■節子への挽歌3450:苦楽を共にする伴侶がいてこその人生
節子
昨日はゆっくり眠れました。
幸いに元気で眼が覚めました。
朝から大忙しでしたが、やっと自宅に戻ってきました。
今日はあたたかいので、パソコンに向かうことにしました。
パソコンはネットを通してさまざまな世界とつながっていますから、良いことも悪いこともパソコンを開いただけで飛び込んできます。
読み流しておけば、それで終わりますが、ちょっと反応すると、そこから何かが生まれることもあります。
それがパソコンの世界の面白さかもしれません。
しかし、きちんとコミュニケーションできる相手は決して多くはありません。
たぶん私もそうなのでしょうが、ほとんどの人が「書きたいこと」を書いてくるだけで、コミュニケーションが成り立たないことも少なくありません。
しかしピシッとコミュニケーションが成り立った時は気分がいいです。
今日はそんな体験もしました。
もちろんそうでない体験も、ですが。
私の体調があんまりよくないという話がどうも広がっているようで、「体調はよくなりましたか?」という言葉が添えられているメールが最近時々あります。
たしかに悪いといえば悪いのですが、まあこの歳になると、体調が悪いのも「健全」、つまり「正常」だと思っていますので、自分ではほとんど気にしていないのですが、そう思わせることは良くありません。
反省しなければいけません。
それにしても、人生は多事多難の連続です。
木枯らし紋次郎のように、「わっしには関わりのないこと」という人生を主義にしていても、あれだけ多事多難に関わってしまうわけですから、それだけの信条もない私が多事多難に苛まれるのは仕方がありません。
お金や権力でかたをつけたがる人が多いのもよくわかります。
お金も権力もない私のようなものは、逆に多事多難を楽しむようにしなければ身が持ちません。
残念なのは、そうしたことを共に楽しみ共に苦労する節子がいないことです。
苦楽を共にする伴侶がいてこその人生。
最近つくづくそう思います。
さてもう一仕事です。
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