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2017/02/26

■節子への挽歌3461:3つ目の幸せ

節子
昨日、大西さんのカンナちゃんに会いました。
大型犬ですが、もう14歳。
しばらく姿を見なかったのですが、階段でない平地であれば、ゆっくりと散歩もできるのだそうです。
大西夫妻からすごく愛されているのでしょう。
元気そうでほっとしました。
大西さんとゆっくりと散歩している姿を見て、節子と一緒に散歩していたことを思い出しました。
ちょっとした坂さえも、節子はゆっくりとしか進めませんでした。
家から50メートルほど先までの往復に、10分もかかったことがあります。
しかし、節子はそれでも散歩に出かけたいと言いました。

昨日と同じように、今日も散歩ができるというのは、その頃の節子にとっては最高の幸せでした。
毎晩、眠る前に、節子は、「今日もいい1日だった」と感謝し、明日もまた「今日のようでありますように」と祈りました。
変わらないことが節子の平安だったのです。
しかし、私にはまだ、その頃でさえ、「治ること」が幸せだったのです。
落ち着いて考えれば、奇跡でしかなかったのでしょう。
なんという欲深さ。
欲深さは、世界を見間違えさせます。
私には、節子が見えていなかったのかもしれません。

明日が今日よりもよくなることを願う幸せと明日も今日のようであることを願う幸せ。
2つの幸せがある。
最近、ようやくそれが自らのこととしてわかるようになりました。
しかし、残念ながら、明日は今日とは違ってきます。
自分は変化しなくても、まわりはどんどん変化していく。
それをとめることはできません。

この状況をつづけたいと思うような幸せを体験してしまうと、先にある別の幸せを願うことは、難しいでしょう。
守りたい幸せがあまりにも大きいからです。
幸せの体験が、逆に別の幸せへの願いを封じてしまうでしょう。
いまの幸せを超える幸せを願うことができる人もいるでしょうが、私には想像さえできません。

私にとって、行きついた幸せは、節子との平凡な日々でした。
正確には、それは行きつく前に壊れてしまったのですが。
しかし、節子は、ゆっくりと散歩するようになったときに、もしかしたら、その平凡な幸せに行きついていたのかもしれません。

いまの幸せでも先の幸せでもなく、かつての幸せのなかで生き続けることもまた、3つ目の幸せかもしれません。

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