■節子への挽歌3496:節子がつなげてくれた縁
節子
一昨日、pattiさんのことを書きましたが、この挽歌の「おかげ」というか「せい」といか、愛する人を亡くした方たちとの出会いがいろいろとありました。
節子と別れたばかりの頃、私がまだおかしい精神状況に会った時に、娘さんと一緒にわが家を探して突然やってきた女性は、伴侶のことをいろいろと語ってくれました。
それで少しは気が晴れたかもしれません。
群馬からは、同じように伴侶を亡くした女性が2人、湯島に来ました。
お一人は私の友人ですが、その方が書いた本を節子は読んで、この人はすごいなと言っていた人です。
彼女もまた夫を亡くしたのですが、同じように夫を亡くした友人がいると言って、湯島にふたりで訪ねてきました。
そしてお互いに、同じような境遇を涙ながらに少しだけ話し合ったのですが、友人は、この話はこれでおしまいと宣言し、後は涙なしの話題になりました。
彼女は、夫が亡くなった直後に私と会ったのですが、それを億部にも出さ是う、用事が終わった後に、そのことを話してくれました。
その凛とした生き方に、節子がこの人はすごい人だと言っていた意味が分かりました。
子どもを亡くしたという若い女性は、わが家の庭に献花に来てくれました。
私がうっかりしていたら、献花をしたままで帰って行ったはずですが、幸いに何とか気づきました。
妻を亡くしたと言って、湯島に来てくれた男性もいます。
愛する人を亡くした人、大事な人を亡くした人、いろんな人が湯島やわが家の来てくれました。
その内、何人かの方はいまも御付き合いがあります。
しかし、その多くは、その後、連絡もなければ、私も連絡していません。
その後、どうされているでしょうか。
一昨日、pattiさんのことを書いてから、気になりだしました。
みんな、ある意味では、節子がつなげてくれた縁ですから、大事にしなければいけません。
節子から、私が友人知人が多すぎて、誠実に付き合えないのではないかといわれたことがあります。
私はそうならないように心がけているつもりですが、結果的にはそうなっているのかもしれません。
ちょっと反省しています。
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