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2017/03/26

■節子への挽歌3492:未来の自分の消滅

節子
今日はまた冬に戻ったような寒い日でした。

久しぶりにホームページを更新しました。
と言っても、週間記録だけですが、3週間も更新していなかったので、まとめて3週間を書き込みました。
すっかり忘れてしまっていたのです。
以前であれば、あり得ないことなのですが。

私がホームページをつくったのは2002年ですが、以来、毎週日曜日に更新するようにしていました。
更新できないときも、1~2日以内には必ず更新していましたが、今年になってから時々、更新が遅れてしまっていました。
理由は2つあります。
一つは、ホームページのプロバイダーのサービス内容が変わってしまい、使い勝手が悪くなったことです。
しかもそれまでは、アクセスした人の人数も計上されていたのですが、それができなくなってしまいました。
しかも表示がずれたりしだしたのです。
私のホームページは、何しろ我流で作っていますので、いまさら新しいソフトで作り変えるのは無理なので、プロバイダーを変えることができません。
そんなわけでモチベーションが下がってしまっています。

しかし、もっと大きな理由は、書き残すことそのもののモチベーションがなくなってきていることです。
これまでは、自分の行動記録をできるだけ残しておこうと思っていたのですが、誰のためにかといえば、それは「未来の自分」のためです。
その「未来の自分」が、最近の私のなかから消えつつあるのです。
このことは、私の生き方に大きな影響を与えています。

人は、今を意識して生きるよりも、未来を意識して生きているように思います。
最近そのことがよくわかってきました。
だからこそ、人は今の生活には必要ないものまで、所有したくなるのです。
お金にこだわるのもそうかもしれません。
いまを生きるためには、余分なお金や余分なものなど必要ないはずです。
最近の私の心境は、かなりそうなってきていますが、しかしまだ「未来の自分」を意識しているので、物を捨てることができないでいました。

ところが最近、「未来の自分」の存在があまり意識できなくなってきています。
そのせいか、自分のことを記録することの意味がなくなってきているわけです。
そんなわけで、最近はホームページの更新を忘れてしまうようになってきている。
そんな気がします。

人は、死ぬ前に、まずは「未来の自分」の死を体験するのではないか。
最近、そんな気がしています。
「未来の自分」がいなくなると、いまの自分を誠実に生きるしかありません。

節子は、がんの再発以降、もしかしたらそういう生き方をしていたのかもしれません。
しかし、もう一つの考え方もできます。
「未来の自分」のためにではなく、「もう一つの自分」のために生きることです。
節子にとっての「もう一つの自分」は、たぶん私です。
それが節子にとっての「生きる意味」だったかもしれません。
残念ながら、私には「もう一つの自分」は存在しません。

最近、どうも生きる意欲が弱いのは、「未来の自分」がいなくなったからかもしれません。

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妻への挽歌17」カテゴリの記事

コメント

佐藤様

ご無沙汰しております。pattiです。

今回の挽歌はあまりにも現在の私の心境を言い当てているので切なくなりました。
何かを所有して残すことへの意欲は極端に希薄になりました。だから写真も一切撮りません。
「もう一つの自分」を実感したあとのこの空虚さを埋めるものは何もありません。

内面の旅はひとりで続けていくものですが、「未来の自分」を「ふたりの未来」として考えてくれた存在があるときの旅はとても自由に飛翔していました。ともに計画しながらも予想もつかない展開もあったのです。ときには危険も伴うこともありましたが。

それでも生きながらえているのは私の中に他者に対する「あこがれ」があるからでしょう。それは人間自身だけに限りません。人間が創造したものも含まれます。(ただし、一方で人間はまた途方もないものも創造してしまいますが・・)


「生きる意味」を喪失した後の「生」をどう生きるかが、最期まで続く自分自身への問いかけです。おそらくその解答は出ないとわかっていても。

投稿: patti | 2017/03/29 10:29

pattiさん
いつもありがとうございます。コメントをもらうと元気が出ます。

最近の挽歌は、私の日記みたいになってきている気がしますし、日常が戻ったような気もしますが、実際には、まったく何も変わっていないようにも思います。
時々、すごく深いさびしさに落ち込んでしまい、無性に他者がほしくなることもあります。
それに、そろそろさびしさや悲しさから抜け出ないと恥ずかしいよという自分もいます。
挽歌を書いている時の気持は、とても複雑です。

「ときには危険も伴っているが、自由に飛翔する旅」。

まったく同じ思いを持ちます。
此岸では、もう望み得べくもないですが、でもその経験があることが、いまの私たち(勝手な表現ですみません)を支えてもくれているのかもしれませんね。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2017/03/29 11:01

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