■節子への挽歌3469:穴のあいたまま生きていくこと
節子
本を読んでいたら、こんな詩に出合いました。
ユダヤ人の抒情詩人マシャ・カレコ(1907~1975)の詩だそうです。
今日は、この詩を私の挽歌代わりに書いておきます。
10年前を思い出します。
自分の死はこわくない、こわいのは ただわたしの近しい人たちの死。 その人たちがいなくなったら、どうやって生きていけばいいだろう。 独り霧のなかで死の道の辺を手さぐりし、 いそいそと闇のなかへ自分をかりたてる。 立ちどまっているほうが歩くより倍もつらい。 同じ体験をした人ならよくわかる。 -それを耐えた人たちはわたしを赦すだろう。 考えてほしい、自分の死はただ死ぬだけのこと、 だが、ほかの人たちの死はそれをかかえて生きていかねばならない。その本にはこんな文章もありました。
愛する人の喪失を意識から遠ざけようとしてもうまくいくものではありませんし、何か代わりになるもので補おうとしても完全にはできません。(大切なのは)穴を埋めることではなく、穴のあいたまま生きていくことです。
最近はそれに慣れてきていますが、時に無性にさびしくなることもあります。
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