■節子への挽歌3453:魅力的な人たちその2
昨日はもう一人、魅力的な人に会いました。
その人も昨年秋ころに出会った人ですが、昨日が3回目くらいでした。
私よりも年上で、私と同じく、伴侶を亡くされています。
いまは会社も辞めて、たぶん悠々自適なのでしょうが、後輩や仲間のために、活動をしています。
私と違って、経済的にも余裕があるそうで、私はいつも食事をご馳走になってしまいます。
昨日も肉の万世でランチを、そしてコージーコーナーでケーキと紅茶をご馳走になりました。
まあ食事をご馳走になったから魅力的だということではありません。
その人の生き方が、実にさわやかなのです。
最初は、もしかしたら伴侶を亡くして人生を投げているのかとさえ思ったのですが、そうではなくて、それがその人の生き方のようです。
すべてを受け容れ、想いきりいい加減に生きているようで、芯がある。
周りの迷惑など気にしないほどに自分の人生を生きているのに、過去のことには愚痴をこぼさない。
私と同じく、もうさほど先がないのに、先を見て生きている。
話していて、実に気持ちがいいのです。
高齢者と話していて、これほど気持ちのいい時間を過ごせることはそう多くはありません。
一緒にいるとどこかホッとするのです。
その上、ご馳走までしてくれる。
イヤイヤつい自分でも意識していない「本音」?がでてしまったのでしょうか。
やはりちょっと食事で買収されているかも知れませんね。
困ったものだ。
昨日は帰り際に、その人も「佐藤さんとあっているとホッとするね」といわれました。
どこか相通ずるところがあるのかもしれません。
つまりお互いにバランスはとれているのです。
そういえば、昨日会った先住民の世界に魅かれている人も、帰り際に会えてよかったと言ってくれました。
こういう出会いが多いと、人生ももっとワクワクするし、もっと心安らかになるでしょう。
しかし、人は誰もがそうした面を持っているはずです。
昔のように、私ももっと感受性と理解力を高めなければいけません。
節子がいた頃は、だれにでもワクワクすることを見つけられていた気がします。
私もかなり老いてきたのでしょうか。
これこそが困ったことかもしれません。
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