこか出版の相談に乗ってくれそうなところがあればご紹介ください。


Lc7


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2017/02/18

■煙石博さんの窃盗容疑訴訟が逆転無罪になりそうです

中国放送の元アナウンサーの煙石博さんの窃盗容疑訴訟に関しては、これまでこのブログで何回か取り上げてきました。
冤罪の可能性が極めて高いように思われる事件で、広島の友人からこの事件を教えてもらって以来、ずっと気になっています。 

煙石さんは5年前の9月、広島市南区の自宅近くの銀行で女性客が記帳台に置き忘れた現金6万6600円が入った封筒を盗んだとして逮捕・起訴されたのですが、しっかりした物証もないのに、そしてもちろん本人が認めたわけでもないのに、一審二審ともに有罪でした。
煙石さんは上告。その最初の弁論が昨日、最高裁で行われました。
その結果がどうなったのか気になっていましたが、やっとRCCニュースにアップされました
http://news.rcc.jp/?i=27371#a
逆転無罪の可能性が出てきました
よかったです。

私は煙石さんとは面識はありませんが、煙石さんを知っている人からお話を聞いています。
煙石さんにとっては、思ってもいなかった事件のようですが、なにやら不気味さを感じます。
他人事ではないなと思いながら、その行方に関心を持っています。

それにしても、この事件は、千葉にいてはまったく情報がありません。
今日も朝から、ネット検索をいろいろとしていましたが、ようやく先ほど、結果を知りました。
こういう事件が、私の知らないところで、多発しているのかもしれません。
金正男さんの事件よりも、私には関心があります。
こういう事件をきちんとマスコミは伝えてほしいものです。
と思って、いままた調べてみたら、NHKでもアップしてくれていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170217/k10010880691000.html
しかし、テレビでの放映は関東圏ではなかったようです。

事件の経緯などは次のサイトをご覧ください。
http://enseki.noor.jp/
逆転無罪を願っています。

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■節子への挽歌3451:読書時間が増えました

節子
昨日は、挽歌を書いた後、本を読んでしまいました。
図書館に頼んでいた本が届いたのです。
井出栄策さんの「経済の時代の終焉」です。
先日お会いした室田さんが、井出さんの話をしていたのですが、その関係で読んでみる気になったのです。
ちなみに、以前、井出さんの軽い本は読んでいるのですが、きちんとしたハードカバーを読むのは初めてです。
経済学者の本は、読んでいつも失望しますので、あまり読みたい気はなかったのですが、室田さんにサロンを開いてもらうことにしたので、読んでおこうと思ったのです。
昨日は、とりあえず序章だけを読んでみようと思ったのですが、それが面白くて、結局、夜中までかかって読了してしまいました。
井出さんへの印象が変わりました。

まあそれは挽歌とは関係ない話なのですが、最近読書する時間が増えてきています。
若い友人の一人が、私は本を読めさせすれば幸せなのだと話していましたが、その気持ちも少し最近わかってきました。
本の世界は無限に広いですから。
それに、本の世界では自分が主役になれますし、人間関係やコミュニケーションミスに煩わされることもありません。
現実から逃避しているのかもしれませんが、本は読めば読むほど、読みたいことが広がっていきます。
その気持ちは、若いころを思い出させてくれます。
世界は知れば知るほど広がっていく。
いかに知らないことが多いことか。
そう思うと世界は輝きだします。
どこに行っても、発見がある。
節子も私も、そんな時期がありました。
一緒に暮らしだした時の、新鮮さが思い出されます。

私が一番本を読んだのは30歳前後の頃だったでしょうか。
大学時代はそれほどの読書家ではありませんでしたが、30歳前後に一番本を読んだような気がします。
読書量は減ったのに、書籍の購入が増えたのは40代でした。
当時は関心がある本は近くの本屋さんに届けてもらいましたが、多い時には段ボール箱で届けてもらっていたほどでした。
なにしろ私がお金を使うのは、書籍代くらいでしたから。
そのころ購入した本は、いまも読まずに残っている全集や講座が書棚の奥にあります。
書籍には悪い事をしてしまったわけです。

読書は伴侶の代わりにはなりませんが、どこか通ずるところがあるような気がしてきました。
私の読書の仕方が変わってきているのかもしれません。


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2017/02/16

■企業サロン「働き方を考える」のご案内

企業経営をテーマにしたサロンの第2回目は、1回目で話題になった「働き方」「働かせ方」に絞って、議論を少し深めていくサロンにすることにしました。
そこで、長年、この問題に取り組んできた斎藤智文さん(組織と働きがい研究所代表)に問題提起していただき、働き方を切り口にした話し合いができればと思います。
斎藤さんは、いまこそ「働き方」を変えるチャンスだと考えています。
それには、誰かに期待するのではなく、ましてや時代の流れに任すのではなく、「国」「自治体」「企業」「個人」、それぞれが、それぞれでやらなければいけないことをしっかりと認識していかなければいけない、そして「社会全体の働き方に関する価値観」も変えていかなければいけないというのが、斎藤さんの思いです。

私は企業だけではなく、福祉の分野にもささやかに関わらせてもらっていますが、たとえば介護問題や自殺・メンタルヘルスの問題、保育や学校教育の問題などに取り組んでいくと、その根底に、私たちの働き方の問題が必ずと言っていいほど出てきます。
しかも、それがいまや、日本企業の弱点にさえなってきているとも思っています。
単なる制度論や時間管理の発想ではなく、斎藤さんが言うように、いまこそみんなの問題として、「私たちの働き方」(それは「私たちの生き方」でもありますが)を問い直していく必要を感じています。
できれば斎藤さんと一緒に、これからの「働き方」「働かせ方」を考える研究会のようなものも発足させたいと思っていますが、まずはその呼びかけも含めて、企業経営サロンで、斎藤さんの問題提起をお聞きして、話ができればと思っています。

多様な立場の人たちに集まってもらい、話し合いたいと思っていますので、企業関係者にこだわらずに、どなたでも参加歓迎です。
あまり堅苦しい議論ではなく、生活感覚をベースにしたカジュアルな話を大切にしたいと思っていますので、どうぞ気楽に遊びに来る感じでご参加ください。

〇日時:2017年3月20日(月曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「いまのような働き方・働かせ方でいいのだろうか」
〇話題提供者:斎藤智文さん(組織と働きがい研究所代表)
〇参加費:500円
○参加申込み:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌3450:苦楽を共にする伴侶がいてこその人生

節子
昨日はゆっくり眠れました。
幸いに元気で眼が覚めました。
朝から大忙しでしたが、やっと自宅に戻ってきました。

今日はあたたかいので、パソコンに向かうことにしました。
パソコンはネットを通してさまざまな世界とつながっていますから、良いことも悪いこともパソコンを開いただけで飛び込んできます。
読み流しておけば、それで終わりますが、ちょっと反応すると、そこから何かが生まれることもあります。
それがパソコンの世界の面白さかもしれません。
しかし、きちんとコミュニケーションできる相手は決して多くはありません。
たぶん私もそうなのでしょうが、ほとんどの人が「書きたいこと」を書いてくるだけで、コミュニケーションが成り立たないことも少なくありません。
しかしピシッとコミュニケーションが成り立った時は気分がいいです。
今日はそんな体験もしました。
もちろんそうでない体験も、ですが。

私の体調があんまりよくないという話がどうも広がっているようで、「体調はよくなりましたか?」という言葉が添えられているメールが最近時々あります。
たしかに悪いといえば悪いのですが、まあこの歳になると、体調が悪いのも「健全」、つまり「正常」だと思っていますので、自分ではほとんど気にしていないのですが、そう思わせることは良くありません。
反省しなければいけません。

