« 2017年2月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年3月

2017/03/23

■森友学園籠池理事長の証人喚問を見つづけてしまいました

森友学園の籠池理事長の証人喚問を朝からずっと見ていました。
なぜか籠池さんが好きになってきました。
この人は嘘はついていないのではないかと思い出しました。
マスコミの報道からはとんでもない人だと思っていましたが、どうもそうではなさそうな気がします。

ただし、籠池さんの教育方針や子どもたちへの対応にはまったく賛成できませんが、しかしそれを支持している人もいるわけです。
なによりも総理大臣でさえ支持しているわけですし、たぶん現在の政権を支持している国民も、本当は支持しているのでしょう。
私は籠池さんの考え方には生理的に体が震えるほどに嫌悪感を持ちますが、だからと言って、籠池さんの考えを抹殺したいなどとは思いませんし、ましてや籠池さんの見識をとやかくいうことはしたくありません。
社会はさまざまな考えの人がいてこそ、社会ですから。
ただ、こういう人が支持される社会は恐ろしいと思います。
つまり、籠池さんではなく、籠池さんを支持する人たち、例えば子供を園学園にいれる親たちやそういう学校を応援する政治家や資産家やオピニオンリーダーたちに嫌悪感を持ちます。

安倍首相や首相夫人が巻き込まれていますが、問題は安倍首相の名前を上手く活用して立ち回っている人たちや、安倍首相の名前にひれ伏して自らの我欲を果たそうとしている人たちが、たくさんいることに問題を感じます。
私も直接ではありませんが、かなり身近にそうしたことを見聞しています。
ある有力政治家の講演会の人は、その人に話をすると制度はすぐ変わるのでありがたいと言っているという話を聞いたこともあります。
そういう視点で考えると、籠池夫妻は、もしかしたらそうした邪悪な動きに振り回されたのかもしれません。

もちろん私は籠池さんは犯罪者だと思います。
詐欺とかそんな話ではなく、憲法違反者です。
憲法違反とも言える教育勅語を子どもに教え込むのは犯罪だと思います。
しかし、それをほう助していた人たちもまた裁かれなければいけません。
それをせずに、籠池さんだけを裁くのは、私には違和感があります。

証人喚問やその報道を聴いていて面白かったのは、質問者の人柄やテレビ局や解説者や国会議員の姿勢が伝わってきたことです。
自分で自分の首を絞める人もいましたが、それに比べて、なぜか籠池さんの表情は最初から最後まで、ずっと同じだったような気がします。
今日は、籠池さんと議員のやりとりを聞きながら、いろんなことを考えることができました。

EU、アメリカ、韓国につづいて、いよいよ日本にも大きな嵐が来るような気がします。

今日は1日、テレビを見てしまいました。
虚しい1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3489:健康診断の結果

節子
2か月前に受けた後期高齢者健康診断の結果をユカが聞いてきてくれました。
1月に、どこでどう間違ったか、うっかりして検査を受けてしまったのですが、結果を聞きに行っていなかったのです。
心配して、娘がついに聞いてきてくれたわけです。
結果は血圧と悪玉コレストロールだけが問題なので、まあ問題なしでしょう。
医師から、お父さんはちゃんと血圧の薬を飲んでいるかと訊かれて、娘は飲んでないようですと答えたそうです。
まあ遠藤医師も、「想定内」の話でしょう。
受診票ももらってきてくれましたが、質問への私の回答を見直していると、医師もモチベーションは下がるだろうなと思いました。
たとえば、「生活習慣を改善してみようと思いますか?」という問いには、「改善するつもりはない」と答えています。
「保健指導を受ける機会があれば活用しますか?」にも、私は「いいえ」と答えています。
そういう気ならば、健康診断など受けるなよと、遠藤さんは思ったかもしれません。
悪いことをしました。
後期高齢者としては、もう健康診断を受けるのはやめましょう。
もっと若い人に医療費は充当すべきです。

医療保険にも入っていないのですが、これは入ることにしました。
低所得者の場合、入院などで医療費がかかると大変なことを、前回の入院の時の同室者から教えてもらいました。
ちょっと矛盾しているような気もしますが、まあ娘たちに金銭的な迷惑をかけることは避けなければいけません。

総合判定は「要医療」になっていますが、まあ血圧だけでしょう。
しかし、170/100ですから、さほど高くはないと言っていいでしょう。
そういえば、数日前に、保健師でもある友人が、降圧剤を飲まないのであれば、水分を1日2リットル飲むようにとメールしてきました。
それで昨日から、お茶を盛んに飲むようにしましたが、2リットルは飲めません。
で、今日でやめることにしました。

生命は、自らが生きるために必要なことはたぶん自らで気づく存在だろうと思います。
生命の終わりも、たぶん自らで気づくのだろうと思います。
節子と過ごした最後の3か月を思い出すと、それがよくわかります。
私はまだ数年はどうも生きているようです。
交通事故や殺人事件や合わなければの話ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3488:賞味期限切れのコーヒー

節子
パントリーの奥から古いコーヒー粉の缶が出てきました。
賞味期限が2006年でした。
エスプレッソマシン用のものですが、たしかイタリア旅行に行った誰かのお土産です。
封は切られていましたが、ほとんど使われていません。
そういえば、せっかく購入したエスプレッソマシンも、2~3回使っただけで、いまはカバーをかけたままになっています。
今と違って、当時のエスプレッソマシンはあまり使い勝手がよくありませんでした。

いまでこそ質素に生きていますが、昔はこうした無駄がたくさんありました。
家族からも、使わないものを買いすぎると叱られていましたが、ついつい買ってしまうのが10年ほど前までの私の悪癖でした。
当時は、書籍もとても読めないほど書店に頼んで届けてもらっていました。
読んでいないシリーズの叢書が、いまもいくつかあります。

その反動で、いまはほとんどお金を使うことはありません。
書籍も、せいぜいが月に2~3冊しか購入せず、読む本はほとんどすべて図書館から借りています。
そんな質素な生活をしている立場からは、賞味期限が大幅に過ぎてしまったコーヒーも捨てるに捨てられません。
封が切られていないのであればいいのですが、悪いことに封があけられていました。
大きな缶ですが、ほとんど使った形跡がありません。
さてどうするか。

それで、思い切って飲んでみることにしました。
娘はやめろと言うのですが、捨てるのも抵抗があります。
エスプレッソではなく、フィルタードリップで飲むことにしました。
香りはほとんどありません。
苦味はかなりありますが、まあ飲めないことはない。
結局、マグカップで飲んでしまいました。
気のせいか、胃がぐちゃぐちゃになった感じです。
でもまあ、捨てるのも申し訳ないので、飲むことにしました。
当分は、あまりおいしいコーヒーを諦めて、毎朝、この10年以上前に賞味期限を過ぎたコーヒーを飲むことにしました。
そこまで節約をしなくていいのではないかといわれそうですが、そういう問題ではなく、せっかく作ってくれたコーヒーを捨てるのは申し訳ないという気分なのです。
ここまで飲まずに放置していた私の責任です。
しかし、毎朝、まずいコーヒーを飲むと、その日、後で飲むコーヒーはすべて美味しく感ずるでしょう。
人生と同じなのです。

やらなければいけないまま放置している課題があります。
今日こそ、手掛けようと思いながら、気が向きません。
もう2年以上、放置していることです。
このコーヒーのように、期限切れにならないうちに取り組みださなければいけません。
しかし、今日はやめましょう。
明日に延ばさないと、本当に胃がダウンしそうですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■カフェサロン「コスタリカのマイクロミル革命から学ぶこと」報告

昨日もまた刺激的なサロンでした。
コスタリカを訪問してきた熊本の宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所所長)に、コスタリカではじまっている「マイクロミル革命」を切り口に、さまざまな話を聞かせてもらいました。
コスタリカのコーヒーのファンの方も参加してくれました。

コスタリカといえば、軍隊のない国として有名ですが、治安のいい観光立国の国です。
コーヒーはコスタリカの基幹産業の一つですが、宮田さんがとてもおいしいコーヒーだというように、高品質で人気の高いコーヒーです。
今回も、宮田さんからいただいたコスタリカのコーヒーを愉しませてもらいました。

コスタリカのコーヒーは200年の歴史がありますが、大量生産型の産業化の中に飲み込まれ、生産者の多くはコーヒーの実(コーヒーチェリー)のまま大量処理する農協や企業に販売しているため、実際に汗している生産者の手にはあまり利益は残らない構造(これが最近の経済システムの実態です)になってきています。
そうした経済システムのなかでは、収穫後そのまま天日で乾燥させる手間暇かかるナチュラルコーヒーや標高の高い小規模の農園の生産者は、さらに不利な状況に置かれていました。
そうした状況のなかから、生産者自身(家族やグループ)で、小規模なミルを作り、栽培から乾燥まで一貫して、高品質なコーヒーを高い価格で売ろうという「マイクロミル」という動きが今世紀に入って広がりだしたのだそうです。
そうした動きを可能にしたのは、市場の変化もありますが、IT技術によって、消費者と生産者を直接結びつける仕組みが生まれたことが大きな要因でしょう。
実際に、日本でも最近はコスタリカ・コーヒーの愛好者は増えているようですし、函館でコスタリカのコーヒーを輸入販売している田中さんはコスタリカに農園をお持ちだそうです。
今回、宮田さんは、その田中さんの農園も訪ねて来られました。
消費者の好みに対応できるような、ブランディング化も進んでいるように思いました。
そういえば、宮田さんは、コスタリカではありませんが、ブラジルの「すずきさんちのコーヒー」をブランド化して輸入販売していますが、これもまたとてもおいしいので、ファンは多いでしょう。
「すずきさんちのコーヒー」がブランド化されるほどに、今や世界中の小さな需要を束ねる、いわゆる「ロングテイル戦略」が可能になってきているのです。

私の好みで長々と書いてしまいましたが、私はこうした動きに、世界の経済の大きな流れが反転する兆しを感じています。
経済は、これから大きく変わっていくでしょうが、多くの日本の大企業は私にはそうした動きとは真逆な方向に向かっていますから、ますます低迷していくでしょう。

ところで、昨日のサロンですが、珈琲の話からコスタリカの話はもちろんですが、フェアトレードや食料自給率の話、さらには「働き方」や「障がい者の生きづらさ」の話にまで広がり、とても刺激的なサロンになりました。
もっと聞きたいことがたくさんあったのですが、気がついたら予定の時間を大幅に過ぎてしまっていました。

宮田さんは参加者へのお土産に、熊本復興珈琲ドリップパック(コスタリカ・コーヒー)と熊本産の有機の柚子胡椒をお土産にくれました。
http://www.natural.coffee/items/3250909
湯島のサロンは、話に来てくれた人まで会費を払い、お土産までくれる不思議なサロンです。

