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2017/03/29

■節子への挽歌3494:「生きる意味」を喪失した後の「生」

節子
挽歌3492に、久しぶりにpattiさんからコメントがありました。
pattiさんは、数年前に偶然にこの挽歌に出会い、時々、コメントを寄せてくれるのです。
私と同じく、伴侶を病気で亡くされています。
私たちよりもずっと早い別れだったようです。

コメントを読んでもらえばいいのですが、私の心境を、私以上に深く表現されているので、あえてここにも書かせてもらうことにしました。
もっとも、pattiさんもまた、私の書いた「未来の自分の喪失」が、現在の自分の心境を言い当てていると書いてくれているのですが。

pattiさんは、こう書いています。

今回の挽歌はあまりにも現在の私の心境を言い当てているので切なくなりました。
何かを所有して残すことへの意欲は極端に希薄になりました。
だから写真も一切撮りません。
「もう一つの自分」を実感したあとのこの空虚さを埋めるものは何もありません。
まったくその通りなのです。
なぜか写真が撮れない。
なぜか何かを欲しいと思うことがない。
内面の旅はひとりで続けていくものですが、「未来の自分」を「ふたりの未来」として考えてくれた存在があるときの旅はとても自由に飛翔していました。
ともに計画しながらも予想もつかない展開もあったのです。
ときには危険も伴うこともありましたが。
ほんとうにそうでした。
「未来の自分」を「ふたりの未来」として考えてくれた存在。
まさにそういう関係が実感できるようになった時に、その存在がいなくなった。
私の場合は、自分さえもが見えなくなってしまったのです。
人生そのものが空虚で、生きているという実感がない数年が続きました。
その分、何かをやり続けないといけないという思いから、外部から見ると、私は元気にいろんなことに取り組んでいるように見えていたようですが。

最後にpattiさんは、こう書いています。

「生きる意味」を喪失した後の「生」をどう生きるかが、最期まで続く自分自身への問いかけです。
おそらくその解答は出ないとわかっていても。
まるで私が書いているような気がするほどに、そうなのです。
かけがえのない伴侶がいなくなった後の人生とは、いったい何なのか。
答のない問いかけをつづけるpattiさんは、なんだか同志のような気がします。
お会いしたことはありませんが、そういう人がいると思うだけで少し心がやすまります。
空虚さは埋まりはしないのですが、少しだけ元気も出る。
涙もちょっと戻ってきてしまいましたが。

今日もまた、ちょっと寒い1日でした。
我孫子はまだ桜が咲いていません。
pattiさんの住んでいるところは、もう桜が咲いているでしょうか。

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