それにしても、人生は多事多難の連続です。
木枯らし紋次郎のように、「わっしには関わりのないこと」という人生を主義にしていても、あれだけ多事多難に関わってしまうわけですから、それだけの信条もない私が多事多難に苛まれるのは仕方がありません。
お金や権力でかたをつけたがる人が多いのもよくわかります。
お金も権力もない私のようなものは、逆に多事多難を楽しむようにしなければ身が持ちません。
残念なのは、そうしたことを共に楽しみ共に苦労する節子がいないことです。
苦楽を共にする伴侶がいてこその人生。
最近つくづくそう思います。

さてもう一仕事です。

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2017/02/15

■節子への挽歌3449:パソコンに向かう時間が減りました

節子
また3日間、挽歌を書けませんでした。
暇で暇で仕方がない割には、なぜかパソコンに向かう時間がないのです。
まあ節子から見れば、それこそが正常な生き方なのですが。
節子は、私がパソコンに向かう時間が多すぎるといつも言っていましたから。
今にして思えば、本当にそうでした。
パソコンに向かう時間を減らして、節子に向かう時間を増やせば、と反省しています。
すみません。

挽歌を書かない日も、お風呂に入っている時には、必ず節子のことを思い出しています。
お風呂をあがって、すぐにそこで考えていたことを挽歌にすればいいのですが、最近はお風呂から上がるともうパソコンをする気など起きません。
なにしろパソコンのある私の仕事場の部屋は、エアコンもない寒い部屋ですので。
暖房器具は一応あるのですが、あんまり効果がないのです。
先もそう長くないですから、これ以上、余計なものは買いたくありません。
ですから古い電気ストーブを使っているのですが、これがまたあんまり役に立ちません。

午前中は自宅にいることが多いのですが、午前中はリビングの陽当たりがよく、エアコンがなくてもあったかいのです。
そこで陽に当たりながら、時に読書もしますが、そこにノートパソコンを持ち込めばいいのですが、自宅のパソコンはみんな壊れて、というか、壊してしまいました。
仕事で収入があったら、パソコンをもう一台買おうと思いますが、最近は残念ながらその余裕がありません。
困ったものです。
しかし、そのおかげで、節子が嫌いなパソコン時間が減っているのです。

この挽歌はいま、自宅の仕事場のパソコンで書いていますが、寒くなって心身が冷えてしまいました。
気が付いたら電気ストーブをつけるのを忘れていました。
寒いわけです。
書き遅れていた挽歌を2,3書こうと思っていましたが、これが限界ですね。
それでは節子
またあした。

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■カフェサロン「コスタリカのマイクロミル革命から学ぶこと」のご案内

湯島のサロンの特徴の一つは、テーマも多様なサロンがスタイルもメンバーもさまざまなサロンが、絡み合っているということです。
哲学の話があるかと思えば、パズルの話があり、経済の話も政治の話も、まちづくりの話もあります。
そうした多様なものが絡み合うことに心がけているのですが、今回はさまざまなサロンが絡み合うテーマのサロンの案内です。

中米にあるコスタリカ共和国は、軍隊を持たない平和の国として有名ですが、最近、コスタリカを訪問してきた熊本の宮田喜代志さんをゲストにして、コスタリカではじまっている「マイクロミル革命」を切り口に、さまざまな話を展開させたいと思っています。
もちろん珈琲はコスタリカ産の、とても穏やかで飲みやすいコーヒーです。

「マイクロミル革命」はご存知の方もいると思いますが、マイクロミル、つまり小規模生産処理場を核にして、経済・企業のあり方やみんなの働き方を変えていこう、さらには社会のあり方を変えていこうという動きです。
世界的なソーシャルファームの動き、ディーセントワークにもつながっていることは言うまでもありませんが、宮田さんはそこから「小さいことはいいことだ!」という、これまでの価値観の転換にまで話を進めるだろうと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、宮田さんは農業と福祉の両方の分野で、しかも調査研究と実践の両方の分野で、長年活動している、めずらしい人です。
引き出しがたくさんなる人なので、どこに重点をおいた展開になるかは参加者次第です。
コスタリカの話もお聞きできればと思っています。

ぜひ多くのみなさんに、宮田さんの「小さいことはいいことだ!」のメッセージを浴びていただきたいと思っています。

〇日時:2017年3月22日(水曜日)午後6時半~9時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「コスタリカのマイクロミル革命から学ぶこと」
〇話題提供者:宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所所長)
〇参加費:500円
○参加申込み:comcare@nifty.com

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2017/02/11

■節子への挽歌3448:葬儀の記憶

節子
今日は私の父の命日です。
同居してから10年もたたなかったのですが、父を自宅で看取りました。
葬儀も自宅で行いました。
私も節子も初めてのことでしたが、当時はまだ自宅での葬儀が多かったような気もします。
お通夜はすごい寒い日で、凍えそうでした。
会社の仲間が手伝いに来てくれましたが、わけのわからないまま、終わった気がします。

母の時は、お寺で葬儀をしてもらいました。
節子が段取りをつけてくれたと思います。
そのせいか、私にはあまり記憶がありません。

つまり2回も喪主として葬儀を行いながら、ほぼすべてを節子に任せていたということになります。
そして、節子の葬儀。
流れに任せてしまい、結局、葬儀社で葬儀をする結果になりました。
節子は自分の友人たちを中心にした小さな葬儀を望んでいたと思いますが、私の友人が一部の人たちに訃報を流してくれたので、NPO関係の人たちがたくさん来てくれました。
手伝ってくれたのも、NPO関係の人たちでした。
節子が望んでいたのとはちょっと違ったものになってしまいましたが、たぶん節子も喜んでくれたはずです。
私も、想いを話すことができましたし。

父の葬儀の時には、子どもたちにも後で見せようと思い、葬儀の風景を撮影するようにしておきました。
父の死に顔まで記録に残しましたが、葬儀が終わった後、すべてを消去しました。
あの頃はまだ、死を観察する側にいたから、たぶん撮影ができたのです。

ちなみに、節子の両親の葬儀も体験しています。
いずれも自宅での葬儀ですが、義父の葬儀は印象に残っています。
雪の日でしたが、まだ土葬の時代で、みんなで行列をつくって、お墓まで行くのです。
先導は子どもで、私の娘のユカが白装束でその役を担いました。
ジュンは生まれたばかりだったので、私の義姉に預かってもらっていました。

義母の葬儀は全員で行きました。
節子はすでに発病していましたが、微塵もそれを見せずに、場を明るくするようにふるまっていました。

自宅とお寺と葬儀社のホール。
そして信仰深い浄土真宗の時間をかけた在所の人たちが参列する葬儀。
いろいろと体験しましたが、やはり一番よかったのは、自宅かもしれません。
私の場合は、自宅でのそれこそ内輪の家族葬ができるように、準備をしておきたいと思います。
彼岸から節子もきっと参列してくれるでしょうから。

父の葬儀の日ほどではないですが、今日も寒いです。
父が逝ってから30年。
前にも書きましたが、今年はわが家には少し不安がある年なのです。
今年は例外にしてもらうように、お祈りさせてもらいました。
そのお祈りをしたせいか、今日は朝から私の調子があまり良くありません。
今日はゆったりと休養をとろうと思います。

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2017/02/10

■節子への挽歌3447:昔話もいいものです

節子
今日も寒い1日でした。
久しぶりに近くに住んでいる友人のAさんと食事をしました。
節子もよく知っているAさんです。
海外旅行が好きだったAさんは、パリで病気になり、以来、あまり旅行もできなくなってしまいました。
いまもあまり無理はできないようです。
年に一回くらい、わが家にも来てくれるのですが、昨年は来られなかったようで、食事を誘われました。

Aさんは、私があまり昔話が好きではないことをよく知ってくれているのですが、それを踏まえたうえで、昔話は健康にいいようだと言いました。
たしかにそれはそう思います。
認知症対策にも昔話は効用があるようです。

その認知症ですが、最近さらに状況は悪化してきているようです。
待ち合わせのお店に定刻に着いたのですが、彼が見当たりません。
あれと思ったのですが、まあそのうち来るだろうと思って席に座りました。
そしてメニューを見て、お店を間違っているのに気づいたのです。
あわててお店の人に謝って、お店を出ました。
待ち合わせのお店は隣のお店だったのです。
すでにAさんは来ていました。
困ったものです。