宮田さん、
新たに参加してくださった4人のみなさん、ありがとうございました。

Miyata20170322


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/22

■節子への挽歌3487:20代の節子の写真が出てきました

節子
ジュンが本の中から節子の昔の写真が出てきたと言って持ってきてくれました。
一緒に暮らしはじめる前に、ふたりで東京に来た時の写真だと思います。

節子がいなくなってから、私はほとんど自分では過去の写真を見たことがありません。たぶんわが家のアルバムのどこかにも、この写真はあるのでしょうが、なぜかこの写真ははがきになっていました。
まさか誰かに出すために作られたのではないでしょうが、不思議です。
まあ、節子はそうした不思議なことを時々やっていましたから、節子らしいといえば節子らしいのですが。
それにしても、いかにも昭和の人という感じの写真です。
節子がいま見たら笑い出すでしょう。
しかし、当時の節子の雰囲気をよく表しています。

写真には、なぜか大きな荷物を持っていますが、この荷物は何なのでしょうか。
節子がいたら、この1枚の写真だけでも話が弾んだでしょう。
それができないのが、とても残念です。
写真は一人で見ていても、あんまり楽しくはありません。

でも人の顔って変わるものだなと思いながら、見ています。

Setuko3_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/21

■節子への挽歌3486:亜空間への通路はありませんでした

節子
行方がわからなくなっていた、手帳とメガネが無事戻ってきました。
彼岸にはどうも行っていなくて、私のすぐ近くにあったのに気づかなかっただけでした。
手帳は湯島の、メガネは自宅の、少し良く探せば見つかるはずのところに隠れていたのです。
亜空間に通ずる穴があるかもしれないと、ちょっとワクワクしましたが、今回もまた裏切られました。
いずれも出てきたのはうれしいのですが、なぜかあまりうれしくありません。
いやはや人生は退屈です。
駅に忘れ物探しを依頼したりしないで良かったです。

これまでも電車の中で、紛失したり忘れたりしたことは何回かあります。
一番の失策は友人からもらったワインを置き忘れてきました。
私はワインはほとんど飲まないので、拾った人が飲んでくれた方がよかったのですが、せっかく私に持ってきてくれたワインなので、それでは友人に顔向けができません。
それで駅の遺失物係に頼んで、見つけてもらい、かなり遠くの駅にまで取りに行ったことがあります。
カバンがなくなったこともあります。
その時は、実は友人が作成した企画書が入っていたので、かなり慌てました。
少しして、まったく知らない人から電話がきました。
酔っていて、間違えて私のカバンを持って行ってしまったのだそうです。
この時も、なぜか私が電車でその人が届けた駅まで取りに行きました。

だれにとっても価値のあるものを忘れたり落したりしても、拾ってくれた人が使えば無駄にはなりませんが、私にだけ価値のあるものをなくした時はいささかあわてます。
まあ、今回は他の人の名刺だけが心配だったのですが、無事戻ってよかったです。
お詫びの連絡をしないでよかったです。
誰にも知られずにすみました。
いやこの挽歌に書いてしまったので、読まれてしまったかもしれません。
うっかりしていました。

一昨日もブログを読んでいる人に会ったのですが、何でも書いてしまうのはちょっと考えたほうがいいですね。
しかし、いまさら、この生き方は変えられません。
それにもしかしたら、節子も読んでいるかもしれませんし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■企業サロン「働き方を考える」の報告

第2回企業サロンは、組織と働きがい研究所代表の斎藤智文さんに問題提起してもらい、「いまのような働き方・働かせ方でいいのだろうか」を話し合いました。
大企業の管理者の立場にある人、保健師や産業カウンセラーとして企業に関わっている人、大学でモチベーションや労働心理学を研究している人、経済団体でそうした問題にも広く関わってきた人、子どもの育児のために会社を辞めて主夫行をやったことのある人など、さまざまな立場の人が参加しました。
多彩のメンバーなので、話し合いは、かなり広がりました。

斎藤さんは、日本に“Great Place to Work”調査を取り入れた人ですが、組織と働きがいの研究や実践支援をライフワークにしています。
案内にも書きましたが、「社会全体の働き方に関する価値観」も変えていかなければいけないというのが、斎藤さんの思いです。
私もこれまでいろんな意味で、たくさんの示唆をいただいている人です。

まず、斎藤さんの考えていることや日本での働き方に関する動きの推移などをはなしてもらい、そこから話し合いになりました。
斎藤さんは、話し合いのきっかけとして、長時間労働や競争に参加するための働き方の変化、さらには労働の質の変化などの話題を出してくれました。
そこからいろんな話し合いが広がりましたが、もしかしたら最近の「働き方改革」が労働時間の問題を中心に語られているところにこそ、本質的な問題があるのではないかという議論がありました。
また、働き方改革は、消費者や生活者の生き方にも、つながっているという指摘もありました。
斎藤さんも、働き方は生き方の問題でもあると考えていますが、これは今回参加者のみなさんに共通していることでした。

斎藤さんはまた、「生産性を高めること」が働く人にとって苦痛であることが大きな課題ではないかと指摘しました。
私もそう思います。そもそも生産性向上とは何なのか。
そこで私は、その言葉の対語を考えることが大切ではないかと思いました。
あるいは、誰にとっての生産成果を考えることが必要ではないか。
湯島のサロンでも一度問題になったことがありますが、工業の視点からの生産性と日本の伝統的な農業の視点からの生産性は、たぶん違います。
ちなみに、私は「生産性向上」の対語は「人間性(生活)向上」だと思っています。

大企業の方が、自分の職場で取り組んだ、実践的な話をしてくれました。
組織に合わせる仕事の割り振りではなく、社員に合わせた仕事の組み替えによって、経営にとっての生産性と個々の社員にとっての生活のしやすさが両立し、双方にとってのウィンウィン関係が実現したという話です。
働き方と働かせ方が、あいまって双方に好ましい結果を生み出したわけです。
もっともこの話には後日談があるのですが、そこに大きなヒントがあるのではないかという話も広がりました。

他にもいろんな話が出ましたが、私にはとても刺激的なサロンになりました。
大企業の経営管理職の人の参加が少ないのが、とても残念ですが、引き続き継続したいと思います。
できれば次回は、世界に広がりだしている、話題のBコーポレーションの認定を受けた会社の社長に話題提供してもらおうと思います。
そういうテーマだと大企業の人も参加しやすいでしょうから。
彼が引き受けてくれれば、の話ですが。
いずれにしろ日本の企業経営は、私の目から見ると時代の流れに逆行しているように思えてなりません。

ところで、斎藤さんのレジメの中に、こんなことが書かれていました。
「変化を拒絶するので、よい習慣が身に付かない」
「いつも通りを維持したがるので、悪い習慣が止められない」
ここに問題の本質があるような気がしました。

そこで最後にこんな提案をさせてもらいました。
アメリカでは30年程前、ロバート・ベラーを中心としたグループが、社会的な活動をしているさまざまな人たちにインタビュー調査をし、それを踏まえて、極めてライブな「心の習慣」「善い社会」をまとめました。
それをモデルに、日本でもその種の調査があり文献も出ています。
いまもその種の取り組みはあり、私も一昨年、インタビューを受けたのですが、同じような手法をベースに「日本人の働き方」をテーマに、社会調査をするプロジェクトを起こせないかという提案です。
斎藤さんには事前に少しお話をしていて、興味を持ってもらっていましたが、その提案をしたら、早速、数名の方が一緒にやりたいと言ってくれました。
できれば一度、そうしたことを考えるチームも発足させられればと思っています。
企業サロンから生まれたサブプロジェクトですが、関心のある方はご連絡ください。


Saitousalon


| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3485:生涯現役とPPK

節子
連日のサロンやフォーラムでいささか疲れました。
というよりも、昨日のサロンでまたやりたいことがいくつか出てきてしまいました。
帰り際に、サロンに参加した大学院生から、佐藤さんは生涯現役なのですか、と訊かれました。
即座に、そんなことは全く考えていないと応えました。
他者から見ると、どうもそう見えるようですが、そもそも私は「現役」という概念が理解できません。
人は、いつでも「現役」です。
たとえ寝たきりになろうとも、です。
節子は、息を引き取るまで「現役」でした。
勝手に「引退」させてはいけません。

もうひとつ、私の嫌いな言葉の一つが、「ぴんぴんころり」、PPKです。
これほど不真面目な言葉はないと思っています。
人は最後までみんなに迷惑をかけながら、生きるのがいい。
そもそも「生きる」とは、人に迷惑をかけることです。
その意識は普段あまり持っていませんが、死ぬ前くらいは、それを強く意識して、人生を顧みたいと思っています。

それにしても、現世には面白いことがどうしてこんなにあるのでしょうか。
私のような、生きる気力が萎えてしまったものにさえ、死を延期させたいほどの面白い課題が山積です。
彼岸にも、これほど面白いことがあるのでしょうか。
それがちょっと気になります。

さて、明日もまた、サロンです。
テーマは「コスタリカ」。
いつもの常連はあまり参加しませんが、私の知らない人からの参加申し込みが数人あります。
また新しい出会いがありますが、新しいテーマ、やりたいことが、これ以上、出て来なければいいのですが。

今日は久しぶりに自宅でのんびりできそうです。
たぶん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/19

■節子への挽歌3484:またブログの読者に会いました

節子
今日は仲間と立ち上げたまちづくり編集会議(準備委員会)で「まちづくりフォーラム」を開催しました。
そこにある出版社の社長が参加してくれました。
名刺交換したのですが、なんと私のブログを読んでいてくれるのだそうです。
というのも、ある言葉に関してネット検索していたら、私のホームページかブログかに出会ったのだそうです。
当時、その言葉を使っていたのは私だけだったのだそうです。
どういう言葉だったか質問しましたが、もう覚えていないそうです。
ですからかなり前からの読者なのです。

以来、読んでくれているそうです。
もしかしたら、この挽歌も読んでいるかもしれません。
つまり、私のことを、もしかしたら私以上に知っているということです。
なにしろ、私はその時々の心情を、あまり考えもせずに書きこんでしまいますから、良くも悪くも本性がたぶん出てしまっているでしょう。
こういう人に会うと、冷や汗が出ます。

ところがなお驚いたのは、この方はなんと湯島の私のオフィスのすぐ近くにお住まいなのです。
今日も自転車で来たそうです。
またきっとゆっくりとお話しできることもあるでしょう。

ちなみに、その出版社の名前には記憶がありました。
私の書棚にも何冊かあるはずです。
と思って、私の友人の名前をだしてみたら、やはり友人が以前書いた本の出版社でした。
そこからその人の話になりました。
こんな風に、人はどんどんつながっていくものです。

