■節子への挽歌3462:看取りを語り合うサロン
節子
昨日、湯島で「看取り」をテーマにしたサロンを開きました。
その報告は時評編に書きましたが、参加者の中には最近、親を見送った人が何人かいました。
その一人は、父親を見送ったばかりで、まだその事実を受け容れられていない様子でした。
彼女は看護師で保健師なので、たぶん多くの人にとってはうらやましいほどのケアを尽くしたと思います。
少なくとも私にはそう思われました。
しかし、彼女は、話しているうちに涙で声を詰まらせました。
その涙に誘われたわけではないでしょうが、別の人たちもまた、親の死を語りだしました。
語りたくても語れる場がない人が多いのかもしれないと、思いました。
自死遺族の方たちが中心になってのグリーフケアの会に参加させてもらったことがあります。
私は節子との別れについて語ったような気がします。
愛する人の死を語ることは、話すことではありません。
話をすると何かが生まれる。
まさに「思いを放す」のではなく、「悲しみや寂しさを形にして象る」ことができるのです。
時には、話を受け止めてもらった人の思いに触れることで、救われることもあるのです。
そういう意味では、自死も病死も事故死も、違いはありません。
看取り体験で学ぶことはたくさんあります。
しかし悲しいことに、学びに気づいた時には、遅すぎることも少なくないのです。
もし誰かの看取り体験を聴いていたら、もう少し早く気づけたかもしれない。
看取り方も変えられたかもしれない。
昨日、みんなの話を聞きながら、そう思いました。
看取りでの学びをもっと社会知にできないだろうか。
そんなことを考えていました。
それは難しくても、看取り体験を語り合う会はできるかもしれません。
ちょっとテーマが重すぎて、広がらないかもしれませんが、そんなサロンをやってみたいと思いました。
私はもう看取ることはなく、看取られる存在にしかなれないでしょうから、看取られ方を学ぶサロンになるかもしれませんが。
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