ところで私の昔話嫌いの一因は、あんまり覚えていないからでもあります。
しかし、話しているといろんなことを思い出します。
たしかに昔話の効用はあります。
彼とは私が昔勤務していた会社の同期生です。
ですから共通の知り合いはたくさんいるのです。

こんな話もありました。
私が入社したころの上司が、佐藤は言うことを聞かない部下だったと言っていたそうです。
その上司はとてもやさしい上司でした。
当時、私は滋賀県に勤務していましたが、私が同僚たちに自転車で琵琶湖一周を提案して実行した時のことです。
なぜかお昼ごろに、その上司が心配して車で追いかけてきてくれたのです。
きっと私はひ弱なもやしっ子に見えたのでしょう。
そういわれればその通りだったのです。
幸いに自転車での一周は成功しましたが、しばらくはお尻が痛くて大変でした。
その上司が、私のことをそう言っていたとは今日まで知りませんでした。
私は組織人としては最初から脱落していたのでしょう。
多くの人の支えで、25年間も務めさせていただけたのが驚きです。

そういえば、私が突然、会社を辞めると言い出した時に、節子が最初に言った言葉は、よく25年ももったわね、だったような気がします。

もうひとつ今日は意外なことを知りました。
Aさんが、私のことを当時、「詩人」のようだったと言ってくれたのです。
これも初耳でした。
Aさんは、私たちの結婚通知のことも覚えていてくれました。
それは詩ではなかったのですが、詩のようだったと記憶してくれていたのです。
ちょっとうれしい気がしました。
その結婚通知を私も読み直したいのですが、見つかりません。

昔話もいいものです。
今日はAさんにいろんなことに気づかせてもらいました。
感謝しなければいけません。

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■節子への挽歌3446:忘れることはいいことだ

節子
雪の昨日とは違い、今日はまたあたたかな陽光がさしている朝です。
自然の変化は見事というしかありません。

昨日はとても嫌な夢を見ました。
起きた時に心身中に「不安感」が充満しているような気がしました。
もっともその内容は、あまり思い出せません。
起きた時には確かに覚えていましたが、顔を洗ったら、そのまま忘れてしまいました。
しかし残念ながら、不安感はまだ残っています。
最近また気分の変動が激しいです。

昨日、友人がハガキで、本を読んでも読む端から忘れていくということにつづいて、「あの重要な?「佐藤修の3原則」もときどき「なんだっけ?」と思い出せなくなります」と書いてきてくれました。
そういえば、そんな言葉を聞いたことがあったなと私も思い出して、「佐藤修の3原則」ってなんでしたっけ、とメールで質問しました。
今朝、返事が届いていました。

提唱者が覚えていないのですから たとえ3つでも忘れてしまうのは不思議ではありませんね。 安心(?)しました。佐藤修の3原則は 1)いいとこ探し 2)お金より人間関係 3)できることから小さな一歩 です。 覚えていらっしゃいますか?

なるほど。
私の生き方の真ん中にある考えです。
そこで4つ目の原則を加えることにしました。
4)忘れることはいいことだ

最近、夢はすぐ忘れます。
夢だけではなく、いろんなことを忘れる能力が高くなってきています。
そのうちに、生きていることを忘れられるようになるかもしれません。
しかし、いまはまだそこまで行けていません。
内容は忘れてもまだ、昨夜の夢が生み出した不安感は残っています。
もう少し忘れる能力を高めないといけません。
節子のことも忘れられるかもしれません。
忘れるとは、つまり自らと一体になるということですから。

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2017/02/09

■節子への挽歌3445:新潟のチューリップ

節子
新潟の金田さんが、また今年も、たくさんのチューリップを送ってきてくれました。
今年はあまりいろんな種類がなくて、と昨日、電話をもらっていました。
早速節子に供えさせてもらいました。

わが家の庭にもかつてはチューリップがだいぶ咲いていましたが、いまはほとんど見かけません。
チューリップは毎年植え替えないといけないので、けっこう大変なのです。
節子がいなくなってからの手入れ不足で、庭のチューリップはほぼ全滅です。
下の畑の花壇への球根植えも、昨年さぼってしまいましたので、今年はあまり咲かないでしょう。

節子が亡くなった後、献花に来てくださった人たちに、チューリップの球根を差し上げていた時期があります。
そのひとつはネパールにまで行き、見事に咲いてくれました。
ミニバラの小鉢を持って行ってもらった時期もありました。
私もとても気に入ったミニバラだったので、湯島にももっていきましたが、枯らしてしまいました。
節子の分身として花をお礼にさせてもらった趣旨からいえば、もっと生命力や増殖力の大きなものを選べばよかったなと、いまは思います。
わが家にも同じものを植えたりしましたが、残念ながら我が家の庭からもなくなってしまっています。

チューリップは節子も好きでした。
当分は、節子もチューリップに囲まれて幸せ気分でしょう。
家じゅうがチューリップだらけです。

今日は3編も挽歌を書きました。
もうじき追いつけそうです。

Tulip20170109


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■節子への挽歌3444:「最後」になるかもしれない会食

節子
兄夫婦と食事をしました。
今年になって2回目です。
節子がいなくなってからは、あまりなかったことです。
近くに住んでいますが、わが家と兄夫婦の家とは、「文化」が違うのです。
文化というと大仰ですが、生き方が違うと言った方がいいかもしれません。
仲が悪いわけではありません。

兄夫婦も80歳を超えました。
まあこれから先、何回、食事を一緒にできるかわかりません。
お互いにいつどうなるかわからない。
そろそろお互いに、「残された時間」をなんとなく感ずるようになっています。

先日、「おヒョイさん」こと藤村俊二さんが亡くなりましたが、あの報道を見ていて、私の生き方が少し変わったのです。
私は、懇親を深めるための会食があまり好きではありません。
そもそも懇親を深めるという概念があまりないのです。
一度でも会えば、私の場合は、それでほぼ深い関係(私からの一方的な思いだけではありますが)ができてしまいます。
敢えて、それを深める必要もないのです。
それに、昔話や他人のうわさ話が大嫌いです。
ですからテーマを持った話し合いを伴う会食は大好きですが、単なる雑談のための会食はあまり好きではないのです。

その上、美味しいものを食べるということにも、関心はありません。
ですから会食の誘いはいつもどうも気が乗らないのです。
しかし、今回はわたしからのお誘いです。
相手も戸惑ったかもしれません。
私らしからぬことなのですから。
相手にも迷惑かもしれないので、一応、気遣いして、我孫子では私が一番おいしいと思っているうなぎ屋さんに誘いました。
うなぎは、私のような生活レベルの人には、いまや「ぜいたく品」になってしまいましたが、いつも質素に生きていますので、たまには許されるでしょう。

うなぎ屋さんは混んでいました。
どうも私は、最近大きく社会から脱落してきているようです。
うなぎの美味しさから話は弾みました。
成田のうなぎ屋さんの話から京料理の話へ、そして京都の話へと広がりました。
来月、兄たちは娘家族も一緒に、みんなで京都に旅行に行くそうです。
みんなで行くのは最後だろうと言っていました。

最後という言葉が、抵抗なく往来するようになってきました。
今回は、娘も付き合ってくれました。
感謝しなければいけません。

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■節子への挽歌3443:老いや死に対する、安らかな、落ち着いた境地

節子
朝起きたら隣家の屋根がうっすらと白くなっていました。
みぞれが降っていました。
今日は自動車で出かける予定があるのですが、いささか心配です。

昨夜、佐久間さんからメールが届いていました。
友人の青木新門さんが1月23日の読売新聞に載っていた五木寛之さんの「死を語る」での発言に大きな違和感を持っていて、それを青木さんがブログに書いたので、拡散してほしいという内容でした。
青木さんのブログと五木さんの記事を読みました。
青木さんのブログは、下記サイトの2017年1月27日の記事です。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~amitaabha/