もうひとつの出会いもありました。
北本市の市議会議員をやっている友人が、仲間を連れてきました。
なんと30年以上前にお会いしたことがある高橋さんでした。
当時私は、会社にいてCIというプロジェクトに取り組んでいましたが、その時に出会った方です。
私のことを過剰に褒めてくれましたが、こんな形で出会うとは思ってもいませんでした。

まあこういう集まりをやるといろんな出会いがあります。
そしていろんな物語が生まれます。

うれしいことに、今回は我孫子からも2人の参加者がありました。
我孫子の人はなかなか出てきてくれないのです。
それに以前、我孫子に住んでいたという人にも出会いました。
しかも、わが家のすぐ近くにです。
なんとなくうれしい出会いでした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/18

■節子への挽歌3483:不安感に寄生されてしまいました

節子
明日から用事でお墓に行けないので、今日、お墓に行ってきました。
もしかしたら、一昨日、こつ然と消えてしまったメガネが、お墓に舞い戻っているのではないかと思わないこともなかったのですが、当然のことながら、メガネはありませんでした。
彼岸の入りなので混んでいるかと思っていましたが、私たちのほかは一組だけしかいませんでした。
でも多くのお墓の花はきれいになっていました。
まだお墓参りの文化は健在のようで、うれしいです。

お線香をあげて、般若心経を唱えて、帰宅し、わが家の仏壇に報告しました。
いつもそうしているわけですが、これってどこかおかしいような気がします。
まあこだわることもないでしょう。

今日は、しかし、いろいろとまた大変な日でもありました。
ネットのおかげで、いまは情報が向こうから入ってくるのです。
考えなければいけない難問が、最近また多発しています。
別にやらなければいけないことではないのですが、言われたら対応しなければいけませんし、言われなくても対応したくなってしまうのが、私の性格のようです。
相手の立場がそれなりにわかってしまうので、気が動いてしまうのです。
しかし、それも考え物なのですが。
相手にとって、それがいいことだとは限らないのです。

それにしても、ゆっくりできる時間が最近ありません。
なにかに追い立てられている気さえします。
別にゆっくりしてもいいのですが、それができない。
どこかで気が病んでいるのでしょうか。
とても小さいのですが、どこかに「不安感」に寄生されてしまった気がするのです。

春が近づいたのに、畑にも行けません。
畑に行けば、不安感は解消するかもしれません。
しかし、畑に行く気が起きてこないのです。
どなたか私の不安感を安心感に変えてくれる人はいないでしょうか。
自分でやらないとだめでしょうね。
さて稀勢の里の相撲を見て、心を落ち着かせましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/17

■第1回まちづくりフォーラム「クラウドファンディングを活用して鎌倉のまちを盛り上げる」のお誘い

まちづくり編集会議という、ゆるやかなネットワークを立ち上げる準備をしていますが、
その準備委員会主催で、まちづくりフォーラムを開催していく予定です。
さまざまなまちづくり活動に取り組んでいる人たちのゆるやかなネットワークを育てていくことを目指す「まちづくり編集会議準備委員会」では、まちづくりに必要な「ヒト(担い手つなぎ)、モノ(コト:地域資源発掘)、カネ(資金調達)」について参加者と一緒に考えていくまちづくりフォーラムを予定しています。
今回は、その第1回目のご案内です。
直前のご案内ですが、もしよかったらご参加ください。
告知が遅かったためか、日程が悪かったのか、集客に苦戦しています。

ゲストに、鎌倉を拠点に全国のまちづくり活動を支援しているiikuni事務局リーダーの松本裕さんと「かまこん」のメンバーをお呼びして、地域クラウドファンディング(住民たちからの自発的な資金集め)とそれを支援するアイデア支援(知恵集め)の仕組みを紹介していただくことになっています。
併せて、参加者全員で、いま各地に広がりだしている、「かまこん」スタイルのワークショップを松本さんたちにやってもらう予定です。
なぜ鎌倉の地域クラウドファンディングはうまくいっているのかの秘密がわかるかもしれません。
http://kamacon.com/

まちづくりや地域活動で資金調達にお悩みの方、まちづくりに関心をお持ちの方、ぜひご参加ください。
なお、このフォーラムを通して、まちづくり活動の取り組んでいる人たちのゆるやかなネットワーク「まちづくり編集会議(仮称)」も立ち上げていきます。

〇日時:2017年3月19日(日)午後2時~5時(1時半開場)
〇会場:アカデミー湯島5階 学習室(文京区湯島2-28-14 TEL03-3811-0741)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1992
いつもの湯島オフィスのすぐ近くです。場所が違いますのでご注意下さい。
〇テーマ:「クラウドファンディングを活用して鎌倉のまちを盛り上げる『iikuni(イイクニ)』の取り組み」
〇ゲスト:iikuni事務局リーダー 松本裕さん
〇内容:1.カマコンバレーとは
    2.Iikuniの目的、基本的な仕組み
    3.運営の実際
    4.Iikuniの課題、今後の展望
〇進め方:講演とかまこん方式のワークショップを体験
〇参加費:1000円
〇定 員:30人
〇申込先:まちづくり編集会議準備委員会(佐藤修qzy00757@nifty.com)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3482:彼岸への穴

節子
昨夜、また不思議なことが起こりました。
寝る前にコンタクトレンズを外して、メガネをかけようと思ったのですが、メガネが見つかりません。
いくら探してもないのです。
朝、使っていたことは間違いないのですが、なぜか見つかりません。

実は昨日の夕方、手帳を探すために、山のように散らかっていた机のまわりを片づけたのですが、そのどさくさでどこかに行ってしまったのかもしれませんが、30分近くかかって、家じゅうを探しましたが、どこにもありません。
私だけならともかく、
娘にも頼んで一緒に探しました。
でも、ないのです。
実に不思議です。
そんな広い家ではないので、探す場所もないくらいです。

前にもこんなことがあった気がします。
その時の結論は、わが家には彼岸に通ずる穴があるということでした。
もしかしたら、またその穴が開いたのかもしれません。
そういえば、間もなくお彼岸です。
お盆ほどではないにしても、もしかしたらこの期間は、彼岸との小さな穴が生ずるのかもしれません。
そこに、手帳とメガネが落っこってしまったのかもしれません
困ったものです。

今朝、起きて、また探したのですが、やはりありません。
まあ私の生活空間は、私の活動と同じように、見事に散らかっています。
ですから、空間的には狭いのですが、探すのは大変です。
昨日片づけた時にでたごみの仲間で探しましたが、出てこない。
狐につままれたような気分で、今日はそれが気になって、また何もできなさそうです。
いっそのこと、彼岸に通ずる穴がもっと大きくなって、私がそこにすぽっと落ちてしまえたらいいのですが。
見つからない手帳とメガネだけでなく、節子に会えるかもしれません。
もしその場合は、この挽歌も今日で終わりです。
もしこの続きが書かれなくなっていたら、私が彼岸に落ちてしまったと思ってください。
落ち込む先が、地獄でないといいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/16

■節子への挽歌3481:物を失うことのないような生き方がなかなかできません

節子
またまた大きなミスをしてしまいました。
予定などを書きこんだ手帳をまたなくしてしまいました。
人生において3回目です。
これまでは、奇跡的に戻ってきましたが、今回は難しそうです。
それにしても、同じミスをこう繰り返すとは、困ったものです。
予定がわからなくなりましたが、誰かに迷惑がかからなければいいのですが。

しかし、毎日を誠実に生きていくためには、あまり先まで予定を入れるべきではありません。
個人で仕事を始めた時に、ある人からそういわれました。
個人で仕事をしていると、先の仕事の保証はありません。
ですから不安になって、予定をついつい先までいれてしまいたくなるのです。
それを、注意されたのです。
何か大事なことが起こったら、いつでも対応できるように、あまり先まで予定を入れるなということです。
それこそが、組織の制約から離れて自由に生きることではないか、と言われたのです。
それが実現できるようになるまでには、10年以上、かかりました。
しかし、いまは基本的にはあまり先までの予定は入れないようにしています。

むかし、台湾の友人が結婚することになり、夫婦で招待を受けました。
ところが、その日、私は約束していた仕事がありました。
仕事を選ぶか友人の結婚式を選ぶか。
いまなら躊躇なく、結婚式を選び、その仕事をキャンセルさせてもらったでしょう。
しかし、その仕事は私でなければできない仕事であり、信頼して私に任せてくれた相手には迷惑をかけられないと思い込んでいたのです。
結局、結婚式には行きませんでした。
まだその頃は、私の思考は切り換えられていなかったのです。
いまから思えば、相手の人と相談すれば、いかようにも対処できたはずです。

以来、動きの取れなくなるような約束は、せいぜいが1か月までにしています。
さらにその上、万一、その仕事よりも私にとって大切だと思うことが起きたら、その仕事をやめさせてもらうことにしています。
そんなわけで、私の手帳の予定欄は、せいぜい1か月先くらいまでしか埋まっていません。
ですから、手帳がなくなっても、まあパニックにはならないのです。

手帳に極秘情報が書かれているわけでもありません。
私の場合、ほとんどすべてのことを公開していますので、秘密などあろうはずもありません。
電車の中で思いついたアイデアや構想のメモを書くことはありますが、そんなものは書いて数日も経てば、無価値のものなります。
私の場合は、考えや構想はどんどん変わるからです。

手帳に誰かからもらったタクシー券が挟まっています。
しかし、これも問題ではありません。
私は都内ではタクシーに乗らないのです。
ですから10年近くも、使われないまま、手帳に挟んでいます。
誰かに使ってもらえれば、むしろうれしいくらいです。

しかし、今回は困った問題があるのです。
じつはその手帳に、先日、名刺交換した方の名刺が挟まっているのです。
さてさて、その方に迷惑がかからなければいいのです。

これからは名刺を持たないようにしようかと思い出しています。
持っていなければなくすこともない。
そういう考えで、私は財布を持っていませんので、財布を落としたことがないのです。

法頂さんの「無所有」の教えを思い出しました。
まだまだ失うものが、私には多すぎるようです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/15

■節子への挽歌3480:ハードな3日間でした

節子
いささかハードな3日間のため、また挽歌をさぼってしまいました。
13日は、朝の9時から夜の9時まで、いろんな集まりをやっていました。
最後の集まりは、京都の室田さんに頼んでのサロンだったのですが、16人も集まってくれ、とても刺激的なサロンでした。

14日は、ずっと在宅でしたが、山のように積もった課題の処理とともに、来週開催する4つのサロンやフォーラムの呼びかけで1日中、パソコンに張り付いていました。
もっともその間、長電話の常連3人からの電話があり、その対応も、いささか疲れてしまいました。
それにしても、来週は4つの集まりを主催するといった事態になってしまっていますが、一つを除いては、集客がほとんどできていません。
いささか気が重いのですが、まあどうにかなるでしょう。
しかし、夜までパソコン作業をしていたので、使えてしまいましたが、そういう時に限って、真夜中に目が覚めてしまい。眠れなくなってしまいました。
考えるべき悩ましい問題もまた、山のようにあるのです。
結局、眠れなかったので、午前3時からベッドで岩波新書を読んでしまいました。

