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2017/02/09

■節子への挽歌3444:「最後」になるかもしれない会食

節子
兄夫婦と食事をしました。
今年になって2回目です。
節子がいなくなってからは、あまりなかったことです。
近くに住んでいますが、わが家と兄夫婦の家とは、「文化」が違うのです。
文化というと大仰ですが、生き方が違うと言った方がいいかもしれません。
仲が悪いわけではありません。

兄夫婦も80歳を超えました。
まあこれから先、何回、食事を一緒にできるかわかりません。
お互いにいつどうなるかわからない。
そろそろお互いに、「残された時間」をなんとなく感ずるようになっています。

先日、「おヒョイさん」こと藤村俊二さんが亡くなりましたが、あの報道を見ていて、私の生き方が少し変わったのです。
私は、懇親を深めるための会食があまり好きではありません。
そもそも懇親を深めるという概念があまりないのです。
一度でも会えば、私の場合は、それでほぼ深い関係(私からの一方的な思いだけではありますが)ができてしまいます。
敢えて、それを深める必要もないのです。
それに、昔話や他人のうわさ話が大嫌いです。
ですからテーマを持った話し合いを伴う会食は大好きですが、単なる雑談のための会食はあまり好きではないのです。

その上、美味しいものを食べるということにも、関心はありません。
ですから会食の誘いはいつもどうも気が乗らないのです。
しかし、今回はわたしからのお誘いです。
相手も戸惑ったかもしれません。
私らしからぬことなのですから。
相手にも迷惑かもしれないので、一応、気遣いして、我孫子では私が一番おいしいと思っているうなぎ屋さんに誘いました。
うなぎは、私のような生活レベルの人には、いまや「ぜいたく品」になってしまいましたが、いつも質素に生きていますので、たまには許されるでしょう。

うなぎ屋さんは混んでいました。
どうも私は、最近大きく社会から脱落してきているようです。
うなぎの美味しさから話は弾みました。
成田のうなぎ屋さんの話から京料理の話へ、そして京都の話へと広がりました。
来月、兄たちは娘家族も一緒に、みんなで京都に旅行に行くそうです。
みんなで行くのは最後だろうと言っていました。

最後という言葉が、抵抗なく往来するようになってきました。
今回は、娘も付き合ってくれました。
感謝しなければいけません。

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