私は、青木さんの意見に共感しました。

五木さんは、単独死、孤独死が、悲惨だとは思いませんと書いています。
もし悲惨という言葉を使うのであれば、私はそこに行きつく「生き方」こそが悲しいと思っています。
私は、孤独死しないような生き方に努めたいと思っています。
多くの人もまた、そう願っているのだろうと思います。
それは難しいことではありません。
隣の人に思いやりを持つだけで、実現できることなのですから。

また、五木さんは「老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地があるというふうに想像するのは幻想でしょう」と言っていますが、それにも大きな違和感があります。
私は、安らかな死は、人間にとっての基本ではないかと思っています。
それがおろそかにされてしまっている、私たちの生き方を見直す必要があると思っています。
それで昨年から、「看取りの文化を考える」シリーズのサロンを始めました。
今回は、小田原で30年前から福祉施設での看取りに取り組んでいる人に、自然に死に向かう生き方の素晴らしさを話してもらう予定です。

青木さんのフェイスブックにもそう書き込ませてもらいました。

しかし、なぜ五木さんは、老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地がないと決めつけるのでしょうか。
そんなにさびしい生き方をしているのでしょうか。
五木さんの仕事を手伝っていた黒岩さんが元気だったら、五木さんのことを教えてもらえたかもしれません。

五木さんが、救われることを祈ります。

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2017/02/07

■節子への挽歌3442:認知力の衰えの効用

節子
最近、私の認知力もかなり低下してきています。
いささか危ういかもしれません。
もっとも、記憶力の悪さとうっかりさは、昔からのことです。
今に始まったことではないかもしれません。
重要なことは忘れないのですが、そもそも「重要なこと」に関する評価基準が、どうも私と世間とは違うようなので、困ることがあります。
最近は認知症を危惧されるほどに娘からも注意されますが、歳をとるにつれて、記憶の量は増えるわけですから、忘れていかねば頭の容量がパンクしてしまうでしょう。
忘れることは決して悪いことではありません。
健全な老化として、素直に受け入れるのがいいでしょう。

テレビのドラマや映画を観ていると、忘れることの効用を実感できます。
たとえば、私はテレビドラマの「相棒」が好きなのですが、再放送を見ていても、前に見たことは覚えていますが、筋書きを忘れているので、何度でも楽しめるのです。
いまのところはそれでも忘れるためには数か月の期間が必要ですが、その内、毎日見ても新鮮で面白くなるかもしれません。

もうひとつ最近気づいたことがあります。
人の顔、とくに女性の顔の見分けがつきにくくなってきました。
私はむかしから猿の顔や犬の顔はあまり見分けがつかなかったのですが、最近は人間の顔も次第に見分けにくくなってきています。
これも健全な老化のおかげでしょうか。
顔の見分けがつかなくなると、すべての人が私にとっては同じ存在に見えてくるわけです。
つまり、みんな友だち、かけがえのない人になるわけです。
そうなるとだれにでも優しくできるし、誰にも助けてもらえそうです。

歳をとるということは、そういうことではないか。
などと思い出していますが。さて私の物忘れがこれ以上ひどくなると困ることもあるのでしょうね。
でもまあ、今までもかなり物忘れや勘違いが多かったので、さほど大きな問題は起きないでしょう。
さて、今日もまた、テレビの再放送ドラマでも見ることにしましょう。
今日、やらなければいけないことは忘れて。

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■節子への挽歌3441:中野さんからの年賀状

節子
エジプトの中野ご夫妻から年始のあいさつが届きました。
また生活の拠点をカイロに戻したそうです。
うっかりしていて、この数年、中野さんたちが日本に来ていたことに気づきませんでした。
お会いし損ないました。
まあこんな感じで、友人知人との交流もかなり穴が開いてしまっているのでしょう。
こんなところにも、生活の乱れを感じます。

中野さんはいつも、年賀状に興味ある写真を印刷してくるのですが、今年はカイロ博物館にある「メイドゥムのガン」の写真でした。
偶然なのだそうですが、今年のエジプトの1ポンド切手の図柄も、メイドゥムのピラミッドなのだそうです。
私はメイドゥムのことは知らないのですが、あの豊かなエジプトの世界に触れて暮らしている中野さんたちがうらやましいです。
節子がもし元気だったら、もう一度といわず、何回かは触れることができたと思います。

中野さんの奥さんは、時々、ラジオでエジプト報告をしています。
深夜放送なので、私は最近は全く聞いていませんが、お元気そうです。
エジプトに行ったのはもう25年ほど前ですから、いまもなお年賀状をくださる中野さんたちに感謝しなければいけません。

節分が終わった頃に年賀状をくれる友人がいます。
その友人からの年賀状が届いたら、年賀状を書こうと思っていました。
その年賀状は数日前に届きましたが、やはり年賀状を書く気がおきません。
いやはや困ったものです。
中野さんは、たぶんエジプト情勢の影響もあったのでしょうが、めずらしく2月になってから届きました。
いつもはきちんと元日に届くのですが。

年賀状や年賀メールを出せていないのが、かなり心に負担を与えているのですが、なぜかやはり書けません。
どうしてなのでしょうか。

Photo

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2017/02/06

■節子への挽歌3440:豊かに生きることにしました

節子
庭の藤棚は直してもらったので、少しずつ庭の整理をしていこうと思います。
今日は大きくなった樹をかなり思い切って切りました。
さっぱりしましたが、やはりいろいろと枯れてしまっていました。
手入れをしないと自然は維持できませんね。
池も放置しっぱなしですが、金魚とメダカは元気でした。
どこかにカニも隠れていて、あたたかくなったら出てきてくれるといいのですが。

節子がいなくなってから私が植えた琉球朝顔は評判がよくありません。
ともかく元気で、庭を席巻してしまったのです。
ハナミズキにもジュンベリーにも、そしてサルスベリにまでつるがのびてしまい、それこそ枯れ木に花の状況でした。
植木鉢のヒバも枯れてしまいました。
節子が戻ってきたら、さぞかし嘆くことでしょう。
節子が大事にしていた山野草はほぼ全滅です。
困ったものです。

下の畑も、今年はやれなくなるかもしれません。
家が建つかもしれませんので、さてどうしようかと迷っています。
せっかく少しずつ畑らしくなってきたのに、ちょっと残念な気もしますが。
まあそうやって状況は変わっていくのです。

今年は微笑みを大事にしようと思っています。
人生最後の5年くらいは、節子のように、すべての人に感謝しながら生きていこうと思います。
もう遅いかもしれませんし、まだ早いかもしれませんが、今年は腹を立てたり誰かを非難したりすることのないように、豊かに生きたいと思います。
だいぶ心構えができてきましたが、正直、まだ予行練習の段階です。

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■子どもたちにとって、一番大切なのは何なのか

今年4月入所を目指した認可保育所の選考結果通知が全国で2月から本格化し、落選ラッシュで親たちが悲鳴を上げている。ソーシャルメディア上には「このままでは共倒れ」「ショック過ぎる」と悲痛な声が全国から寄せられている。昨年、認可保育所を落選した母親が「保育園落ちた。日本死ね!」とブログに書いて注目されて間もなく1年。親たちの声を集める動きは今年も始まっており、怒りは大きなうねりとなりそうだ。

これは昨日の毎日新聞の記事です。
「保育園落ちた。日本死ね!」に関しては、以前も書いたことがありますが、こうした状況で育っていく子どもたちの行く末が、心配です。
念のために言えば、私は「保育園が不足している」という状況を憂いているのではありません。
むしろ、こうした声を上げる親の元で、そしてこうした声が運動にまでなってしまうような社会で、子どもたちが育てられていく、あるいは育っていく状況が気になるのです。
そもそも保育の問題を保育園待機児童の数の問題にしてしまう社会にも疑問を感じます。
そこに私たちの生き方の本質が象徴されているように思うのです。
私には、問題の捉え方が間違っているとしか思えないのです。