そして15日。
今日は相談は1件だけですが、湯島に行きました。
かなり切実な相談です。
2時間ほど、相談に乗りましたが、集中しての対応だったので、ぐったりと疲れてしまいました。
時間的にはハードではないのですが、精神的には疲労困憊です。

とまあ、こんな感じで、この3日間、過ごしているのですが、余裕がない気分なのです。
明日は、少しゆっくりできるでしょう。たぶん。
電話がないことを祈ります。

でもこの3日間で、とても魅力的な何人かの人に出会えました。
きっと何かが始まるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/14

■カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」報告

カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」は、平日の夜にもかかわらず、16人もの参加がありました。
終了後も参加者同士の話が終わらず、みなさんの関心の高さを感じました。

前半では、室田さんが自らの保育園・子ども園で長年取り組んでいる「エピソード記述」によるカンファレンスを模擬的にやってくださいました。
まず、室田さんが用意した、保育士が書いたエピソード記述(背景・エピソード・考察から成り立っています)を読み上げ、それについて参加者が語り合うという設定です。
室田さんは、ファシリテーター役ですが、それぞれの意見に対して、気づきや思考を深められるように、問いかけをしたり、自分の考えを語ったりするのです。
模擬カンファレンスに先立ち、室田さんは、「間主観性」と「両義性」、あるいは「書くことは考えること」などという、「エピソード記述」の基本にある考え方を少しだけ話されましたが、そうしたことを抽象的にではなく、体験的に示唆してくれたわけです。
そこからさまざまな議論が展開しました。
そうしたなかから、人が生きる意味が、それぞれのなかに浮かびあがるという趣向です。
日々、子どもたちと誠実に付き合っている室田さんならではの発想だと思います。

話し合いの中では、室田さんのファシリテーションのもとに、具体的な感想が深掘りされ、言語化されていきます。
今回は、エピソードの書き手が、子どもから学んでいることに室田さんはやや重点をおいていたように感じますが、そこに室田さんが考える「子どもと保育士の関係」(さらには「親子関係」)を感じました。
教える保育ではなく、学び合う保育といってもいいかもしれません。
さらには、具体的な事例から、たとえば「私は私,でも私は私たちの中の私」というような、人の両義性といった普遍的な論点が可視化されていきます。

模擬カンファレンスでは、エピソード記述の、「かわいい」という言葉に、「かわいい」と言葉にした途端に思考停止になるのではないかという指摘がありました。
発言者自身も、保育士の資格を持ち、広い意味での保育活動に取り組んでいる若い女性ですが、現場感覚からの意見でしょう。
「言葉」が思考停止を生み出すという指摘に、私はとても興味を持ちました。

話し合われた話題はいろいろとありますが、いつものように、それは省略します。
生きた言葉を文字にすると、変質してしまうからです。
ただ報告者の特権として、私が一番興味を持ったことを書かせてもらいます。
それは、2人の男性が、エピソードの記述が「ふわふわした文章に感じた」「文章が長い」と発現したことでした。
それが悪いという指摘ではなく、そう感ずるということです。
私はそういう印象を全く持っていなかったのですが、言われてみるとその通りです。
発言はしませんでしたが、企業や行政という組織の中でも、こういう「ふわふわした長い文章」が主流になったら、世界は変わるだろうなと思いました。
そこでの文章形式は、その組織の文化を象徴しています。
効率性を重視する企業のなかの文章は、論理的で簡潔であることが重視されます。
でも、そこにこそ問題はないのか?
この議論は、いつかもう少し深めたいと思います。
とても大きな意味を持っていると思うからです。

エピソードによるカンファレンスの効用は、保育士の世界を広げ、コミュニケーションの力を高めると同時に、組織文化を高めていく効用があることがよくわかりました。
これは保育園に限らず、企業でも福祉施設でも、さまざまな組織で効果的な手法だと思いました。

「エピソード記述」をよく知っている2人の保育園長も参加してくれましたが、ほかの参加者は全員、「エピソード記述」未体験者した。
今回は、「エピソード記述」を多くの人に知ってほしいということが目的の一つでしたが、学童保育や高齢者に関わっている人たちが、自分たちの活動に取り入れてみようと考えてくださったのはうれしいことです。
しかし、話し合いが盛り上がったため、時間がなくなり、こうした活動を踏まえての室田さんの社会観がきちんと聞けなかったのがちょっと心残りでした。

後半は、そうした室田さんの社会観も含めた、「この国の未来」をテーマにしました。
室田さんの問題提起は、「近代をカッコでくくると、現代から近代的なものを差し引くことになります。いったい、何がのこるのでしょうか」という問いかけから始まりました。
そして、室田さんの展望が紹介されました。
これもまた刺激的なテーマでした。

後半が始まった直後に参加した久保さんが、フーコーの国家論まで言及したので、話が大きく広がってしまいましたが、自立とは何か、共同体とは何か、ガバメントとガバナンスといった話にまで行きました。
時間の関係で、これも話したりなかった人が多かったと思います。
私が少し話しすぎたことをとても反省しています。はい。

ところで、あくまでも私の印象ですが、前半と後半とでは話し合いの主役が違っていたような気もします。
前半は女性が主導、後半は男性が主導という雰囲気でした。
これも私にはとても興味深かったです。
大切なのは、前半のようなミクロな生活次元と後半のようなマクロな文化次元をどうつなげていくかかもしれません。

「ふわふわした冗長な」長い報告になってしまいました。
書いているうちに、いろんなことに気づいた自分に気づきました。
室田さんが言われたように、「書くことは考えること」だと実感します。

参加者が多かったため、十分発言できなかった方が多かったと思いますが、お許しください。
またいつか、パート2を開ければと思います。

201603131


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/13

■節子への挽歌3479:アサリの季節

節子
今年も福岡の蔵田さんから、自らが椎田の浜で採取したアサリをどっさりと送ってきてくれました。
寒い中をわざわざ海に行って、採ってきてくれたと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。
椎田のアサリは、それはそれは美味しいのです。
節子は残念ながら食べたことはありません。
蔵田さんのことは節子もよく知っていますが、蔵田さんが近くの浜でアサリが良く撮れる場所を見つけたのは、節子を見送ってからです。
ですから、節子は蔵田さんのアサリを料理する機会はありませんでした。

蔵田さんに電話をしました。
アサリが届くと春を感じますね、というと、蔵田さんもそうなんですよ、といつものように明るい声で応えてくれました。

蔵田さんは会社を定年退職後、ビジネスの世界をきっぱりと捨てて、福岡に奥さんと2人で出身地の福岡に転居しました。
いまは悠々自適の文化人の暮らしで、畑で野菜をつくったり、仲間と川柳を楽しんだりされています。
蔵田さんは、失礼な言い方になるかもしれませんが、邪気の全くない、子どものような人です。
蔵田さんほど、気の善い人を私は知りません。
私はいろいろと迷惑をかけたこともあるのですが、蔵田さんはそんなことを全く気にもしていません。

そういえば、蔵田さんが故郷に戻り、自らも料理もするようになったという話を聞いて、節子はエプロンを贈ろうと言い出しました。
それで節子と2人で百貨店に、蔵田さんご夫妻に送るエプロンを買いに行ったことがあります。
その時に、実は私用にもエプロンを買いました。
あのエプロンはどこにいったのでしょうか。
節子はすでに、発病していた時だったかもしれません。
それで、節子は私に料理を教えたがっていたのです。
自分がいなくなった後、私が自分で料理できるように、です。

残念ながら、私は料理がどうも苦手です。
最近は、それなりに一人で食事の準備をすることはありますが、蔵田さんのように、きちんとした料理づくりはできません。

節子が元気だったら、ふたりで蔵田さんのところに遊びに行けたでしょう。
一人では、なかなかいく気分にはなりません。
しかし、今年は一度、蔵田さんに会いに行きたいような気もします。
蔵田さんは私よりも年上ですので、お互いに元気なうちに会っておいた方がいいでしょう。
でもまあ、いずれ彼岸で会えるのですから、まああまり気にしなくてもいいかもしれません。

昨夜は娘がアサリを料理してくれました。
アサリは、私の大好物です。
蔵田さんに感謝です。
善い人と話すと、たとえそれが電話を通してであっても、幸せになります。
春は、もうそこまで来ています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/12

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔1〕

地震の前にはナマズが騒ぎ出すと言われていました。
3.11大地震の前にも、大量のクジラが浜に上がったり、馬たちが騒ぎ出したり、ということが確認されているそうです。
余計な知識に呪縛されずに、素直に生命が生きていたら、時空間を超えて、たぶんいろんなことを感ずるのだろうと思います。
人間においても、子どもたちは自然に素直に反応しているのでしょう。
彼らには邪気は感じられません。

私が、世界の地殻変動を感じだしたのは、1980年代に入ってからです。
年賀状などで、そのことを書いた記憶もありますし、当時、雑誌などに寄稿した文章にもたぶん残っているでしょう。
もちろん、それは予兆などではなく、世界経済や世界政治においては、大きな枠組みの変化がだれの目にも見えるようになっていた時代です。
しかし、どうもそうした制度的な変化ではない、パラダイム転換を感じていました。
「21世紀は真心の時代」という小論を書いたのは、そんな思いからですが、当時はまだ見えていませんでした。
http://cws.c.ooco.jp/magokoro.htm
大きな会社にいては、世界は見えてこないという思いもあって、会社という船から降りたのが1989年でした。
偶然なのですが、その年に、日本は昭和から平成に変わり、世界ではベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造は終わりました。
ちなみに、中国での天安門事件もこの年ですし、環境問題に火をつけたバルディーズ号の原油流出事故もこの年です。

東西冷戦構造は世界の構造原理の変質を示唆し、天安門事件は新しい対立軸を可視化しました。
バルディーズ号事件は、一株運動を広げました。
私の認識では、近代国家を要素にした世界の枠組みが変わりだしたのです。
対立軸は、国家対国家ではなく、国家を含む制度対個人としての人間へと変わりだしました。
同時に、人間にとっての自然の意味が変わりだした。

一つの象徴的な事件がアメリカで起こっています。
20年にわたって繰り広げられていた「オゾン戦争」の終結です。
1989年、世界最大のフロンメーカーだったデュポンが、フロンガスによるオゾン層の破壊を認め、フロン事業からの撤退を宣言したのです。
こうしたことに関しては、「広報・コミュニケーション戦略」(都市文化社)に寄稿した「企業変革のためのコミュニケーション戦略」に少し書いたものをホームページにアップしています。
http://cws.c.ooco.jp/communication1.htm

