■煙石博さんの冤罪が晴れました
これまで何回か書いてきた、広島の煙石さんという元アナウンサーの方の訴訟の最高裁の判決がでました。
煙石さんは、66000円の窃盗の容疑で訴えられ、物証もなく、状況を知る限り、冤罪としか思えないのですが、有罪判決を受けてしまっていたのです。
昨日の最高裁の判決で無罪となり、冤罪が晴れました。
他人事ながら、うれしいことです。
この事件を知ったのは、広島の友人のおかげです。
広島の事件なので、最高裁に行くまでは関東圏では報道されることもなかったのですが、内容を知って驚きました。
警察の取り組み姿勢も含めて、まだこういうことが起こっているのだという、驚愕です。
私が中学生の時見た、八海事件を扱った映画「真昼の暗黒」を思い出しました。
冤罪を成り立たせているのは、司法制度にも問題がありますが、世間の関心の低さが、それを支えている面も否定できません。
多くの人がいまなお、司法の判断や警察の判断は正しいという前提で考えますから、自分ではきちんと考えようとしない傾向があります。
ですからいくら当事者が、あるいはその家族や友人たちが「冤罪」だと騒いでも、世間はなかなか耳をかしてはくれません。
それに、他人のそうした事件には関わりたくないという思いも、みんなどこかにあります。
ですから、冤罪はなくならないのでしょう。
そういう意味で、私にもまた責任があるわけです。
そういう思いもあって、このブログやフェイスブックなどに書きこんで、この事件の存在を私なりに広げてきました。
ですから、今回の無罪判決はとてもうれしいです。
実は昨日、このブログへのアクセスが急増しました。
その理由は、この判決でした。
話題になるとネット検索が増えて、私のブログにまでアクセスが増えるのです。
しかし、これも正直、ちょっと不安感もあります。
話題にならない限り、誰も関心を持たない。
話題になると過剰な関心を持つ。
それは結局同じことなのかもしれません。
マスコミの姿勢にも大きな違和感があります。
報道しても誰からも責められない事件を見つけると、最近の森友学園の事件のように過剰に報道する傾向が高まっています。
標的にされてしまうと、もう逃げようがないくらい執拗に追いこまれます。
世間もそれに同調して、そこに関心を集中してしまう。
その一方で、社会のさまざまなところで起こっている「小さな事件」は世間の目を逃れてしまう。
森友学園にまつわる事柄は、誰でもが「おかしい」と思うことですから、ただ罰して事態を質せばいいだけの話です。
ただただ詐欺罪として、あるいは官僚の背任事件として処理すればいいだけの話です。
ほんとうに恐ろしいのは、煙石事件のような話です。
私もそうですが、みんな最近は忙しすぎて、社会で起こっているおかしなことになかなか気づかないことが多い。
私は、そこに恐ろしさを感じます。
ちなみに、森友学園に関して言えば、マスコミは森友学園の見方であるような感じを私は受けています。
それに関しては、また別に書きたいです。
煙石さんの体験から、私たちは大きなものを学ばせてもらいました。
学んだことは、私も実行していこうと思います。
| 固定リンク
「マスコミ時評」カテゴリの記事
- ■戦争を止めるのは人の友好関係を広げていくことでしかありません(2022.05.08)
- ■報道への対抗力を高めたいと思います(2022.03.21)
- ■「いいニュース」(2021.12.06)
- ■革命は静かにやってく(2021.10.29)
- ■茶色の朝の社会の到来にぞっとしています(2021.09.24)
「司法時評」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■黒い雨はどこまで降ったか(2021.07.26)
- ■「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化を目指す本の紹介(2020.07.21)
- ■動いている時だけが運転しているとは恐ろしい話です(2018.12.14)
- ■弁護士と検事の使命(2018.12.04)
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■立ち向かう相手は誰か(2022.03.26)
- ■おすそ分けできる生活を取り戻したい(2022.03.17)
- ■医療関係者によるワクチン賛否議論を聞きたいものです(2022年1月13日)(2022.01.13)
- ■この2週間、牛乳をよく飲んでいます(2021.12.22)
- ■ジョニー・Dの独白(2021.12.03)
コメント