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2017/03/25

■節子への挽歌3490:追いかける生き方

節子
昨日、私にはまったく歯が立たない本を読みだしました。
ブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」です。
超ひも理論を解説した、500頁の本です。
本は基本的には2日以内で読むことにしていますが、さすがにこの本は2日では読めません。
というのも読んでいてもほとんど理解できないのです。
まあ、それでもなんとなく面白くて、昨夜は挽歌を書く間もなく、読みふけってしまいました。
但しほとんど理解できませんでしたが。

理解できなくてもなんとなく雰囲気を理解するのが、私の読み方の一つですので、まあこれは2日は無理としても、3、4日は読んでみようと思いますが、たぶん途中で挫折するでしょう。
しかし、それでも何かが残るのが私の読書の体験です。

今日は、「相対性理論vs量子力学」を読みました。
まったく理解できませんでしたが、私自身の生活実感につながっていて、なんとなく面白かったです。
時間も空間も生きている。
改めて納得できました。

その中に、アインシュタインに関するこんなくだりがありました。

16歳のアインシュタインは、こんな疑問を抱いた。 光線を追いかけたら、どうなるだろう。 ニュートンの運動法則にもとづいて直観的に推論すると、光に追いつき、光が静止して見えることになると思われる。 光は立ち止まってしまうと。 ところが、マクスウェルの理論、さらにあらゆる信頼できる観察によると、静止した光などというものはない。

そこからアインシュタインは、光の速度は常に一定だということにたどり着くわけですが、私自身には光の速度が一定などということは信じがたい話です。
時間と空間が変化するのであれば、当然、光の速度も変わっておかしくない。
そう思うのですが、それは私がまだ宇宙の構造を理解していないからなのでしょう。

しかし、光を追いかけたらどうなるだろうと考える若者は多いでしょうが、そこから相対性理論まで追いかけていったアインシュタインには感心します。
多くの人は、思っただけで行動には移さない。

たぶん、私が節子にあった頃、私はまだ「追いかける生き方」を少し残していた気がします。
節子は、そこにきっと引き寄せられたのかもしれません。
追いかけるものの存在は、人の生きる力の源泉のような気がします。
追いかけるものがなくなるのが怖くて、私はいろんなものに関心を持つのかもしれません。
節子がいなくなって以来、追いかけるものを失った気がしています。
もし、ほんとに追いかけるものがあれば、探すことはないでしょう。
探している時には、探し物が見つかっていないということですから。

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