むかしのことを長々と書いてしまいましたが、私が会社を辞めて、社会への溶融を目指したのは、素直な生命的な反応だったような気がします。
以来、生き方は大きく変わりました。
そのおかげで、素直な生命力を、わずかばかりにせよ、取り戻せた気がします。
世界が素直に見えるようになってきたのです。
蛇足を加えれば、妻から学んだことも大きかったです。

世界の対立軸が変わりだしている。
その確信はさらに強くなりました。
しかし、世界はそうした流れに抗う揺り戻しや、対立軸の変化に伴う秩序の混乱によって、まさにさまよっている感があります。
そうした混乱の中では、さまざまな邪気がうごめきだします。
いまの世界を見ていると、まさにそんな感じがしてなりません。

世界がこのまま壊れることはないでしょうが、大きな転機にあるように思います。
そんなことを少し書いていこうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3479:「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」

節子
ホスピスの医師の小澤竹俊さんの書いた「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」という本を読みました。
そこにこんな文章がありました。


なんでもない今日に感謝できる人は、本当の幸せを知っている。
どんな成功の日々も、平凡な日常に勝らない。
ただ生きているだけで、十分に価値がある。

小澤さんは、「今日が人生最後の日」と想像したとき、わかることはたくさんある。
そのひとつが、日常というもののありがたさだと書いています。
このことはよく言われることですが、節子もまさにそう実感していました。
節子がいなくなってから、少ししてその意味が私もよくわかってきました。
頭ではもちろんその前からわかっていたつもりですが、数年たって、しみじみと実感してきたということです。

最近、死に関わる本を読み続けていますが、別に私自身が死を意識しているわけではありません。
むしろ、当面死ぬことをやめる決断をしたのです。
93歳まで生きることにしました。
かなり先が長いのですが。

なぜ93歳かといえば、前にも書いたことがあるかと思いますが、30年近く前に、ある人が私の運勢を京都の高名な方に占って来てくださったのです。
その人自身も、ちょっとその道にも通じている人なのですが、私と一緒に仕事をしていいかどうかを判断するためだったような気がします。
93歳まで生きるということが理由ではなかったと思いますが、私は彼の仕事の相談役的な形でかなり長く付き合いました。
そのプロジェクトはうまくいったので、いまは私の役目はなくなりました。

93歳を素直に守ろうかどうか迷うこともあるのですが、この数週間、なんとなく93歳まで現世に留まる気分が強まっています。
まあそんなに自らの生きる期間を勝手に決めていいのかどうか疑問もありますが、まあ決めておいた方が何かと都合がいいでしょう。

それではなぜ死の関係の本を読んでいるかです。
それは、看取るという文化が気になりだしたのがきっかけですが、いろんな本を読んでいるうちにますますわからなくなってきてしまい、読んでいる本に参考文献があるとそれをついつい読みたくなって、とまらなくなってしまったのです。
でもまあ、そろそろ打ち止めにしようと思います。

小澤さんが言うように、もし今日が「人生最後の日」だとしたら、死の本を読む必要はありません。
まもなく、体験できるのですから。
では、なにをするか。
その答えはなかなか難しい。
なぜなら、93歳まで生きることを決めてしまったからです。
小澤さんのメッセージを全く理解していない、悪い読者です。
困ったものです。はい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/11

■森友学園騒動に見る問題のすり替え

この数日、いやそれ以上、テレビは森友学園騒動で独占された感があります。
問題を発掘し、これほどまでの話題にし、森友学園の小学校を不認可に持っていったのは、森友学園の前理事長が記者会見で言っていたように、マスコミの力かもしれません。
しかし、私には、マスコミは、テレビも新聞も、いずれも森友学園を応援し、さらには政治家や官僚を守ったようにしか思えません。
昨日の、理事長会見を見ていて、改めてそう感じました。
記者会見会場にいた記者たちは、一方的な長い理事長の話をひれ伏したように聞いていましたし、報道ステーションはじめ、ニュースなども、その報道の仕方は理事長の意図を讃えんばかりのものでした。
私の誤読かもしれませんが、理事長の言い分だけを切り離して聞けば、彼は憂国の国士ではないかと思う人もいるでしょう。
鴻池議員の会見の一部だけを見た人は、彼に好意を持ったかもしれません。
籠池元理事長の奥さんと報道陣とのやり取りだけを見た人は、彼女がとても善意で無邪気な人に見えたかもしれません。
テレビ報道は、どの局面をどう見せるかで全く違ってきます。
理事長会見は、肝心の疑問解明に入る前に、籠池さんが滔々と持論を「情熱的に」語る部分だけを流しました。
呆れたのか、途中で放映を辞めたテレビ局もありましたが、長々と流していたテレビ今日のほうが多かったように思います。
さすがにその解説で、なんで記者は遮って質問しないのかと不満を公言する、たぶん同業の先輩記者もいましたが、同業者から見てもふがいない貴社ばかりでした。
報道すべきポイントが、まったく違っています。
完全に籠池さんの土俵に乗せられて利用された感じです。
情報時代には、情報の受け手がしっかりしていないと、相手の土俵に引き込まれてします。
情報時代とは、非情報社会、まさにポスト真実の時代なのです。

そもそも問題の本質はそんなところにあったわけではありません。
国家財産を私物のように扱う政治家や官僚、さらには公的な資格証明である自らの名前を安直に利用させるに任せておく有名人のあり方をこそ問題にすべきです。
もちろん、個人の問題ではなく、仕組みの問題として、です。
そこを変えていかないからこそ、繰り返し同じようなことが起こっている。
なにか、誰にでもわかりやすい問題に矮小化され、結局は何も変わらないという結果で幕引きになりそうです。

こういう結果をもたらしたのは、まさにテレビ関係者だと私には思えます。
テレビはもう少し取り上げるテーマはもちろんですが、取り上げ方をしっかりと考えてほしいと思います。
またキャスターは、映像の編集をもっと重視してほしいです。
視聴者は、話す言葉よりも、映像に影響されるのです。

森友学園騒動から解放されて、少しまたテレビを見る気が出てきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3477:東日本大震災から6年たちました

節子
今日は東日本大震災から6年目です。
節子が彼岸に行ってしまった後に起こったことですが、節子がいたらたぶん私の関わり方も大きく違っていたでしょう。
私にまだ正面から受け止める気力がありませんでした。
近くなのに、なかなか現地にさえいけませんでした。
現地に行けたのは1年以上たってからです。
その報道も、当初はなかなか受け入れられませんでした。

南相馬で見た集落の風景で頭から離れないものがあります。
海に近い集落のため、人家は跡形なく流されていました。
しかし、その上手の一画の墓地だけが、きちんと修復されていました。
バスから見た風景なので、私の見間違いかもしれませんが、自分たちの住む家よりも、先祖のお墓の修復を優先したのだと、私には思えました。
いや、もしかしたら、お墓だけは死者の力で守られていたのかもしれません。
幻だったのかもしれませんが、いまも頭の中に焼き付いています。

今日はどのテレビも、津波の再現やあの時の話が多かったです。
人の死を取り扱うテレビ報道番組は、私は苦手です。
どうしても違和感があるのです。
それはともかく、見ていて、生きることのもろさを考えてしまいます。
生と死を選ぶのは、ほんの一瞬のことなのです。
ということは、私もまた、いつ、その一瞬に出会うかもしれません。
そう思うと、死もまた日常という気になります。
しかし、死は決して日常なのではない。
普段は遠くにあって、しかし突然に出会うことになるのです。
そして、身近な人の死に出会うことで、死は全く違ったものになる。
それは、他者の死ではなく、自らの死なのです。
そこでは、自分と他者が溶解してしまっている。
節子の死は、私の死でもあるのです。
テレビで、キャスターが語っている死は、やはり観察的で、他人事として死を語っている。
だから、美辞麗句も多い、
私にはとても違和感がある。

私は、両親の死は素直に受け入れられましたが、なかなか受け入れられませんでした。
子どもの死の場合は、もっと受け入れられないでしょう。
そういう不条理の死が、大震災にはあまりにも多い。
しかし、それは当事者でしかわからない死です。
同情や感動などしてほしくないのではないか。
そんな気がしてなりません。

まあそんな理屈は横に置いて、私も黙禱しました。
そして、自然のメッセージをしっかりと心に刻みました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3476:大きく変わった人生をどう捉えるか

節子
時評編で書きましたが、広島の煙石さんの事件に対して、最高裁が無罪判決を出しました。
煙石さんの冤罪が晴れたわけです。
他人事ながら、うれしいことです。

しかし、無罪判決が出ても、煙石さん家族の人生は、大きく変わってしまったことでしょう。
一度傷ついた人生を戻すことはとても難しい。
さまざまな思いが錯綜していることでしょう。
煙石さん家族の平安を祈るばかりです。

話はいささか飛躍しますが、韓国の朴槿恵大統領が罷免されました。
朴槿恵さんは、父親だった朴正煕大統領が殺害された後、それまで一緒にやって来ていた人たちが離れていってしまったということを書いていました。
そのため、たぶん人間不信になっていたのではないかと思います。
いつもその表情は、さびしかった。
両親が殺害されたことで、彼女の人生は二度、大きく変わったわけです。
一度ならず二度、傷ついたといってもいい。
その深さは想像に絶します。
そこに、私はこだわっていますので、今の韓国の人たちのやりようには共感できません。

煙石さんや朴槿恵さんとはまったく事情は違いますが、私もまた、節子に先立たれることで、人生は大きく変わってしまいました。
変わった人生は、時間が癒すなどとは全く無縁な話です。
癒すとか癒さないなどいう話ではないのです。
変わったものは変わったものです。
問題は、その「新しい人生」をどう受け止め、どう生きるかです。
私の場合は、それをきちんと受け止め、いい方向に捕えることができるようになるまでに、10年近くかかりました。

そして今思うのは、人生には良いも悪いもない、ということです。
良いと思うか悪いと思うかだけなのです。
どんな体験も、良いと思えるような生き方ができれば、それこそ心は平安になれるでしょう。
私自身はまだまだ俗事に惑わされて、心は平安とは程遠いところにありますが、どんなことも「私にとって良いこと」と受け止めたいと思いながら、生きるようになってきています。
時に、大きくふらつくことはありますが。

煙石さんと朴槿恵さんの、心の平安を祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■煙石博さんの冤罪が晴れました

これまで何回か書いてきた、広島の煙石さんという元アナウンサーの方の訴訟の最高裁の判決がでました。
煙石さんは、66000円の窃盗の容疑で訴えられ、物証もなく、状況を知る限り、冤罪としか思えないのですが、有罪判決を受けてしまっていたのです。
昨日の最高裁の判決で無罪となり、冤罪が晴れました。
他人事ながら、うれしいことです。

