■節子への挽歌3468:時代が大きく変わってしまった
節子
世間が何かと騒がしくなっています。
アメリカもヨーロッパも、歴史の流れが反転しようとしていますし、日本は反転した動きに乱れが出てきている感じです。
反転の反転はないでしょうから、反転が無秩序に破たんしていきかねません。
節子の挽歌を書いている時ではなく、世界の、あるいは人類の挽歌を書くべき気分になることも少なくありません。
それにしても、なぜ人は争い合うのか。
不思議でなりません。
今日も孫が来ましたが、その笑顔を見ていたら、人はそもそも争うこころなど持たずに生まれてきていることがよくわかります。
どこで何が変わるのか。
私には、孫の行く末は見られませんから、それがわかることはないでしょう。
しかし、どうして人は「善いこころ」を曲げてしまうのか。
節子は、とても清純でした。
よこしまなところなど全くありませんでした。
たぶん、あまり大人として成長していなかったということかもしれません。
ちなみに私は、いささかどころか、かなりのよこしまさを持っています。
ある時、節子に呆れられたことがあります。
その中身は忘れてしまいましたが、「頭のいい人の考えることは恐ろしい」というようなことを言われた記憶があります。
節子にとっては、私はとても「頭のいい人」だったのです。
まあ同時にかなり「ばかな人」とも思われていましたが。
それにしても、私たちが生きた時代は、おそらく幸せに生きられる時代だったのでしょう。
私が最近いささか不幸を感ずるのは、節子がいないだけではないかもしれません。
時代が大きく変わってしまった。
そんな気がしてなりません。
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