■節子への挽歌3451:読書時間が増えました
節子
昨日は、挽歌を書いた後、本を読んでしまいました。
図書館に頼んでいた本が届いたのです。
井出栄策さんの「経済の時代の終焉」です。
先日お会いした室田さんが、井出さんの話をしていたのですが、その関係で読んでみる気になったのです。
ちなみに、以前、井出さんの軽い本は読んでいるのですが、きちんとしたハードカバーを読むのは初めてです。
経済学者の本は、読んでいつも失望しますので、あまり読みたい気はなかったのですが、室田さんにサロンを開いてもらうことにしたので、読んでおこうと思ったのです。
昨日は、とりあえず序章だけを読んでみようと思ったのですが、それが面白くて、結局、夜中までかかって読了してしまいました。
井出さんへの印象が変わりました。
まあそれは挽歌とは関係ない話なのですが、最近読書する時間が増えてきています。
若い友人の一人が、私は本を読めさせすれば幸せなのだと話していましたが、その気持ちも少し最近わかってきました。
本の世界は無限に広いですから。
それに、本の世界では自分が主役になれますし、人間関係やコミュニケーションミスに煩わされることもありません。
現実から逃避しているのかもしれませんが、本は読めば読むほど、読みたいことが広がっていきます。
その気持ちは、若いころを思い出させてくれます。
世界は知れば知るほど広がっていく。
いかに知らないことが多いことか。
そう思うと世界は輝きだします。
どこに行っても、発見がある。
節子も私も、そんな時期がありました。
一緒に暮らしだした時の、新鮮さが思い出されます。
私が一番本を読んだのは30歳前後の頃だったでしょうか。
大学時代はそれほどの読書家ではありませんでしたが、30歳前後に一番本を読んだような気がします。
読書量は減ったのに、書籍の購入が増えたのは40代でした。
当時は関心がある本は近くの本屋さんに届けてもらいましたが、多い時には段ボール箱で届けてもらっていたほどでした。
なにしろ私がお金を使うのは、書籍代くらいでしたから。
そのころ購入した本は、いまも読まずに残っている全集や講座が書棚の奥にあります。
書籍には悪い事をしてしまったわけです。
読書は伴侶の代わりにはなりませんが、どこか通ずるところがあるような気がしてきました。
私の読書の仕方が変わってきているのかもしれません。
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