■節子への挽歌3488:賞味期限切れのコーヒー
節子
パントリーの奥から古いコーヒー粉の缶が出てきました。
賞味期限が2006年でした。
エスプレッソマシン用のものですが、たしかイタリア旅行に行った誰かのお土産です。
封は切られていましたが、ほとんど使われていません。
そういえば、せっかく購入したエスプレッソマシンも、2~3回使っただけで、いまはカバーをかけたままになっています。
今と違って、当時のエスプレッソマシンはあまり使い勝手がよくありませんでした。
いまでこそ質素に生きていますが、昔はこうした無駄がたくさんありました。
家族からも、使わないものを買いすぎると叱られていましたが、ついつい買ってしまうのが10年ほど前までの私の悪癖でした。
当時は、書籍もとても読めないほど書店に頼んで届けてもらっていました。
読んでいないシリーズの叢書が、いまもいくつかあります。
その反動で、いまはほとんどお金を使うことはありません。
書籍も、せいぜいが月に2~3冊しか購入せず、読む本はほとんどすべて図書館から借りています。
そんな質素な生活をしている立場からは、賞味期限が大幅に過ぎてしまったコーヒーも捨てるに捨てられません。
封が切られていないのであればいいのですが、悪いことに封があけられていました。
大きな缶ですが、ほとんど使った形跡がありません。
さてどうするか。
それで、思い切って飲んでみることにしました。
娘はやめろと言うのですが、捨てるのも抵抗があります。
エスプレッソではなく、フィルタードリップで飲むことにしました。
香りはほとんどありません。
苦味はかなりありますが、まあ飲めないことはない。
結局、マグカップで飲んでしまいました。
気のせいか、胃がぐちゃぐちゃになった感じです。
でもまあ、捨てるのも申し訳ないので、飲むことにしました。
当分は、あまりおいしいコーヒーを諦めて、毎朝、この10年以上前に賞味期限を過ぎたコーヒーを飲むことにしました。
そこまで節約をしなくていいのではないかといわれそうですが、そういう問題ではなく、せっかく作ってくれたコーヒーを捨てるのは申し訳ないという気分なのです。
ここまで飲まずに放置していた私の責任です。
しかし、毎朝、まずいコーヒーを飲むと、その日、後で飲むコーヒーはすべて美味しく感ずるでしょう。
人生と同じなのです。
やらなければいけないまま放置している課題があります。
今日こそ、手掛けようと思いながら、気が向きません。
もう2年以上、放置していることです。
このコーヒーのように、期限切れにならないうちに取り組みださなければいけません。
しかし、今日はやめましょう。
明日に延ばさないと、本当に胃がダウンしそうですから。
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