東京都の三鷹市では、子どもを認可保育園に入れられなかったのは自治体が責務を果たしていないためだとして、市に対して、無認可の保育施設にかかった費用の一部60万円の賠償を求める訴訟を起こした両親もいます。
「保育園落ちた。日本死ね!」の発想からは、当然出てくる行動です。
私にはとても理解しがたい話ですが、そうした親に育てられた子どもたちがどうなっていくのか気になります。

こう書いていくと、保育の大変さは親でないとわからないと言われそうです。
いま娘が孫を育てていますが、その大変さは見ていてわかります。
しかし、だからといって、その大変さを解決する方策は、認可保育園に依存するだけではないはずです。
保育園がなかった時代もありました。
こういうと、さらに2つの指摘が来そうです。
いまは家族形態も変わったし、近隣社会の状況も変わってきた、と。
つまり共稼ぎも増えたし、家族構成のも三世代ではなくなった。
それに近隣の付き合いも疎遠になって、地域コミュニティもなくなった。
たしかにそうかもしれません。
しかし、だとしたら、なぜそうした家族や親子や地域社会の変化を問題にしないのか。
なぜ子育て時期にまで共稼ぎをする生き方を選ばなければいけないのか。
そういう時代の流れに問題はないのか。

3歳児神話は今ではまさに「神話」になってしまった感があります。
私は20年ほど前に、保育のあり方を考えて、新しい保育システムを提案する活動に取り組んだことがあります。
その時の問題意識は、保育という切り口から私たちの生き方や社会のあり方を問い直そうということでした。
つまり、「子どもを育てる」のではなく「子どもが(社会)を育てる」という発想です。
私たちは、子どもたちから学ぶことがたくさんあると感じていたからです。
その時にも、委員のみなさんからは3歳児神話は否定されていたように思いますが、私は3歳児神話、つまり3歳頃までは両親が、あるいは親密な人間関係の中で育てることの意味を否定できませんでした。
もちろん現実はそれが難しいわけですが、もしそうならなぜ問題を逆転させて、3歳児までは両親が中心になって育てられる仕組みを育てていかないのかが私の疑問です。
子供は社会が育てるというのと保育園で育てるというのとは全く別の話です。

ヴェトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンはこう書いています。

みずからが幸せで平和でないならば、愛する人たちや、同じ屋根の下に住む人たちとさえ、平和と幸せを分かちあうことができません。 平和で幸せであるならば、私たちは微笑し、花のように咲き開くことができます。 家族全員、社会全体が、私たちの平和の恩恵を受けます。

子どもたちにとって、一番大切なのは、何なのか。
大人たちにとって、一番大切なのは何なのか。
「保育園落ちた。日本死ね!」という言葉には、幸せも平和も感じられません。
親の心が荒れていたら、子どもたちにも微笑みは消えていきかねません。

ティク・ナット・ハンは、こうも書いています。

人生は苦しみに満ちています。 しかし、人生にはまた、青い空、太陽の光、赤ん坊の目といった、素晴らしいことがいっぱいあります。

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2017/02/05

■節子への挽歌3439:呼び方の文化

節子
先日、歯医者さんでお孫さんは大きくなりましたか、と訊かれました。
だんだん人間らしくなってきましたが、まだ人間の言葉は話しません、と応えたら、「じじ」と呼ばせるのですかと、質問されました。
それで、わが家の文化は、名前で呼ぶのです、と説明しました。
「おさむくん」ですか、とまた訊かれたので、「くん」は嫌いなので、「さん」づけか呼び捨てですと答えました。

わが家の文化といいましたが、節子はあんまり賛成ではなかったので、私の文化というべきかもしれません。
娘たちも、特に上の娘は、私のことを名前では呼びません。
お父さんと呼びます。
小さいころは、「お父さん」ではだれのお父さんからわからないので、名前で呼んでよと頼んでいましたが、彼女にはそれはあまり受け入れてもらえませんでした。
下の娘は、名前で呼んでくれることもありましたが、やはりなかなかそうはならないようです。
人の名前は、個人の名前で呼ぶべきだというのが私の考えですが、どうもあまり一般的な考えではないようです。

節子は、それでも夫婦の間では名前で呼ぶことには賛成でした。
ですから私たちは、基本的に名前で呼び合っていたわけです。
今も毎朝私は、仏壇に向かって、「節子、おはよう」と声をかけています。

しかし、実はその「私の文化」とは矛盾しているのですが、むすめたちに対して、私は自分のことを「お父さん」と呼んでしまっています。
最近気づいたのですが、それが娘たちが私のことを名前で呼ばなかった理由かもしれません。
節子にも、娘たちに私のことを言う場合は、「おさむ」と呼ぶように言っていましたが、「お父さん」と言っていたような気がします。
それでよく、「私は節子のお父さんではないので、その言い方はやめてほしい」と頼んだこともありますが、節子はその他のミーティングは適当のかわしてしまっていました。
困ったものです。
私を心底信頼していた節子さえも、変えられませんでした。
個人の文化を、家の文化にするには、そう簡単なことではないのです。

人をどう呼ぶかで、その人との関係性が決まってきます。
だから私は、どんな人でも、基本的に「〇〇さん」と呼ぶようにしています。
しかし、多くの場合、名前ではなく苗字のほうが多いのです。
このこともまた、私の基本的な考えを象徴しています。
というよりも、日本では苗字ではなく名前で呼ぶのが、いささか礼を失するところがあるような気がして、徹底できなかったのです。

私の文化も、いささか首尾一貫していません。

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■節子の挽歌3438:病院アレルギー

節子
昨夜、久しぶりにHさんからのメールが届いていました。
Hさんといっても、節子は知らないと思いますが、私には節子とのつながりで記憶に強く残っている人です。

節子が逝ってしまってから1年ほどだったでしょうか。
あまり正確には覚えていないのですが、Hさんからある調査に協力してくれないかという連絡がありました。
それは、「病院」に関する調査プロジェクトでした。
Hさんには、私が立ち上げた、病院のあり方を利用者の視点で考えなおすヒポクラテスの会に参加してもらっていた関係だったかもしれません。

節子を見送った後、私は「病院アレルギー」になってしまいました。
当時は、病院や病気という文字を見ただけで、心が縮まるような状況でした。
長生きのためにとか、健康が一番、などといった言葉にさえ、反発を感じたほどでした。
その頃に、Hさんからの誘いだったために、事情を話して断らせてしまいました。
しかし、しばらくしてから、後悔しました。
むしろ、だからこそ、関わるべきだったと思ったのです。
病院に関して思っていたことは山のようにありましたから。

それからしばらくして、今度は私が何かでHさんに案内を出したことがあります。
Hさんはアメリカに転居することになったという連絡がありました。
以来、ご無沙汰が続いていました。

以上が、いまの私の記憶なのですが、
これを書きながら、もしかしたら私の記憶が間違っているような気がしてきました。
人は、自分の記憶したいように過去をつくりかえていきます。
特に、私の場合、節子の闘病や見送った直後の記憶は、とても曖昧です。
つくり替えることもあるでしょうが、その前に、記憶そのものが危ういのです。
あの前後5年の私の記憶は、全体像がなく、個別の事象だけがやけに生々しい、おかしな記憶ばかりです。

Hさんとは近々会えるでしょう。
彼女と話せば、私の記憶が正しかったかどうかがわかるでしょう。

ちなみに、最近はもう「病院アレルギー」はなくなっています。
それに2回も、私自身が入院しました。
それでも、いまでも「長生きが幸せ」という文字は、好きになれません。

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2017/02/04

■節子への挽歌3437:72歳の節子はどんな感じだったでしょうか

節子
節子の誕生日だったので、孫も一緒にお墓に行きました。
めずらしく、というか、当然というか、今日は誰もお墓にはいませんでした。
さほど大きなお寺ではないのですが、だいたいいつも誰かが来ているのですが。
お供えの花の中に、庭で咲いていた白と黄色の水仙をもっていきました。
いまは水仙くらいしか咲いていないのです。