この事件を知ったのは、広島の友人のおかげです。
広島の事件なので、最高裁に行くまでは関東圏では報道されることもなかったのですが、内容を知って驚きました。
警察の取り組み姿勢も含めて、まだこういうことが起こっているのだという、驚愕です。
私が中学生の時見た、八海事件を扱った映画「真昼の暗黒」を思い出しました。

冤罪を成り立たせているのは、司法制度にも問題がありますが、世間の関心の低さが、それを支えている面も否定できません。
多くの人がいまなお、司法の判断や警察の判断は正しいという前提で考えますから、自分ではきちんと考えようとしない傾向があります。
ですからいくら当事者が、あるいはその家族や友人たちが「冤罪」だと騒いでも、世間はなかなか耳をかしてはくれません。
それに、他人のそうした事件には関わりたくないという思いも、みんなどこかにあります。
ですから、冤罪はなくならないのでしょう。
そういう意味で、私にもまた責任があるわけです。

そういう思いもあって、このブログやフェイスブックなどに書きこんで、この事件の存在を私なりに広げてきました。
ですから、今回の無罪判決はとてもうれしいです。

実は昨日、このブログへのアクセスが急増しました。
その理由は、この判決でした。
話題になるとネット検索が増えて、私のブログにまでアクセスが増えるのです。
しかし、これも正直、ちょっと不安感もあります。
話題にならない限り、誰も関心を持たない。
話題になると過剰な関心を持つ。
それは結局同じことなのかもしれません。

マスコミの姿勢にも大きな違和感があります。
報道しても誰からも責められない事件を見つけると、最近の森友学園の事件のように過剰に報道する傾向が高まっています。
標的にされてしまうと、もう逃げようがないくらい執拗に追いこまれます。
世間もそれに同調して、そこに関心を集中してしまう。
その一方で、社会のさまざまなところで起こっている「小さな事件」は世間の目を逃れてしまう。
森友学園にまつわる事柄は、誰でもが「おかしい」と思うことですから、ただ罰して事態を質せばいいだけの話です。
ただただ詐欺罪として、あるいは官僚の背任事件として処理すればいいだけの話です。
ほんとうに恐ろしいのは、煙石事件のような話です。
私もそうですが、みんな最近は忙しすぎて、社会で起こっているおかしなことになかなか気づかないことが多い。
私は、そこに恐ろしさを感じます。

ちなみに、森友学園に関して言えば、マスコミは森友学園の見方であるような感じを私は受けています。
それに関しては、また別に書きたいです。

煙石さんの体験から、私たちは大きなものを学ばせてもらいました。
学んだことは、私も実行していこうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/10

■節子への挽歌3475:悩みもまた、幸せの大事な要素

節子
昔読んだ本の中で、國分功一郎さんがウィリアム・モリスの思想を発展させて、「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない」と書いていました。
それがとても気にいって、時々思い出します。
食べられるパンよりも、食べられないバラのほうを大事にしようという、私の信条の支えにもなるからです。
しかし、残念なのは、私の人生には今やバラがないことです。
いや、ほんとにバラはないのか。
ちなみに、湯島のオフィスの玄関には、湯島に来られなくなることを見越して、節子が最後に飾った造花のバラが、そのまま残っています。
またわが家の庭には玄関をはじめ、いろんなバラがまだ残っています。

ところで、最近、國分さんの「生きることはバラで飾られねばならない」とは違う言葉が頭に浮かび続けています。
「人は幸せだけでは生きていけない、悩みも求めよう」という言葉です。
「かわいい子には旅させろ」という言葉が、昔ありましたが、それと通ずるものです。
子どもにさせるならば、自分もしなくてはいけないということです。
そういえば、バラにもトゲがある。
幸せには悩みが付き物ということかもしれません。

いささか、いまの私の状況(幸せそうに見えても、悩みに取り囲まれているのです)の居直りや自己満足志向のような気がしないでもないですが、この言葉を繰り返し思い出していると、なんだかとても「良い言葉」のような気がしてきています。
自己暗示にかかっているのかもしれません。

先日ふと友人に、人とのかかわりがなければ、悩みも生まれない。嘘をつかない自然の中に隠棲したいよ、とつぶやいたのですが、それでは生きていることにはならないのかもしれません。
節子に会わなければ、節子に先立たれる不幸もありませんでした。
悩みがなければ、悩みを乗り越えたり解決したりする喜びは得られません。
もしかしたら、いまの私を支えているのは、「悩み」なのかもしれません。

悩みもまた、幸せの大事な要素なのです。
たぶん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/09

■節子への挽歌3474:20年前の講演を聴いてくれた人たち

節子
今日は朝からいろんな人たちに会いましたが、最初に会ったのが、節子も知っている大川さんです。
私の講演を聞いて、それが縁で、私が取り組んでいたNPO支援活動を手伝ってくれました。
とても個性的な人柄で、表現が難しいですが、不思議な性格です。
最初は、彼は人間ではなく、未来から来たアンドロイドではないかと思ったほどです。
彼がNPOの本を書きたいというので、私が関わっていたNPOの取材をしてもらい、本にしました。
出版費用は、ふたりで負担し、ふたりで売って、経費はほぼ回収しました。
以来、何か問題が起こると相談に来ます。
しばらく相談に来ないと、なぜか気になって、こちらから声をかけてしまいます。

私が知り合った時は、彼がアメリカ留学から帰国した直後だったと思いますが、以来、彼はNPOをテーマに調査研究などをしています。
自由人なので、どこか会社に入るでもなく、大学の講師をしながら、最小限のお金で生きています。
そろそろ自分の拠点をつくろうよと会うたびに行っていますが、ゆっくり行きますといつも言います。

その大川さんから、今日、なぜ彼が今のような生き方になったかを聞きました。
彼は証券マンでした。
やめるきっかけは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。
地震の後、被災地に行って、その凄さを実感したそうです。
地下鉄サリン事件も彼の通勤路線で、わずかの差で事件に巻き込まれなかったのですが、身近で感じたそうです。
その2つの事件が、大川さんの生き方を変えました。
一度きりの人生、自由に生きようという気になったのです。
そして今まさに自由に生きています。
お金をもらう仕事を軸にするのではなく、自由に生きるための最小限のお金を手に入れる仕事をすればいいということで、組織には属さない生き方です。
今日、はじめて彼からその話を聞いて、彼がアンドロイドでないという確信を始めて持ちました。
何とか応援しなくてはいけないと、改めて思いました。

最後に会ったのは、40人ほどの企業の社長です。
この人も、節子はよく知っています。
佐藤さんには中小企業のおやじの辛さがわからない。
講釈だけでは食っていけない。
などといつも私を批判するのですが、その一方で、私をずっと支援してもくれているのです。
時々、どちらかが起こりだしそうになるほどの言い合いになるのですが、なぜかしばらく会っていないと気になってしまい、どちらかともなく、声をかけてしまいます。

彼も今日、意外な話をしました。
利益だけではなく、会社の社会的価値を上げることが大切だと佐藤さんは言っていたと、私が昔話したことを覚えていてくれたのです。
今日はその相談でした。

これは偶然なのですが、帰宅途中にハッと気が付きました。
大川さんもその社長も、実は同じところで私の講演を聴いているのです。

その講演は、私の友人の大学教授に頼まれて、私の生き方と活動を紹介する内容だったと思います。
おそらくほとんどの人には、私の話は寝言のような話だったでしょう。
お金よりも大事なものがあり、お金がなくても幸せになれるという話でしたから。
しかし、そんな話を覚えてくれていて、いまも湯島に来てくれる人がいる。
そう思ったら、何か無性にうれしくなりました。

今日はいい1日でした。
2人のために、私も少しは役に立たなければいけません。
役に立てるといいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/08

■節子への挽歌3473:えっ!と驚く電話

節子
今日は驚かされる電話が飛び込んできました。
寄付の申し出です。
節子も知っている人ですが、ちょっと余裕ができたのでという電話がありました。
久しくお会いできていないのと、最近連絡も取れていなかったので、さぞお忙しくて、そこから抜け出られたので、電話をしてきたのだろうと思いました。
しかし、話しているうちに、その「余裕」とはお金であることがわかりました。
今までは「余裕ができるといろんなところに寄付していたそうですが、佐藤さんに相談すればきっともっと的確なところがあると思いついたのだそうです。
うれしい話ですが、これはかなり難しい話でもあります。
お金は、たとえ寄付といえども、相手を縛りますから、よほど注意しないといけません。
これまでも何回か、あいだに入ったことはありますが、それは数十万円の小規模のものでした。
今回はそれよりも少しまとまった額のようです。
佐藤さんが勝手に使ってもいいという話までされるのですが、それではますます責任が重くなります。
それに、私自身がいま借金している状況ですから、注意しないと私の個人的借金の返済に投入されてしまうかもしれません。
私の場合、あまり公私の区別がないのと、そもそもお金の管理が苦手なので、その危惧はたぶんにあります。
もし今、節子がいたら、大丈夫なのでしょうが、私一人では自信が持てません。
私に寄付してもらうのは、いまよりももっと仕事ができることになるのでうれしいですが、うまく活用しないと彼女の信頼を失うことになります。

少し考えさせてくださいと連絡しました。
うれしくもあり、悩ましくもある話です。

私は、お金はみんなのものという発想がどこかにあります。
そういう発想は、収入の少ないものにはとても好都合です。
節子もよく知っているTさんと食事をすると必ずと言っていいほど、彼がお金を払います。
10回に1回くらいは、私が出すこともありますが、あまりお金を持ち歩いていないので、高い時には支払い能力がありません。
そもそも、節子がいた頃は、何を買ってもなにを食べても、お金を出すのは節子でしたから、私にはお金を払うという文化があまりないのです。
ですから節子がいなくなった後、食事に行ってお金を払わずに店を出そうになったこともあれば、私が出た後、慌てて一緒にいた人が支払いをするというようなことがありました。
困ったものですが、お金から解放された生き方にあこがれる私としては、それを無理して直そうとは思っていないのです。
そんなわけでまわりの人たちには迷惑をかけていることでしょう。

さて寄付の話ですが、節子ならどういうでしょうか。
もう少し若ければ使いこなす自信はあったのですが、いまは悩ましい問題です。
せめて数十万円だといいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3472:高林ゲーム

節子
節子はお会いする機会がありませんでしたが、宇治で認知症予防活動に取り組んでいる高林さんから「魔法のことば」という小冊子が届きました。
高林さんは「認知症予防ネット」というNPOの理事長です。
認知症予防ゲームを広げようと、独自の工夫を凝らして、見事なゲームを生み出しています。
名前は「みんなの認知症予防ゲーム」。
この名前になったいきさつは、いろいろありますし、私も少し関わらせてもらっています。

