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2017/02/09

■節子への挽歌3443:老いや死に対する、安らかな、落ち着いた境地

節子
朝起きたら隣家の屋根がうっすらと白くなっていました。
みぞれが降っていました。
今日は自動車で出かける予定があるのですが、いささか心配です。

昨夜、佐久間さんからメールが届いていました。
友人の青木新門さんが1月23日の読売新聞に載っていた五木寛之さんの「死を語る」での発言に大きな違和感を持っていて、それを青木さんがブログに書いたので、拡散してほしいという内容でした。
青木さんのブログと五木さんの記事を読みました。
青木さんのブログは、下記サイトの2017年1月27日の記事です。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~amitaabha/

私は、青木さんの意見に共感しました。

五木さんは、単独死、孤独死が、悲惨だとは思いませんと書いています。
もし悲惨という言葉を使うのであれば、私はそこに行きつく「生き方」こそが悲しいと思っています。
私は、孤独死しないような生き方に努めたいと思っています。
多くの人もまた、そう願っているのだろうと思います。
それは難しいことではありません。
隣の人に思いやりを持つだけで、実現できることなのですから。

また、五木さんは「老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地があるというふうに想像するのは幻想でしょう」と言っていますが、それにも大きな違和感があります。
私は、安らかな死は、人間にとっての基本ではないかと思っています。
それがおろそかにされてしまっている、私たちの生き方を見直す必要があると思っています。
それで昨年から、「看取りの文化を考える」シリーズのサロンを始めました。
今回は、小田原で30年前から福祉施設での看取りに取り組んでいる人に、自然に死に向かう生き方の素晴らしさを話してもらう予定です。

青木さんのフェイスブックにもそう書き込ませてもらいました。

しかし、なぜ五木さんは、老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地がないと決めつけるのでしょうか。
そんなにさびしい生き方をしているのでしょうか。
五木さんの仕事を手伝っていた黒岩さんが元気だったら、五木さんのことを教えてもらえたかもしれません。

五木さんが、救われることを祈ります。

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