最近はお墓に行く回数も減ってしまいました。
節子を見送った直後は毎週と思っていましたが、それが毎月になり、いまではそれも危うくなってきています。
わが家に位牌があって毎朝、お参りはしていますので、お墓はまあいいかという感じになってきてしまっています。
まあ、そんなものなのです。
立場が違ったとしても、きっと節子もこんな感じだったでしょう。
なにしろかなり似たもの夫婦になってしまっていましたから。

私はお墓とか法事とかにはあまり関心がありませんでした。
そうしたことに関心を深めたのは、節子と結婚したおかげです。
節子の生家のある滋賀県の湖北地方は、浄土真宗への信仰が厚く、法事ではみんなが一緒に読経するのです。
その印象がとても強く、もともとお寺への関心が高かったこともあり、節子に教えてもらいながら、法事の何たるかを理解してきたのです。
祖先を大事にするという感覚も、節子のおかげで、高まりました。
たぶん節子以上にいまは、高いと思います。

それはそれとして、今日も墓前で般若心経をあげてきました。
節子だったらどうでしょうか。
あげてもらえたかどうかいささか心配です。

ところで、もし節子が元気だったら、今日で72歳。
そういえば、今年は年女だったはずです。
72歳の節子。
どんな感じだったでしょうか。
想像もつきません。

それにしても、時のたつのは速いです。


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■久しぶりの「みんカフェ」のお誘い

久しぶりに、「みんなのゆる~いカフェ」を開催します。
湯島では最近、みんカフェは開催していませんでしたが、新潟や千葉などで継続的に開催されています。
湯島では公開型の「みんカフェ」は久しぶりですが、今回はちょっとまた、少し新しい要素をいれたいと思っています。
実際にそうできるかどうかはわからないのですが、サロンの中心になる「話し合い」をできるだけしない試みです。
目指しているのは「リトリートカフェ」
ただただコーヒーか紅茶を飲みながら、1時間を過ごす。
もちろん話したい人は話すのは自由です。
自らを「放す」ように話すのも自由。
もちろん出入りも自由。
1時間ほどたったら、少しずつ話し合いも始めたいと思います。
もちろん話し合いたいひとだけで、です。
もしかしたら、私も最初に少しだけ話をさせてもらいます。
話すというよりも、ある本を読むことになるかもしれません。
私が、それを読んでとてもあったかくなった文章を、です。
そのあったかさを、シェアできればと思います。
まあ、そんなカフェサロンが実現できるかどうかはあまり自信はありませんが、少なくとも来てくださった方には、ほっとする時間を持ってもらえるように努力します。

よかったら、遊びに来てください。
もし何か相談ごとがあったり、サロンの途中で、相談したくなったら、喜んで相談を受けたいと思います。
サロン終了後も1時間ほど時間をとっています。

普段あまりお会いできない方や、これまで現世では一度も会ったことのない方に、お会いできるのを楽しみにしています。

〇日時:2017年2月12日(日曜日)午後1時半~3時半
1時から部屋は開いています。出入り自由です。
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○メニュー:コスタリカのコーヒー、またはダージリンティとささやかなお菓子
どなたでも歓迎の、ゆる~いカフェサロンです。
○会費:お布施方式(どこかに箱があるので入れたい人は入れていってください。活動持続のために使わせてもらっています)

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■世界をどう認識するか

前にも何回か書いたことですが、世界の構造をどう認識するかで、世界の風景は変わってきます。
最近のトランプ現象も、たぶん少し変わって見えてくるでしょう。
TPPの問題もそうですが、世界の構造の把握によって、その評価基準は反転します。
非常に荒っぽい言い方をすれば、1%の視点で見るか99%の視点で見るかということです。
あるいは、マネタリー経済の視点で見るか、サブシステンス経済の視点で見るかです。

昨日の朝日新聞の「異論のススメ」で、佐伯啓思が「グローバリズムの時代に保護主義は本当に悪か」と書いていましたが、私もかなり共感できるところがあります。
世界の経済環境がこれほど大きく変わっているのに、なぜかまだ「自由貿易」信仰が多いのは不思議です。
そもそも「保護」とは「何かを何かから守ること」ですが、その2つの「何か」をきちんと理解して、保護貿易を語っている人はいるのでしょうか。
しかも、世界の構造は変質しています。
人々の生活を豊かにするための経済の成長や発展は、いまや資本の増殖のための経済成長になってきています。
貿易障壁をなくすことが、人々の生活を豊かにするとは限らなくなっています。
それは、経済行為がいまや文化や生活と切り離されてしまったからです。
自由貿易という時の「自由」とは、誰にとっての「自由」か。
そうしたことをわかりやすく可視化してくれたのがトランプ大統領です。
もっともトランプ大統領もまた、自由貿易主義者でしょうが。

自由貿易論も、保護貿易論も、その目的は人々の生活を豊かにすることだったはずです。
その原点に戻って考えなければいけません。

世界を、個人を主体として考えるか、客体として考えるかで、その構造は全く違って見えてくるでしょう。
私たちは、そろそろ、「個人の尊厳」を起点にして、世界を構想する時代に来ているように思います。
そういう思いでトランプの発言を受け止めると、そこに時代の流れへの大きな異議申し立てを感じます。
多くの報道はトランプの言動を「人権無視」と捉えているように思いますが、ほんとうにそうなのか。
これまでのオバマ政権はほんとうに「人権尊重」だったのか。
トランプ騒動は、そういうことを考える絶好の機会ではないかと思います。
これまでの枠組みで考えずに、枠組みそのものを考えることも、時に必要ではないか。

私の場合、その起点は常に個人の尊厳です。

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2017/02/03

■節子への挽歌3436:節分でしたが、豆はまきませんでした

節子
今日は節分。
今年もわが家は豆まきをしませんでした。
節子がいたら、「福は内 鬼も内」という豆まきをやったはずですが。
昨年から、あまり豆まきはしなくなりました。
豆まきに限りません。
だんだん伝統行事への参加がなくなりました。

「福は内 鬼も内」
わが家の豆まきの掛け声は少し違っていたのです。
私は、「鬼も内」だけでいいという考えでしたが、「内」と言いながら豆をまくのはどう考えてもおかしいのです。
それで、わが家の豆まきはいつも元気が出ませんでした。
それでも節子は、豆まきをしなければいけないと言っていました。
節子の「節」は、「節分」からとった文字ですし。

もっとも節子の誕生日は、2月4日です。
節子が生まれた1945年は、もしかしたら2月4日が節分だったのでしょうか。
それもあって、節分はいつも節子の誕生日でもあったのです。
ですから、節子の誕生日は友だちに覚えてもらいやすかったようで、毎年、お誕生日祝いの手紙などをもらっていたようです。
明日もきっと、だれかが節子を思い出してくれるはずです。

しかし、いまの私には誕生日よりも命日のほうが大切な意味を持っています。
9月3日が、節子の命日ですが、今日2月3日は、月命日です。
3日はできるだけ自宅にいるようにしています。
今日は、天気もよかったので、少しだけ庭の整理をしました。
鉢植えの河津桜がつぼみを持ち出していますので、今年はきちんと咲かせたいと思い、日当たりのいい庭の真ん中に持ってきました。
先週、藤棚もつくりなおしてもらったので、少しずつ庭の整理もしていこうと思います。
最近の庭の状況は、節子が戻ってきたら、腰を抜かすほどに荒れていますので。

節子がいないので、今日もまたさびしい節分でした。

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2017/02/02

■節子への挽歌3435:「死のにおい」はあっても「死の気配」は全くない

節子
最近のブログには、なにか「死のにおい」がするかもしれません。
書いていて、自分でも少しそんな気がします。

フェイスブックに、友人が自殺した友と消息を絶った友へのメッセージを書いていました。
そしてその記事が、連絡がつかなくなった友に届くように、シェアしてほしいと書いてありました。
その記事をシェアした時に、書き手のkenさんへのメッセージを書き添えました。
「kenさんも、また湯島に顔を出してください。私が遠くに行く前に」
kenさんがコメントを返してきました。
「佐藤さんはたまにぞっとするような冗談をおっしゃるので…」
どこが「ぞっとする」のかわかりませんが、やはり「死のにおい」があるのでしょう。

