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2017/02/11

■節子への挽歌3448:葬儀の記憶

節子
今日は私の父の命日です。
同居してから10年もたたなかったのですが、父を自宅で看取りました。
葬儀も自宅で行いました。
私も節子も初めてのことでしたが、当時はまだ自宅での葬儀が多かったような気もします。
お通夜はすごい寒い日で、凍えそうでした。
会社の仲間が手伝いに来てくれましたが、わけのわからないまま、終わった気がします。

母の時は、お寺で葬儀をしてもらいました。
節子が段取りをつけてくれたと思います。
そのせいか、私にはあまり記憶がありません。

つまり2回も喪主として葬儀を行いながら、ほぼすべてを節子に任せていたということになります。
そして、節子の葬儀。
流れに任せてしまい、結局、葬儀社で葬儀をする結果になりました。
節子は自分の友人たちを中心にした小さな葬儀を望んでいたと思いますが、私の友人が一部の人たちに訃報を流してくれたので、NPO関係の人たちがたくさん来てくれました。
手伝ってくれたのも、NPO関係の人たちでした。
節子が望んでいたのとはちょっと違ったものになってしまいましたが、たぶん節子も喜んでくれたはずです。
私も、想いを話すことができましたし。

父の葬儀の時には、子どもたちにも後で見せようと思い、葬儀の風景を撮影するようにしておきました。
父の死に顔まで記録に残しましたが、葬儀が終わった後、すべてを消去しました。
あの頃はまだ、死を観察する側にいたから、たぶん撮影ができたのです。

ちなみに、節子の両親の葬儀も体験しています。
いずれも自宅での葬儀ですが、義父の葬儀は印象に残っています。
雪の日でしたが、まだ土葬の時代で、みんなで行列をつくって、お墓まで行くのです。
先導は子どもで、私の娘のユカが白装束でその役を担いました。
ジュンは生まれたばかりだったので、私の義姉に預かってもらっていました。

義母の葬儀は全員で行きました。
節子はすでに発病していましたが、微塵もそれを見せずに、場を明るくするようにふるまっていました。

自宅とお寺と葬儀社のホール。
そして信仰深い浄土真宗の時間をかけた在所の人たちが参列する葬儀。
いろいろと体験しましたが、やはり一番よかったのは、自宅かもしれません。
私の場合は、自宅でのそれこそ内輪の家族葬ができるように、準備をしておきたいと思います。
彼岸から節子もきっと参列してくれるでしょうから。

父の葬儀の日ほどではないですが、今日も寒いです。
父が逝ってから30年。
前にも書きましたが、今年はわが家には少し不安がある年なのです。
今年は例外にしてもらうように、お祈りさせてもらいました。
そのお祈りをしたせいか、今日は朝から私の調子があまり良くありません。
今日はゆったりと休養をとろうと思います。

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