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2017/02/02

■節子への挽歌3433:寒風と陽光のもとでのリトリート

節子
うっかりして鍵を忘れて外出し、帰宅したら鍵がないので入れなくなってしまいました。
それで外出していた娘に電話して、鍵を届けてもらいましたが、
届くまでの30分ほど、庭のいすで本を読んでいました。
今日はとても寒い日なのですが、幸いに庭は陽当たりが良いので、何とか持ちこたえられました。
凍死する前に娘がカギを持ってきてくれました。

ところで、その寒さの中で読んでいたのは、ティク・ナット・ハンの「ビーイング・ピース」です。
歯医者さんに行っていたのですが、待たされたら読もうと思って持参した本がポケットに入っていたのです。

ティク・ナット・ハンは、平和活動をしているヴェトナム出身の禅僧です。
私は昨年、テレビで知ったのです。

その本はこう書きだしています。

人生は苦しみに満ちています。 しかし、人生にはまた、青い空、太陽の光、赤ん坊の目といった、素晴らしいことがいっぱいあります。 苦しむだけでは充分ではありません。 苦しむばかりでなく、人生におけるさまざまな素晴らしいことと、つながりをもつべきです。 素晴らしいことは、私たちの内にあり、まわりのどこにも、いつでもあります。 みずからが幸せで平和でないならば、愛する人たちや、同じ屋根の下に住む人たちとさえ、平和と幸せを分かちあうことができません。 平和で幸せであるならば、私たちは微笑し、花のように咲き開くことができます。 家族全員、社会全体が、私たちの平和の恩恵を受けます。

このころ、私もこういうことがわかるようになってきました。
それは節子との別れと無縁ではありません。
節子がもし今も元気だったら、私はこうしたことを頭の中だけの考えにとどめていた可能性が否定できません。
頭の中だけの考えであれば、あるいは知識であれば、こういうことはずっと持ち続けていました。
しかし、それが実践できていたかどうかはあやしいものです。
もちろん節子だけのおかげではありません。
節子がいなくなってからの10年は、多くの人に迷惑をかけ、多くの人に支えられながら、生きていますから、その過程で、頭の中の考えが実践につながりだしたのです。

ティク・ナット・ハンは、さらにこう書いています。

みずからと共にいることに、私たちは慣れていません。 まるで、自分を嫌い、自分から逃れようとしているかのように、ふるまいます。 瞑想は、みずからの体、感情、心、さらには世界で、何が起こっているかを、はっきりと知ることです。

そして、そのために、時々はリトリート、すなわち、心の集中の1日を過ごすのもいいというのです。

「みずからと共にいること」というフレーズには、もう一つの思いを持ちましたが、それはいつか書くとして、リトリートを心がけようと思いました。
そして、鍵が届くまでの数分、寒い中で、しかしあたたかな陽光の中で、青い空を見ながら、ミニ瞑想を行いました。
最近、いささか苛立っている自分に気づいているのですが、少しその苛立ちがおさまりました。
リトリートサロンを、一度やってみようと思います。

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