最近、訃報が多いので、いささか気が滅入っています。
死とはやはり、残された者にとって大きな意味があります。
どうせ彼岸でまた会えるから、などといえるのは、よほど親しい間柄の場合です。
彼岸は、たぶん此岸よりも人口が多いでしょうから、なかなか会えないかもしれませんし、相手によっては、現世のうちに、一応の「人生の整理」をしておきたいような人もいます。
しかし、いささか気になるのですが、年賀状も来なかった人がいます。
もう一度会っておきたいと思いながら、遠いためになかなかお会いできないまま数年が過ぎてしまっていた人です。
そう思い出すと、気になる人がどんどん出てきます。
ということは、私が不義理をしている人がそれほど多いということです。
最近、私の交流の手段は、ネット中心になっています。
手紙はめったに書きませんし、電話は嫌いなのです。
手紙は字が下手ですし、電話は相手の顔が見えないためにうまく話せないのです。

携帯電話は持っていますが、めったに使いません。
持ち歩くことも少ないので、かかってきても出ない場合が少なくありません。
留守電もめったに聞きません。
電話は昔から好きではないのです。
相手の顔も見ないで話していると、うまく話せずに、時に感情的になったりしたりして、電話を切った後、いつも後悔するのです。

有線電話よりも無線電話のほうが、私には向いていると思います。
しかし残念ながら、私には霊界通信やチャネリングはできません。
その気になれば、彼岸との交流はできないわけではないとは思っています。
要は、自分さえ納得すれば、会話はできるのです。
その相手は、現世にいようといまいと、そう関係はありません。
現世にいるからと言って、そう会えるわけでもありませんし。

話がずれてしまいましたが、最近の挽歌からは「死のにおい」がするかもしれませんが、私の周辺には幸か不幸か「死神」の気配はまったくありません。
今日も歯医者さんで血圧の話題になり、血圧の薬を飲むようにと帰り際に心配してわざわざ注意しに来てくれましたが、「死のにおい」はあっても「死の気配」は全くないので、大丈夫ですと話してきました。
まあ歯医者さんに行く時だけ、血圧の薬を飲むようにしましょう。

死とは、もしかしたら「選ばれた人」へのご褒美なのかもしれません。
そんな気が、この殺します。
節子が先に逝ったことを何とかして正当化させたいという気持ちが、いまもまだ私の中には大きくあります。
なかなかその呪縛からは解放されません。

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■TCH(Tooth Contacting Habit)

今日はまた歯医者さんでひとつ教えてもらいました。
マウスピースを使いだしたのですが、寝ている時には自然と歯はかみ合っているのが普通ですか、と歯医者さんに質問しました。
何事も疑問に思ったことは質問するのが私の性癖です。
そうしたら、リラックスしている時、上下の歯は軽く接していると思いますか? と訊かれました。
接触していないのだそうです。
たしかに意識してみると、接触していません。
しかし、それは重力の法則に合わないので、進化の間違いではないか、類人猿もそうですか、と歯医者さんに場違いな質問をしたのですが、そうしたらTCHの話をしてくれました。
TCHとは、“Tooth Contacting Habit”(歯列接触癖)の略で、上下の歯を“持続的に”接触させる癖のことだそうです。

帰宅して、早速、調べてみました。
類人の話ではなく、TCHのことをです。
そこで知ったことを紹介します。

上下の歯は何もしていない時は接触しておらず、離れており、会話や食事をする際に接触する時間を含めても、接触しているのは1日20分程度が正常だと言われています。
上下の歯の接触時間が長くなると、筋肉の緊張や疲労、顎関節への負担が増え、起床時症状(顎の疲労感,歯の違和感,口が開きにくいなど)や顎関節症、様々な不定愁訴に関わっている可能性が考えられています。

マウスピースの効用がよくわかりました。
歯ぎしりはストレスが起こすと言われますが、歯ぎしりがストレスを起こす面もあるということです。
マウスピースは歯の寿命を延ばすだけではなく、人生を明るくするのです。
みなさんもいかがですか。
我孫子市のいしど歯科クリニックは、行くたびに何かを学べる楽しい歯医者さんです。
今日は血圧で、少しまた注意されましたが。

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■節子への挽歌3434:「最近よく星を眺めます」

節子
節子も知っているMさんからメールが届きました。

昨日は、月、火星、金星が接近して縦ほぼ一直線に並び、光輝いて(火星は赤く暗かったですが)、それはそれはきれいでした。
オリオン座のペテルギウスとこいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスの冬の大三角形も明るく輝いていて。
最近よく星を眺めます。
あまりにきれいで、眺めていると死が怖くなくなります。
古人の言った通り、いつかはあそこに行くのだろうなと思って。

彼女らしい思いですが、なぜ死が怖くなるのか、わかりません。
空を見ていると、それが昼であれ、夜であれ、私は何か包まれているような感じがします。
自分が、その中に溶け込んでいくような、そんな平安な気分になります。
Mさんは、小学校時代の同級生です。
私たち同級生は、卒業後、同級生全員で“ぽんゆう”というグループをつくり、20歳前後の頃は毎年、夏には高原での参加自由なキャンプをしました。
1週間ほど、誰かはずっと滞在し、あとはそれぞれの都合に合わせて、やってくるのです。
私はいつも最初から最後までいる組でした。
その時に見た夜空は、それは美しいものでした。
そうしたおかげかどうかはわかりませんが、同級生同士の結婚が2組も生まれました。
大学卒業後、私は滋賀に移ったので、その活動も終わってしまいましたが、その余韻はいろんなところで残っています。

しかし、そんな時代も、もう遠くになってしまいました。
当時の仲間に会うと、当時に戻ってしまいますが、それはほんの一瞬のこと。
集まった後の帰路には、もう別の、つまり年老いた、あるいは成長した自分に戻ります。

久しぶりにMさんと食事でもしようかと思います。
Mさんだけではなく、当時の仲間にも声をかけてもいいかもしれません。
そういえば、昨年も何人かで食事をしました。
過去を懐かしむのは、私の好みでは全くないのですが、時にはそれもいいかもしれません。
そろそろみんな星に旅立つ時期なのですから。

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■節子への挽歌3433:寒風と陽光のもとでのリトリート

節子
うっかりして鍵を忘れて外出し、帰宅したら鍵がないので入れなくなってしまいました。
それで外出していた娘に電話して、鍵を届けてもらいましたが、
届くまでの30分ほど、庭のいすで本を読んでいました。
今日はとても寒い日なのですが、幸いに庭は陽当たりが良いので、何とか持ちこたえられました。
凍死する前に娘がカギを持ってきてくれました。

ところで、その寒さの中で読んでいたのは、ティク・ナット・ハンの「ビーイング・ピース」です。
歯医者さんに行っていたのですが、待たされたら読もうと思って持参した本がポケットに入っていたのです。

ティク・ナット・ハンは、平和活動をしているヴェトナム出身の禅僧です。
私は昨年、テレビで知ったのです。

その本はこう書きだしています。

人生は苦しみに満ちています。 しかし、人生にはまた、青い空、太陽の光、赤ん坊の目といった、素晴らしいことがいっぱいあります。 苦しむだけでは充分ではありません。 苦しむばかりでなく、人生におけるさまざまな素晴らしいことと、つながりをもつべきです。 素晴らしいことは、私たちの内にあり、まわりのどこにも、いつでもあります。 みずからが幸せで平和でないならば、愛する人たちや、同じ屋根の下に住む人たちとさえ、平和と幸せを分かちあうことができません。 平和で幸せであるならば、私たちは微笑し、花のように咲き開くことができます。 家族全員、社会全体が、私たちの平和の恩恵を受けます。