全国に高林さんのシンパがいて、昨年12月に全国のゲームリーダーを開催したのですが、その参加者のアンケートの問いかけとその回答を小冊子にまとめたのが、送られてきた「魔法の言葉」です。
高林さんらしいスタイルと内容です。

高林さんはもう80代半ばです。
しかし、このゲームをやっているせいか、いまもなお若々しいのです。
常に前を向いています。
そしていつも笑顔です。

この歳になって、自分が生きてきたという確かなものがほしくなったという友人に会いました。
その人も他者から見れば、大学教授として活躍してきてますが、どうもそれではだめのようです。
私は、生きた証などにはまったく興味はないのですが、ある年齢になって、これまでの人生を振り返った時に、そんな気持ちになる人もいるようです。
その点、高林さんは見事なまでに足跡を残してきています。
高林さんが育て上げてきたゲームは、「高林ゲーム」と私は呼びたいと思いますが、高林さんの人生は、そこに凝縮されてきているのかもしれません。
高林さんのライフワークです。

人の生き方は、さまざまです。
節子がもし今も元気だったら、節子はどういう生き方をしていたでしょうか。

今日は寒いですが、太陽のおかげで、ちょっと気分が晴れています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/07

■節子への挽歌3471:とても寒い、重い1日

節子
寒い1日でした。
あまり体調が良くなかったのと昨夜の寝不足もあったので、予定を延期してもらい、1日、自宅で過ごしました。
それはよかったのですが、「死」に関する本ばかり読んでいました。
正確に言えば、「看取り」に関しての本や雑誌ですが。
図書館に行って、何冊か借りてきたのです。

窓口で、古い雑誌を探すように頼んだら、その人は面識のあるMさんでした。
3.11の後、福島に応援で2年ほど行っていた人です。
一度、わが家のサロンに立ち寄ってくれた人です。
Mさんも、福島の被災地でいろんなことを体験してきたはずです。
Mさんに限りませんが、みんなそれぞれにいろんな体験をしています。
そんなことを考えながら、何冊かの書籍や雑誌に目を通しました。

波平さんの「日本人の死のかたち」にはさまざまな死の物語が紹介されていました。
アルフォンス・デーケンさんの「死とどう向き合うか」にもまた、死に関わるいろんな話がありました。
3年ほど前の文藝春秋は、死に方と看取り方の特集がなされていました。
今日は、こういう本を午後、ずっと読んでいたのです。
さすがに気が沈んでしまいました。
ちょっと読みすぎました。
外は冷たい雨。
とても寒い、重い1日でした。
たまにはこういう日もあっていいでしょう。

不思議なことに、私には「死へのおそれ」の意識がありません。
節子を見送る過程で、あるいは見送った後に、「死へのおそれ」はすべて使い尽くしたのかもしれません。
死のおそれの実体は、もしかしたら「別れのおそれ」かもしれませんが、そうであれば、私には今やそれは全くありません。
娘たちとの別れも、私が去るほう、つまり看取られる方であれば、まったくと言っていいほど、恐れはありません。
それに多くの場合、親が先に逝くのは自然の理ですから、子どもにとっての喪失感は伴侶の死とは比べようもないでしょう。

そろそろ人生の締めくくり方を考えなければならないのかもしれません。
そう思う一方で、まだ自分はどこか「看取られる側」ではなく「看取る側」にいると考えている自分がいます。
人間とは、度し難いほどに、自分のことがわからない存在なのかもしれません。
今日はたくさんの死の話を読んだにもかかわらず、やはりどこかで他人事のような気がしているのです。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3470:不眠な日々

節子
昨日は寝つけずに、また夜中にも目が覚めてしまい、寝不足です。
先日テレビで報道されていましたが、3.11で津波を経験した人たちの多くが不眠に悩まされているようです。
不眠は、一度経験すると、その記憶が残ってしまいます。
今日は眠れないかもしれないという思いが浮かんでしまうと、まさにそうなってしまいます。
夜中に目が覚めても、またすっと眠りに戻れることも多いのですが、なぜか瞬間的に、眠りに戻れないような気が起こってしまうと、もう眠れません。
私自身は、節子がいなくなってから、良く寝たなあと思いながら朝、目覚めることはあまりありません。
ですから夜は、あまり好きではありません。

だからと言って、夜、起きているのはもっとつらいのです。
10時を過ぎたら、もう何かをやろうという気は起きません。
節子がいた頃には信じられないことですが、9時過ぎに就寝することもあります。
実際に眠るのは結局11時頃になってしまうのですが、ベッドで本を読んだり、テレビを見たりしています。
以前、9時過ぎに寝て4時半に起きるという友人の話を聞いて、よくまあそんな早い時間に眠れるなあと思ったことがありますが、今まさに私もそうなってきています。

眠れないといろいろなことが頭をよぎってきます。
それがますます眠れない状況にしていきます。
そういう時は、なぜか思考がマイナス方向に向かいます。
思考を切り替えようとしても、なかなかできません。
困ったものです。

今朝はまだ、そうした余韻が残っています。
心がこんなにも乱高下するのは、まだどこかで生き戻りをしていないのかもしれません。
アラビアの詩の一節を思い出しました。

人間は生きているあいだは眠っている。 死ぬときにようやく目覚めるのだ。
死ぬ前に目覚められるでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/05

■節子への挽歌3469:穴のあいたまま生きていくこと

節子
本を読んでいたら、こんな詩に出合いました。
ユダヤ人の抒情詩人マシャ・カレコ(1907~1975)の詩だそうです。
今日は、この詩を私の挽歌代わりに書いておきます。
10年前を思い出します。

自分の死はこわくない、こわいのは ただわたしの近しい人たちの死。 その人たちがいなくなったら、どうやって生きていけばいいだろう。 独り霧のなかで死の道の辺を手さぐりし、 いそいそと闇のなかへ自分をかりたてる。 立ちどまっているほうが歩くより倍もつらい。 同じ体験をした人ならよくわかる。  -それを耐えた人たちはわたしを赦すだろう。 考えてほしい、自分の死はただ死ぬだけのこと、 だが、ほかの人たちの死はそれをかかえて生きていかねばならない。
その本にはこんな文章もありました。
愛する人の喪失を意識から遠ざけようとしてもうまくいくものではありませんし、何か代わりになるもので補おうとしても完全にはできません。(大切なのは)穴を埋めることではなく、穴のあいたまま生きていくことです。

最近はそれに慣れてきていますが、時に無性にさびしくなることもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/04

■節子への挽歌3468:時代が大きく変わってしまった

節子
世間が何かと騒がしくなっています。
アメリカもヨーロッパも、歴史の流れが反転しようとしていますし、日本は反転した動きに乱れが出てきている感じです。
反転の反転はないでしょうから、反転が無秩序に破たんしていきかねません。
節子の挽歌を書いている時ではなく、世界の、あるいは人類の挽歌を書くべき気分になることも少なくありません。

それにしても、なぜ人は争い合うのか。
不思議でなりません。
今日も孫が来ましたが、その笑顔を見ていたら、人はそもそも争うこころなど持たずに生まれてきていることがよくわかります。
どこで何が変わるのか。
私には、孫の行く末は見られませんから、それがわかることはないでしょう。
しかし、どうして人は「善いこころ」を曲げてしまうのか。

節子は、とても清純でした。
よこしまなところなど全くありませんでした。
たぶん、あまり大人として成長していなかったということかもしれません。
ちなみに私は、いささかどころか、かなりのよこしまさを持っています。
ある時、節子に呆れられたことがあります。
その中身は忘れてしまいましたが、「頭のいい人の考えることは恐ろしい」というようなことを言われた記憶があります。
節子にとっては、私はとても「頭のいい人」だったのです。
まあ同時にかなり「ばかな人」とも思われていましたが。

それにしても、私たちが生きた時代は、おそらく幸せに生きられる時代だったのでしょう。
私が最近いささか不幸を感ずるのは、節子がいないだけではないかもしれません。
時代が大きく変わってしまった。
そんな気がしてなりません。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/03

■豊洲をめぐる石原元都知事の記者会見

石原さんの記者会見見ました。
痛々しい思いで。
問題をすり替えて小池知事を非難したところにみじめさを感じました。
しかし、豊洲移転の責任に関しては、同情したいところもあります。
知事は神様ではありませんから、すべてを知っているわけではありません。
記者会見で問われていた「知事の印鑑を誰かが押印した」ということも事実でしょう。
大きな組織ではよくあることです。
そして、一人の個人に責任がいかないように、有限責任の組み合わせで、大きな責任を個人に背負わせることなく大きな決断ができるというのも、組織制度の目的の一つです。
以前もブログに書きましたが、組織とは責任を分散させる知恵から生まれた制度ですから、責任の問い質し方に、私は違和感があります。
記者会見を見ていて、まさに弱い者いじめを見ているようで気持ちが悪かったです。
石原さんの勢いがあった時には何も言わずに、いじめても大丈夫と思ったら痛めつける。
悲しい話です。

都知事や副知事の責任は大きいでしょう。
しかし、それ以上に、私は都議会議員の責任が大きいように思えて仕方がありません。
前川さんから事情を訊いておけという質問もありましたが、石原さんに依存しないで記者自らで聴きだせばいいだけの話です。
それもやらずに、弱い立場になった石原いじめをしている記者が私には情けないです。

念のために言えば、私は石原知事時代に、きちんと声をあげなかった都民にも不信感があります。
週に何回かしか登庁しない知事を許していた都民やジャーナリズムが、いまさらなんだという気がしないでもありません。
おかしい時おかしいと言わなければいけないということを、改めて思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3467:孫の初節句

節子
今日はひな祭り。
孫の初節句です。
初節句には雛人形を贈るのが日本の習わしですが、最近はそれも変わってきているようです。
わが家でもその風習はやめて、節子が娘たちのために創った手づくりの木目込み人形の雛人形を贈ることにしました。
というよりも、娘がそう決めてしまったのですが。

私たち夫婦は、普通の結婚式もしなかったように、若いころは風習に抗っていました。
常識にとらわれずに、新しい家庭や家族を創りだそうという思いが、私に強かったからです。
いまから思えば、冷や汗ものですが、当時はかなり真剣に考えていました。
若気の至りとしか言いようがありませんが、いまはその咎を受けているような気がします。

そうしたいささか反伝統主義の考えは、10年くらいの試行錯誤の結果、見事に挫折し、むしろ反転した思考になりました。
伝統的な風習の中に、価値を見つけられるようになったのです。
しかし、もちろん伝統そのままではありません。
形よりも、その意味を大切にしています。
そして、「手作り」もまた、わが家のスタイルでは大切なことです。
わが家の仏壇に鎮座している大日如来も手づくりです。

