■節子への挽歌3464:叔母のことを思い出しました
節子
もう2月も終わります。
年賀状は出せなかったのですが、せめて2月中には年賀状をもらったみなさんには、元気ですと言う挨拶状を出したかったのですが、やはり出せませんでした。
その気になればできるはずですし、実際に何枚かは年賀状代わりの寒中見舞いも書いたのです。
でもなぜか出状する気にはなれませんでした。
どうせ出すのであれば、一部ではなく、みんなに出したいという思いのためです。
節子も知っている、私の叔母が、ある年の年賀状に、これを最後に年賀状をはじめとして手紙を出すのをやめるということが書かれていました。
遠方に住んでいることもあり、節子はあまり会ったことはなかったのですが、なぜか敬意を感じていた叔母でした。
今にして思えば、その叔母の気持が少しわかる気がします。
叔母は、たぶん自らの社会的余命を感じたのかもしれません。
人と付き合うということは、それなりに責任の発生することですから。
もっとも、私が今年、年賀状などをかけないのは、社会的余命を自覚したからではありません。
付き合っていく体力に自信がなくなったという気はしないでもありませんが、たぶんそれが理由ではありません。
自分でもよくわかりませんが、なんとなく書けないのです。
手紙だけではありません。
なんとなくできなくなったことがほかにもあります。
困ったものですが。
ところで、叔母と節子の話ですが、これを書いていて思い出したことがあります。
たぶん病気になる前だったと思いますが、節子の投稿が朝日新聞の「ひととき」に掲載されたことがあります。
手紙を書かなくなっていた叔母から手紙が来ました。
あの投稿は節子さんのではないですかという内容でした。
節子はとても喜んで返事を書いたと思います。
その後、節子は発病しました。
そして手術後、また「ひととき」に投稿しました。
節子はもしかしたらまた叔母がそれに気づいてくれることを願っていました。
しかし、残念ながら叔母からは手紙は来ませんでした。
叔母との交流は途絶えていましたので、叔母の消息も分かりませんでした。
いまもわかりませんが、久しぶりに思い出しました。
叔母といっても、かなり遠縁の叔母で、私の母が付き合っていただけで、他の親族との付き合いはない人だったのです。
節子はたぶん彼岸でその人に会っているでしょう。
いや、会えているといいのですが。
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