このころ、私もこういうことがわかるようになってきました。
それは節子との別れと無縁ではありません。
節子がもし今も元気だったら、私はこうしたことを頭の中だけの考えにとどめていた可能性が否定できません。
頭の中だけの考えであれば、あるいは知識であれば、こういうことはずっと持ち続けていました。
しかし、それが実践できていたかどうかはあやしいものです。
もちろん節子だけのおかげではありません。
節子がいなくなってからの10年は、多くの人に迷惑をかけ、多くの人に支えられながら、生きていますから、その過程で、頭の中の考えが実践につながりだしたのです。

ティク・ナット・ハンは、さらにこう書いています。

みずからと共にいることに、私たちは慣れていません。 まるで、自分を嫌い、自分から逃れようとしているかのように、ふるまいます。 瞑想は、みずからの体、感情、心、さらには世界で、何が起こっているかを、はっきりと知ることです。

そして、そのために、時々はリトリート、すなわち、心の集中の1日を過ごすのもいいというのです。

「みずからと共にいること」というフレーズには、もう一つの思いを持ちましたが、それはいつか書くとして、リトリートを心がけようと思いました。
そして、鍵が届くまでの数分、寒い中で、しかしあたたかな陽光の中で、青い空を見ながら、ミニ瞑想を行いました。
最近、いささか苛立っている自分に気づいているのですが、少しその苛立ちがおさまりました。
リトリートサロンを、一度やってみようと思います。

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2017/02/01

■節子への挽歌3432:1980年のキラウェア火山

節子
福田さんがフェイスブックに1980年にハワイのキラウェアに行った時の写真をアップしてくれました。
節子も私も、一緒に行ったキラウェア火山ツアーの時の写真です。
福田さんがわざわざアップしてくれたことを連絡してきてくれました。
福田さんは最近もキラウェアに行ったとお聞きしていましたので、その写真かと思ったら、そうではなくて、私たちも一緒だった1980年の時のものでした。
ペレの涙。オヒヤの花。
とても懐かしい。
ボルケーノハウスでの夕食後の中村教授のレクチャーや暖炉の前での談笑などが、思い出されます。
たしかあれは節子にとっては最初の海外旅行でした。
その中村さんも、もう亡くなってしまいました。

過去を思い出すのは、私はとても不得手なのですが、
あの旅行のことはそれなりに覚えています。
わが家を探せば、その時、持ってきてしまったペレの涙の一粒があるはずです。
節子がいない今となっては、もう探す気にもなりませんが。

そういえば、あの時ご一緒だった何人かとは最近ご無沙汰です。
連絡の取りようがわかったら、連絡してみようと思います。
節子が元気だったら、つながりはつづいていたかもしれませんが、
私へネット派なので、手紙派の節子が亡くなってから、そうした人とのつながりも消えてしまいました。
節子がいなくなって、私の世界も狭まってしまったのかもしれません。

明日は頑張って、季節はずれの年賀状を書こうと思います。


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■節子への挽歌3431:カラダの声

節子
2月になってしまいました。
気を引き締めて、と思い直しての1日目です。

それで気になっていたある人に連絡を取りました。
だれかが書いていましたが、便りがないのは良い報せとは限りません。

最近来ないけれど、一度湯島に来ませんかとある人に連絡しました。
そうしたら、こう返信がありました。

身辺で多事多難があり、メンタル面での不調が続いて、近々に「入院」することになりました。

連絡を取るのが遅すぎました。
もちろん私が会ったところで、事態が変わったかどうかはわかりませんが、やはり悔いが残ります。
入院前に会えるかどうか連絡したら、やはり無理のようです。
フェイスブックにはよく反応してくれていたので、気を許してしまいました。
退院したら連絡すると返信があったので、ともかくゆっくりと休養するように伝えました。
そのやりとりで、次の人に連絡するのが少し怖くなりました。
出ばなをくじかれると、また元の木阿弥になりかねません。

私が連絡する前に連絡が来た人もいます。
昨日のことですが。
同居されていたお母様を亡くされて、一人住まいの一年が過ぎました、と書かれていました。

この1年はいろいろとあったようですが、メールにはこう書かれていました。
1年間の発見を贈ってもらったような気がします。
それでほかの方とも分かち合いたいと思い、一部紹介させてもらいます。

「暮らす」を見直す機会となった経験から 最後自分らしい暮らし方を何とかカタチにしたいと考えていますが・・・。

人のカラダに埋め込まれた時のリズムが、経年変化を起こし、
いたるところに変調をきたしていることはほぼ間違いないところです。

古来、月の満ち引き、潮の干満(tide)が、カラダ内部の時(time)を刻む計り(measureやmeter)の原点でもあり、月(moonやmonth)が暦の月(mensis)につながることも学びました。

自分のカラダの声を聞き、カラダに埋め込まれた時をはかりにする、
あえてそんな「暮らす」スタイルが求められているようにも思います。

電灯の出現による夜昼逆転や、LEDライトを浴び続ける日常生活が
一滴一滴の水のしずくとなって生物体としてカラダに取り返しのつかない穴をあけているのです。
便利さを手放すことがもうできない私達が、戻るべきところは一体どこなのでしょうか。

とても共感できます。
最近私は、できるだけ太陽に合わせて寝起きをしようと心がけていますが、まあ実際にはほとんど無理の話です。

この方はわたしよりもかなり若いのですが、メールの最後にこう書かれていました。

佐藤さんの近くで耳をすませば、
カラダの時計はまだまだこれからと言っているように聞こえます。

今日は、これからまた気になる人に少し連絡を取ろうと思いますが、
いささか不安があります。

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■都政とトランプ政治よりも安倍政治をしっかりと報道してほしいです

最近のテレビ報道は、都政とアメリカの話題に覆われています。
日本の国政の問題は、中心にはなっていないようです。
都政もアメリカの国政も大切でしょうが、私にはそれ以上に国政の動きが知りたいです。
しかし、多くの人は、そうではないのかもしれません。
そこから感じられるのは、いまや政治さえもが消費されるべき事件でしかないのだということです。

豊洲問題や小池知事と都議会の対立はドラマのように面白い話ではあります。
しかし、豊洲などは最初から本来築地の転居先にはなり得ないところですし(だから面白い物語になったわけですが)、議会と首長の対立はよくある瑣末な話です。
しかし、そうした話題が、ニュースショー的な番組で面白おかしく。詳細に報道されていて、しかもそこにコメンテーターという人たちが事情通のような解説をしていますが、それがどうしたという話ばかりです。

アメリカのトランプ発言はどうでしょうか。
相変わらずマスコミやコメンテーターは、反トランプの偏見に基づいて、酷評していますが、私には、トランプ大統領がやっていることは、日本の国政に比べて、それほど大きくおかしいとは思いません。
むしろ、問題の原点に戻って考えるという意味では、健全ささえ感じます。
たしかに人種差別的な大統領令には、共感できないものも多いですが、それとて今の日本の安倍政権やかつての野田政権がやっていたことと、そう大して違わないように思います。
沖縄や福島を見ていると、そう思わざるを得ません。
トランプ政権を批判する前に、まずは自分の国の国政をきちんと報道してほしいものです。

アメリカの最高裁判事の人事まで、日本では大きく取り上げられていますが、そもそも日本の最高裁の判事のことなどきちんと報道したり話題にしたことなどほとんどないのに、何でアメリカの新しい判事の良し悪しまで評価するのか、私には理解できません。
まあそうした都政とアメリカの政治に多くの人たちの目を向けさせている裏で、日本の国会は何を議論し、政権は何を進めているかが心配です。
沖縄はどうなっているのでしょうか。
共謀罪はどうなるのか。
安倍首相は海外に大盤振る舞いを続けていますが、国内の低所得者層にも少しは振舞ってほしいものです。
大学の学費の高さを知っているのでしょうか。
仕事がない若者たちの実態を知っているのでしょうか。
テレビももっとしっかりとした問題意識をもって取材し報道してほしいです。
ニュースはショーではないのです。

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