そんなわけで、わが家にある雛人形は、ほとんどが節子の手づくりです。
木目込みだけではなく、いろんなスタイルがあります。
今回は、節子がジュンのために創った、木目込みの座り雛にしました。
孫の顔を見ることができなかった節子も、自分が創ったお雛様を通して、祝っていてくれると思います。

写真を撮るのを忘れていましたので、写真がアップできませんが、また写真が入手できたらアップします。

P1010976


| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「日本死ね!」ではなく「日本育て!」の姿勢を持ちたい

今朝も朝日新聞を開いたら、投書欄に「日本死ね!」の文字が出ていました。
とても暗い気持ちになり、朝食をやめて、これを書いています。

相変わらず新聞を開くと「日本死ね!」の文字によく出会います。
先日もそれについて書きましたが、暗い気持ちを払うために、フェイスブックに投稿しました。

保育園をおちたら、日本死ね!とヘイトする親の気持ちがまったくわからない。 それを取り上げる新聞やテレビの関係者の気持もまったくわからない。 子どもが育っていく社会に「死ね!」とヘイトする矛盾。 「日本死ね」ではなく「日本育て!」と思って、この社会を変える一歩を踏み出したい。 リンカーンクラブや湯島のサロンでは、それを目指して、一歩を踏み出す人を探しています。

最後の1行はいささか言いすぎですが、その思いには嘘はありません。
少子化が問題なのではなく、少親化が問題なのだろうという気がします。
保育士が足りないのではなく、子どもを育てる親が足りない。
保育園が足りないのであれば、今ある保育園をもっと多くの人でシェアしようとすればいい。
いくらでも方策はあるはずです。
そうしたことをしっかりと考える親たちが、少なくなってきているのでしょうか。

ちなみに、湯島では3月に保育関係のサロンを2つ開きます。
3月13日は、カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170313
3月25日はまちづくりサロン「保育力を活かしたまちづくり」
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170325
があります。
よかったらご参加ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/02

■節子への挽歌3466:「同質」と「異質」

節子
また武田さんと論争してしまいました。
節子がいなくなっても、相変わらず、お互いに一触破綻に近い論争は止まることはありません。
困ったものです。

今日も、民主主義を深化させる妙案が思い浮かんだと武田さんが電話してきました。
せっかくのアイデアをいつも否定されるけれど、まずは佐藤さんに伝えたいと言ってきたので、内容を聞くとけなしたくなると悪いので、最初に感想を言っておくよ、と言って、「それは素晴らしい案ですね」と伝えてから内容を聞きました。
残念ながら、相変わらず私にはまったく賛同しかねるアイデアでした。
そこで、いつものように、否定してしまいましたが、それから論争が始まったわけです。
30分も経つうちに、だんだん険悪になってきて、どちらかが電話を突然切ってもおかしくない状況になったのですが、幸いにお互い、死期が近いこともあって、つまり一度切れてしまうと修復不能になるかもしれないという自覚が生まれてきたこともあって、ぎりぎり何とか乗り越えられました。
しかし、お互いに発想の違いが、また明確になってきた次第です。
困ったものです。

考えの違いは、誰にもあります。
しかし、なんとなく同じなのに、違うというのが、悩ましいのです。
人は、自己充実志向と繋合希求性とを持つ両義的な存在だと言われます。
自分の世界に浸り切りたいと思いながらも、同時に他者とのつながりを求めてしまう。
それも、つながる他者は自分とは遠い人のほうが魅力的なのです。
しかし、同時に、異質であろうとどこかに同質なものがなければつながりようもありません。
そこが人間の面白いところです。
私と節子は、まさにそうした「同質」と「異質」が組み合わさっていたのです。

武田さんとも、どこかでつながっているのでしょう。
そうでなければ40年以上も付き合いはつづかなかったでしょう。
しかし、生き方も思考も、そして価値基準もむしろ真逆といった方がいいでしょう。

そういえば、昨日と今日、私のフェイスブックにコメントを書いてくれた一松さんも、私とはかなり考えが違います。
しかし、どこかでお互いに敬意を感じていて、つながるところがある。
これまた不思議な関係です。

武田さんと付き合わなければ、私ももっと平安の時間が増えるでしょう。
いや、武田さんばかりではありません。
ほとんどすべての人との付き合いが、私の平安の生活を乱しています。
こんなことを書くと大変傲慢に聞こえるでしょうが、みんなもう少し自立してよと言いたいことが山ほどあります。
他者と付き合うと、そういうストレスがどんどん積みあがっていく。
だからできれば、誰とも付き合いたくないのです。
友人がいなければ、どんなに平和だろうと思います。

しかし、そうしたストレスがあるからこそ、人生は退屈せずに、豊かになる。
それもまた事実です。

これからも武田さんはじめ、みんなと喧嘩をしながら、あるいは腹を立てながら、生きていくことになるでしょう。
そして、それこそが実は支え合う生き方、豊かな生き方なのでしょう。
もし節子がいまもいたら、どんなことになっていたか。
それが確認できないのが、残念です。
いまも夫婦げんかをしていたでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3465:「看取る」ということ

節子
時評編に書いたのですが、昨日、ちょっと思いついて、フェイスブックに「「看取り」という日本語に当てはまるような外国語をご存知の方がいたら教えてくれませんか」と問いかけをしました。
数名の方からコメントがありましたが、私の意図とは全く違いコメントでした。
それについても時評編に書きましたが、やはり「看取り体験」のある人とない人との発想の違いを感じました。
それは仕方がないことですが、改めて節子から学んだことの大きさを感じました。
ありがとう。

ところで、みなさんの書き込みへの返信を書いているうちに、ますます「看取り」ということに興味が深まってきました。
チベット密教のバルドゥのことは、この挽歌でも書きましたが、その時にはあまり深く考えていなかったのですが、いま考えると、その49日間で死者と遺されたものとの新しい関係の構築がそこで行われるのかもしれません。
つまり死者の生き返り儀式であり、実は彼岸への旅立ちではなく、次元を超えた新しい生の誕生儀式とも考えられます。
そこでは、生と死が溶解されています。

まだ思いついたばかりで消化できていないのですが、何かそこには大きな示唆を感じます。
看取りということをもう少し考えたくなってきました。
あるいは、「寄り添い」ということも、です。

「看取りサロン」「看取られサロン」「寄り添いサロン」が実現できないか、考えだしました。
どうも日に日にやりたいことが増えてきます。
昨日、久しぶりに渕野さんにあったら、どうしてそんなにいろんなサロンができるのかといわれました。
次々とやっていないと逆に全くできなくなるんだよと応えましたが、それを心身が感じているのか、最近のさまざまな好奇心の高まりは我ながらいささか以上かもしれません。
たぶん節子がいないせいでしょう。
困ったものです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「看取り」という文化

昨日、フェイスブックで「「看取り」という日本語に当てはまるような外国語をご存知の方がいたら教えてくれませんか。日本独特の文化でしょうか。ちなみに、「ケア」に当てはまるような日本語も、何かいい言葉があれば知りたいとずっと思っています」と書き込みました。
数人の人からコメントをもらいましたが、どうも私の問いかけ方が悪かったようなので、もう一度、きちんと問いかけをしました。
このブログでも、問いかけさせてもらうことにしました。
関心がますます高まってきてしまったからです。

私が知りたいのは、死に寄り添うという意味の「看取る」という言葉です。
看病するという意味での「看取る」ではありません。

昨年から、湯島で「看取り文化」シリーズのサロンをはじめました。
できれば、看取りサロンのようなものを始めようと思っているのですが、
そこで、「看取り」という言葉、もしくは概念、文化が気になりだしたのです。

看病という意味での看取りであれば、当然、nursing でしょうが、
最近の「看取り」という言葉は、死に寄り添うという意味になっていると思います。
30年程前の大辞林には、そういう意味は出てきません。
看取りが死を看取るという意味に限定されてきたのは、日本でもこの数年ではないかという気がしてきました。
古語辞典などで調べても、私にはまだそういう概念の存在を見つけられずにいます。
昨日、万葉集の研究をしている友人にも訊いたのですが、
どうも万葉集には、看取るという言葉は出てこないそうです。
少なくとも、英語圏には、あるいはキリスト教圏には存在していないように思います。

言葉には文化が凝縮されていますが、逆に言葉になってこそ、概念は定着する、つまり文化になると私は考えています。
死にゆく人に寄り添い、最期を看取るという行為は、海外にもあるとは思うのですが、
それを一つの言葉で表現しているところはあるのかというのが、私の関心事です。
いまのところ、なぜか中央アジアあたりにあるのではないかという人に2人出会いましたが、実際にはまだ言葉は見つかりません。
私の関心は、あくまでも「一言に凝縮した言葉」、言い換えれば文化です。

ちなみに、逆に、ケアという概念を日本語に置き換えるとどうなるか、20年ほど前にコムケア活動というのを始めるときに考えたことがあります。
ケアは、一方的行為概念ではなく、双方向に動く循環的な関係概念だと私はとらえているのですが、それがなかなか伝わらないことに違和感があったからです。
「ケアの本質」という、メイヤロフの本が私が考え出したきっかけですが、どうも言葉に結晶しませんでした。
いまもなお、見つかりません。
「旦那」という言葉がいいかなと思ったこともありますが、
当時、私が行き着いたひとつが、友人から教えてもらった「情宜」(じょんぎ)という言葉でした。
南朝鮮と日本海側の北陸・東北の言葉のようです。
そこで、コモンズ通貨の「ジョンギ」も作ってみましたが、そこで止まってしまっています。

「医療の死」と「福祉の死」の現場は全く違います。
死は怖いものではなく、幸せにつながるものというのが、福祉の現場での死の捉え方ではないかと私は思っていますが、
看取るには「ケア」と同じ、双方向の関係要素があり、そこがとても今重要になってきているように思うのです。

「看取り」に関連して、最近気になりだしたのが、日本古来の殯(もがり)の風習です。
死に行く生者を看取るのではなく、死に行った死者を看取る行為です。
チベットの「死者の書」には、49日間の彼岸への旅立ちを支えるバルドゥの儀式が描かれていますが、死後49日はまだ生と死の中間で死者は「生きて」いますが、日本の殯は死者との寄り添い文化だと思います。
最近、遠藤央さんの「政治空間としてのパラオ」という本を読みました。
そこに「遺体をめぐる概念」という一節があるのですが、それを読むと、死者もまた生きている社会があることがわかります。
近代化の波から逃れてきた島々では、まだ黄泉の国との通路が閉じられていないのかもしれません。
沖縄には、まだそうした文化があるのかもしれませんし、アイヌにもあるかもしれません。
沖縄の方やアイヌの方がいたらぜひアドバイスください。

「看取り」文化への私の関心は、いまのところ深まるばかりです。
私の生き方にも深くつながっているからです。
よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年6月 »