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2017/02/24

■節子への挽歌3459:言語の違い

節子
昨日は久しぶりに川口のコミーの会社に行きました。
新しい施設をつくるので、それを見せてもらいがてら、少しはコミーの役に立てることがないかということで、お伺いしました。
コミーの会社では、私は「シューさん」で通っているようです。
「修」を小宮山さんが「シュー」と呼んでいるのが広がったのです。
今日もたぶん朝礼で私が行くことが社員に伝わっていたのだと思いますが、おかげでいろんな人に声をかけてもらいました。
コミーは誰に会ってもあいさつされる会社なのです。

施設を見せていただいた後、コミーの中心にいる3人と話しました。
私が役に立てることが、もしかしたら見つかりそうです。
さてさてやっと「恩返し」ができそうです。
しかし、3人と私の言語の違いを少し感じました。
小宮山さんとは、一見、言語が違うようで、通じ合えます。
お互いにまったく嘘がないので、安心して論争もできます。
しかし、ビジネスの世界にな場くいると、生活言語ではないビジネス言語に呪縛されがちです。

ちなみに、最近少しだけ小宮山さんの役に立ったことがあります。
小宮山さんは、いま、駅構内での事故を減らすためのミラー活用を考えています。
すでに西川口駅では、実験を始めていますが、それをベースに「最良のモデル創り」をしたいと言っています。
それに関して少しだけ役立ちつつあるのです。
まあそれに関しては、いつか報告できるでしょう。
しかし、最近のビジネスの世界の人には、小宮山さんや私のような発想はなかなか理解してもらえません。
いろんな人が絡んでいるので、ちょっとここでは書きにくいのですが、うまくいくかどうか、若干の不安はあります。

コミーの帰りに、まったく別の相談を受けるために湯島に戻りました。
引きこもり家族支援の仕組みづくりの相談です。
以前から相談を受けていますが、ここでも「言語」の違いがあって、なかなか前に進みません。
どうも私の言語は、時代から外れているのかもしれません。
私の言語が、自然に入っていったのは、節子くらいかもしれません。
もっともそこに至るまでには10年以上はかかっていたと思います。
最初は、言語の違いに気づけずに、いろいろと問題が起きました。

夫婦とは、言語を共にする関係ですが、それを支えるのは関係の溶解かもしれません。
女性の場合は、自分の産んだ子どもたちとの関係でそれができるのかもしれませんが、男性には難しいかもしれません。
思えば、夢のような40年でした。


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