■節子への挽歌3482:彼岸への穴
節子
昨夜、また不思議なことが起こりました。
寝る前にコンタクトレンズを外して、メガネをかけようと思ったのですが、メガネが見つかりません。
いくら探してもないのです。
朝、使っていたことは間違いないのですが、なぜか見つかりません。
実は昨日の夕方、手帳を探すために、山のように散らかっていた机のまわりを片づけたのですが、そのどさくさでどこかに行ってしまったのかもしれませんが、30分近くかかって、家じゅうを探しましたが、どこにもありません。
私だけならともかく、
娘にも頼んで一緒に探しました。
でも、ないのです。
実に不思議です。
そんな広い家ではないので、探す場所もないくらいです。
前にもこんなことがあった気がします。
その時の結論は、わが家には彼岸に通ずる穴があるということでした。
もしかしたら、またその穴が開いたのかもしれません。
そういえば、間もなくお彼岸です。
お盆ほどではないにしても、もしかしたらこの期間は、彼岸との小さな穴が生ずるのかもしれません。
そこに、手帳とメガネが落っこってしまったのかもしれません
困ったものです。
今朝、起きて、また探したのですが、やはりありません。
まあ私の生活空間は、私の活動と同じように、見事に散らかっています。
ですから、空間的には狭いのですが、探すのは大変です。
昨日片づけた時にでたごみの仲間で探しましたが、出てこない。
狐につままれたような気分で、今日はそれが気になって、また何もできなさそうです。
いっそのこと、彼岸に通ずる穴がもっと大きくなって、私がそこにすぽっと落ちてしまえたらいいのですが。
見つからない手帳とメガネだけでなく、節子に会えるかもしれません。
もしその場合は、この挽歌も今日で終わりです。
もしこの続きが書かれなくなっていたら、私が彼岸に落ちてしまったと思ってください。
落ち込む先が、地獄でないといいのですが。
| 固定リンク
« ■節子への挽歌3481:物を失うことのないような生き方がなかなかできません | トップページ | ■第1回まちづくりフォーラム「クラウドファンディングを活用して鎌倉のまちを盛り上げる」のお誘い »
「妻への挽歌17」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3500:庭の整理という大仕事(2017.04.05)
- ■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました(2017.04.02)
- ■節子への挽歌3497:桜の季節がきました(2017.04.01)
- ■節子への挽歌3496:節子がつなげてくれた縁(2017.03.31)
コメント